§4§
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湯立つ血液は大地に赤黒い太線を引き、あたり一面を染め上げている。受けたダメージはとっくに致死を上回るだろうに竜の意志はそれをはるかに凌駕していた。決して倒れまいとする精悍な目つきは、弱まるところを猛る中にも決して見せようとはしない。
「ふはは、さすがは精霊族の長だな」
キラッとした刹那的なブッヒーニの眼光に、燃えたぎる竜の赤色光が混じる。
全長は三十メートルを越す巨大な竜の腹が、吸いこまれた魔力によって膨張を始めた。轟々と音がわたり、爆激音めいた咆哮ののち、竜はこれが何度目かとなる火炎弾を口腔に迸らせた。すれば熱波が周囲を焦がし、相対峙する幾十の兵士たちをあぶるようにして吹き抜けてゆく。これが五大精霊族の長、ドラゴンの操る「炎」の魔力である。かつて戦争の前期には、空から降り注ぐ火炎の猛攻に人間は為す術を持ちえなかった。
今でこそ魔法が存在しているが、やはりそれでも過ぎるのは冷たい死の予感だ。人間どうしではふんぞり返って威張る大男たちでさえ、禍々しく盛る炎を前にすれば押し引く血の気を抑えることなどできない。
マウリンはあらかじめ唱詠の済ませていた魔法を発動させる。
――ジイラ・ボノ・ウォール。
一口に唱えられる呪文は美しく虚空へと溶けこむ。
魔法学においてジイラは「強度」が上級であることを、ノは「範囲」が中級であることを、ウォールは「属性」が障壁であることを意味している。
言の葉が空中から消えるのと同時に、眩い光のカベが上空より展開される。清らかな調べがどこからともなく奏でられ、兵士たちの真上をふわりとした光のヴェールが覆った。穴のない全方位、最終的にドーム状のバリアを形成する高位魔法である。ゆらめくシャボン壁を隔てて竜の顔がぼやけ、その口から放たれた火炎が迫り――。
ズドン―――――!
轟く爆撃音によって大地は激しく揺れ、煽る猛風に兵士数人が身をひっくり返した。余り余った魔力波が周囲の木々を一瞬で焼き払い、それでも足らぬ奔流が大地を深々と抉りだしてゆく。その破壊の中心にあって、しかしブッヒーニは笑っている。
竜が魔炎を吐き切るのと同時に両手を左右へさばく。ここでタイミングを見損なうと、次へのチャージに手間がかかるうえにブッヒーニの攻撃が遅れてしまう。歳を老いてもなお命を賭けねばならない正念場にあるなど、いくら高尚な肩書の「四天王」でも辞めたくなる。
すっと光のヴェールが消えうせればそこから、ブッヒーニの猛攻が直ちに再開される。
この防御と猛攻を繰り返すことで竜の体力は確実に、ゆっくりとそげ落とされてゆく。
一方的な攻防戦はいつしか、畏怖され続けてきたはずの竜から体力を抉りとっていた。巨体の動きは鈍くなり、ズタボロに切り裂かれた翼は根元から血がこぼれている。欠けた爪、牙に、もはや鋭利さはほとんどない。
そんな様相をギラつく眼でしかと計り、ここが締め時だと悟ったブッヒーニは口角を割いて刹那的に笑いだした。両手に握る白諸刃をもってして、反撃に振り切られた竜のカギヅメをハジきかえす。激しい衝撃音が耳朶をブッ叩くが、若剣士はものともしない。
拍子にバサッと揺らめく純白のマントが落ち着かぬうち、高らかに「ぶふぃ!」の鳴きを携えてその場から姿を消す。周囲へはふんわりとした風がぬけてゆく。
上空で華麗に身を翻せば、次の瞬間には、――始まる。
空間を絶する連撃が竜へぶち込まれるワケだが、その前にお決まりのサウンドが鳴らされることになる。ここにきてマウリンもようやっと理解し始めていた。この男は、本物であると。
心と体は同化してあらゆる動作の機微に顕現する。ブッヒーニは自らが出すブタの鳴き声によって心持ちを絶頂へと誘い、技のキレ味を最大まで高めているのだ。
「ブウウウウウウゥゥゥッヒイイイイイイイ――――――!」
空宙で《三次元的》に刻み込まれる神速の「踏み込み」が強力な慣性を生み出す。空を一蹴りすれば【ぶひ!】として姿を消し、二蹴りして【ぶぶひ!】と瞬間移動し、十蹴りしたらば【ぶぶぶぶぶぶひぃ!】と全空間を支配せしめる。
何もないはずのそこに足を踏み込ませたらばそれだけで、ブッヒーニの肉体には強力な物理的エネルギーが生じるのだ。バネとバネの間を∞ループする高速ボールのように、目も眩むような速さになれば、重さにして数十トンの破壊力、数にして何千発にのぼる連撃がブチかまされる。されど反して紫の剣閃は、軽やかな踊り子の舞に似通るのだから美しい。
相対峙するドラゴンの体をミンチに仕立て上げる空中連閃撃【万豚牙】は、ブッヒーニ・アレンシュタインの得意中の得意とする大技だ。