龍の森に積もる雪
深い、深い森の奥に、静かに暮らす、一匹の龍がいました。
龍は、長い間森の奥で一匹で暮らしていました。
龍の住む森は、人里から随分と離れているので、人間は森には近づこうとはしませんでした。さらに、大人は子供たちにいつも、こう言っていました。
「あの森には、怖い怖い龍が住んでいるから、近づいてはいけないよ。」
子供たちは、『りゅう』というものを知りません。ただ、大人たちの言う『りゅう』が恐ろしいものだということだけを信じ、森には近づこうとしませんでした。
春が来て、夏が来て。秋が過ぎて冬を越えて。子供たちは少しずつ、少しずつ大人になっていきました。
ある日、里の子供のうちの一人、一番好奇心の強い子が言いました。
「ねぇ、森に『りゅう』を見に行こうよ!」
子供たちは、口々に言いました。
「だめだよ!」「お父さんやお母さんが言っていたじゃないか!」「森に住む『りゅう』は怖いんだよ!」
そう言って、賛成するものは一人もありませんでした。
「なんだよ、意気地なし!いいさ、僕一人だけでも『りゅう』を見に行ってやる!」
そういって、バッグに少しばかりの食料と、替えの服と、ランタンと、そしてお父さんに貰ったナイフを詰めて、両親が眠りについた夜中に家を抜け出しました。
「お父さんもお母さんも、明日になったら怒るだろうなぁ…。ううん、お父さんたちだけじゃない。お爺さんも、お婆さんも、里長だって怒るに決まってる。でも僕は、お父さんたちが言ってた『りゅう』が何なのか、知りたいんだ!」
そういって、ちらちらと雪の降る森に向かって走り出しました。
少しばかり走ったところで、森につきました。走って体が暖まったために、体に触れた雪はすぐに溶けていきました。
森の入口に立ち、森の奥の闇に目をこらしました。でも、夜中ということもあり何も見えません。
バッグの中に入れたランタンを取り出して、明かりをつけ、森の中へ進んでいきました。
森の中は、雪明かりとランタンの明かりに照らさせてキラキラと輝いていました。
その中を進んでいくと、明かりの灯る小さな小屋を見つけました。
「こんなところに家?どんな人が住んでるんだろう?」
窓から中をうかがってみると、黒い髪をした男の人が住んでいました。椅子に座って、机の上に置いてある箱を開けて中身を眺めながら、時々ため息をついています。
窓から離れようとしたとき、足元の木の枝を踏んでしまいました。驚いてすぐにしゃがみましたが、やはり気付かれてしまいました。
「!!…誰だ?出てこい!」
黒髪の男の人は窓の方へ近づき、窓を開け放つと左右を確認しました。
「なんだ…?誰もいない?」
「あ、あの…。」
家を覗いてしまった罪悪感と、窓から見えた男の悲痛な顔がどうしても頭から拭えず、とうとう自分から声をあげました。
「子供…?こんな時間に何をしているんだ。まぁいい、家に入りなさい。寒いだろう。」
男の人は、そういって家に入れてくれました。
「で、子供がこんな時間にこんなところで何をしているんだ。」
お茶を出し、男の人はそう聞いてきました。
「あ、ありがとうございます…。僕は、この森に住むという『りゅう』を見に来たんです。」
「『りゅう』…?……!!龍だと!!?」
椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がった男の人は、子供の胸倉を掴み、にらみながら言いました。
「なぜ龍を見に来た?また狩りにきたのか!?」
「ち、違います!僕はただ、大人たちが危ないって、怖いって言う『りゅう』を見たくて…。」
そういうと、胸倉から手を離し、落ち着いた様子で謝り、話し始めました。
「そうか、すまなかった。だが、龍が危ないと言うのは嘘だ。本来、龍は大人しいんだよ。」
「え?でもお父さんたちは『りゅう』は怖いって言ってたよ?」
「ふん。それは人間たちの思い違いだな。…そうだな、人間は人間でも子供だ。教えてやろう。こっちの部屋へ来い。」
そういって子供の手を引き、たくさんの本がある部屋へ連れていきました。
「お前は、文字の読み書きは出来るか?」
「僕の名前はお前じゃないよ!スノウっていうんだ。おじさんは?」
「おじさんじゃない。俺はナーガという。で、スノウ。お前は文字の読み書きはできるのか?」
「できるよ。学校にも通ってる。」
「そうか。なら話は早い。これを見ろ。」
そこには、蛇のように細長く、でも蛇なんかよりずっと威厳のあるものの絵が描かれていました。
「これ、蛇?」
そう聞くと、ナーガはふんっ、と鼻で笑って、「そんなもんじゃない」といいました。
「これが、お前が見たいと言っていた龍だ。」
そういうと、ナーガはスノウを引っ張り、リビングのソファに放り、毛布をかけました。
「今日はもう遅い。お前はそこで寝ろ。朝になったら里に帰れ。いいな?」
そういうと、ナーガは自分の部屋と思われる方へ行ってしまいました。
その晩、スノウはさっき見た『りゅう』の、龍の絵のことが頭の中を占め、眠ることができませんでした。ずっとあの絵のことを考えているうちに、ふと気がつくと窓から薄い朝日が差してきました。
「おい、朝だ。起きろスノウ。」
ナーガの声が聞こえました。いつの間にか、スノウは寝てしまっていたようでした。
「ほら、もう朝だ。帰れ。」
ナーガはそう言いますが、スノウは頑として帰ろうとしません。
「僕は、本物の龍を見に来たんだ!だからそれまでは帰らないよ!」
そう言い放つと、ナーガにすがりつきました。
「ねぇナーガ。お願いだよ。僕を龍に会わせて!ナーガは龍と仲良しなんでしょ?」
「何故、そう思う?」
「昨日、僕が龍を見に来たっていったら、“狩りに来たのか!?”ってすごい剣幕だったから、友達が狩られるのかと思って怒ったんじゃないかって思って…。」
「ほう…。…なぁスノウ。お前は龍を見て、何をしたいんだ?」
「決まってるじゃないか!龍と友達になるんだ!……最初は、一目見たかっただけだけど、昨日のナーガの話を聞いたら、仲良くなりたくなったんだ!」
スノウは、目を輝かせてそう言いました。
「そう、か…。じゃあ、龍を見たら帰ってくれるな?」
「うん。約束だ。僕は約束は絶対守るよ!」
「そうか。じゃあ、ついてこい。」
そういうと、家の外に出て、森の更に奥深くへ歩いていきました。
「ねぇナーガ?こんなところで何するの?」
「いいか、俺がいいと言うまで目を瞑っていろ。」
スノウは、言われたとおり目を瞑りました。その瞬間、瞼の向こうにとても明るい光が感じられました。
《もう、あけていいぞ。》
くぐもったようなナーガの声が聞こえました。スノウが目をあけてみると、そこにはあの本に描かれたものにそっくりな龍がいました。
《どうだスノウ。俺がお前の見たがっていた龍の正体だ。満足か?》
スノウはしばらく呆気に取られていましたが、すぐに目を輝かせて喜びました。
「すごいや!ナーガは龍だったんだね!ねぇナーガ、今更だけど僕と友達になってよ!」
《お前は何を言っているんだ?人間と龍は友達になんてなれない。お前も、親にそういわれただろう?》
「そんなの知らないよ!僕はナーガと友達になりたいんだ!」
その真っ直ぐな目にナーガは気圧され、人間の姿になるとこういいました。
「そうだな。よろしく頼む。俺の小さな友人よ。」
そう言って手を差し出しました。スノウはその手を握り、「よろしく!」と言って顔を綻ばせました。
「さて、そろそろ帰れ。親が探しに出るころだろう。」
最後に大きく手を振り、スノウは荷物を背負って走って帰りました。
「どこに行っていたんだ!」
バチッ!と大きな音がして、スノウは床に倒れました。視線を上にあげると、鬼のような形相の父が見えました。
「まさか森に行ったのではないだろうな。あれほど危険だと言っておいたのに!」
「そんなことないよ!危なくなんて、なかったよ!」
そういうと、父の形相はさらに険しくなりました。
「お前、まさか龍に会ったんじゃないだろうな?」
そういわれ、スノウが口を閉ざしていると、父は袋に数切れのパンと瓶に入った水を詰め、スノウに投げました。
「お前はもう、俺たちの子ではない。あれほど言いつけておいたのに、この里の掟を破るなど。この里から追放する。どこへなりと消え失せろ!」
そう言って、家の外に出されてしまいました。
スノウはしばらく立ち尽くしましたが、そのままとぼとぼと森の中へ歩いていきました。その後ろをつける影には気付くことはありませんでした。
「で、また来たのか。」
そう言いつつも、ナーガは迎え入れてくれました。
「ナーガ、僕、この家に住んじゃダメかな?親に捨てられちゃったんだ。」
「それは構わないが…。」
そういったところで、小屋の扉が勢い良く開かれました。
「よくもまあ生きていたものだ!前に狩った龍で最後だと思っていたのだがな!」
それは、父と里長でした。二人とも、銃を構えてナーガに狙いをつけています。
「その黒い髪、赤い目。まさに龍のものだ。見たところ貴様で最後のようだな!」
里長はそういうと、ナーガに向けて発砲しました。ナーガはスノウを掴んで、窓から外に逃げました。スノウが後ろを見ると、二人が追いかけてくるのが見えました。
「ちっ、面倒だ。スノウ、しっかり掴まれ!」
そういうと、ナーガは龍になり、飛ぼうとしました。しかし、父が撃った弾が向きを変えたナーガの目に当たり、落ちてしまいました。
「ふははっ!流石の龍といえども目はやはり鍛えられんようだな!…ん?なんだ、お前ここにいたのか。目障りだ。失せろ。」
父は、傷を負った龍の前に立ち塞がるスノウを見てそう言い放ちました。しかし、スノウは引きません。
「僕の友達を、殺させたりしない!」
そう言って、バックから取り出していたナイフを持って斬りかかりましたが、銃の柄で頭を殴られ、吹っ飛び、木にぶつかって動かなくなってしまいました。
《貴様等…!俺の同胞だけでなく、友人まで奪うとは…!…滅ぼしてやる。》
そういうと、目にも止まらぬ速さで天に登り、そのまま見えなくなりました。そのとき、少しずつ雪が降り出しました。
「逃げたか…。まぁいい、いずれまた狩りにくるさ。」
「里長、そろそろ村に戻りましょう。」
そういうと、2人は雪の中を歩いて里に帰りました。
その場には、冷たくなったスノウだけが残されていました。
《貴様らにも、同じ苦しみを味わわせてやる…!》
2人が里にたどり着くと、そこは地獄のようでした。
雪雲が空を埋め尽くし、その雲が呼んだ落雷によって家々は燃え盛っていました。その中に、黒髪の男が1人、佇んでいました。
「貴様!一体何をした!!」
里長が、黒髪の男―人の姿になったナーガ―に怒鳴りました。するとナーガは、龍の姿の時と同じ声で言いました。
《人間など愚かな種だ。滅びても何の問題もあるまい!》
そういうと、龍の姿になり、2人へ雷を落としました。
そうして、その里は、その姿の一切を灰と化して無くなりました。
更地となった里の近くの森の奥深くに、1人で静かに暮らす龍が住んでいます。友人の弔いのため、彼の名である雪を季節に関わらず降らせている森の奥に小屋を建て、壁には友人の形見のナイフを飾って、1人、静かに生きていきました。
読んでくださり、ありがとうございました。
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まだまだ幼く、拙い文章ではございますが、これからも応援のほど、宜しくお願い致します。