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90s nostalgia Ⅵ

 その日の夜のこと。

 空也がいつものように回転するユグドラシルを観察していると、唐突に景色が暗転した。

「だーれだ」

「ナズナ?」

 半信半疑で尋ねる。声からするとナズナだろうと思うが、機嫌が良すぎるのがおかしい。空也はナズナにブロックされてから、特に何もアクションを起こした覚えがない。楽しそうに後ろから目隠しをされるような理由は何も思い当たらなかった。

「そうでーす。ナズナでーす」

 ナズナは踊るようにして空也の前に回りこんできた。

 空也はナズナの姿に目を奪われた。ナズナがありえない格好をしていたからだ。いや、ありえない、ということはないのかもしれない。なぜなら、それは空也が毎日身につけている服だから。しかし、いまここでこのとき、ナズナが着ているとなると……やはり違和感が先にたってしまう。

「反応薄いなぁ。初お披露目なのに」

 ナズナはすねたように言うが、あくまで楽しそうだ。

 ナズナが着ているのはクーヤが毎日着ている女子制服だった。飽きるほど目にしているのだから見間違うはずがない。

「ナズナ。同じ学校だった?」

「はぁ? 何言ってるの? 意味わかんないよ」

「だって、その制服」

「今日は制服プレイの日なのです。ほらほら、空也も着替えて着替えて。空也は男子と女子、どっちがいい? 一応両方用意した」

 微妙に会話が噛み合っていない。もしかすると、ナズナは意図的にずらしているのかもしれない。だが、空也は流されてしまう。花のように微笑むナズナは犯罪的に可愛いのだった。ナズナの機嫌が直ったならそれでいいか、と駄目な思考に陥ってしまった。

 ナズナの右腕には男子制服、左腕には女子制服がかけられてある。空也は男子制服を受け取り、瞬時に着替えた。

「せっかくだから女の子の姿、見せてくれたら良かったのに」

「やだよ。恥ずかしい」

「そんなことないと思うけどな」

 ナズナは空を見上げて思わせぶりに呟いた。

 不思議な女の子だった。女の子らしいかどうかと言えば、そうでもないような気がする。それでも、美少女を演じている自分よりは、格段に女の子らしい気がする。ナズナを見ていると、空也は自信を喪失しそうになる。

「まあいいや。座って座って。ガールズトークもしてみたいけど、いまはそれよりも」

 ナズナは地面に腰を下ろして、携帯ゲーム機を取り出した。

「空也もやってるんでしょ。交換しよ」

 ここにきて空也もようやく理解が追いついた。おせっかいなスノッブがナズナに報せたのだろう。手際の良さに舌を巻く。少し悔しいが、素直に感謝しておくことにした。

「スノッブによろしく言っておいてくれる? ありがとうって」

「んー、なんのことかわからないから自分で言いなよ。そんなことより交換」

 ナズナは腕を伸ばしてゲーム機を振ってみせた。空也もゲーム機を手にナズナの正面に座った。通信を開始しようとするが、うまくいかない。首を傾げていると、ナズナが笑いながら首を振った。

「無線通信できないの。骨董品だからね。それでコレの出番ってわけ」

 ナズナはケーブルを手にして、コネクタを自分のゲーム機に差し込んだ。反対側を空也に向けて差し出す。

 短い。

 膝を突き合わせていては届かない。空也は迷う。ナズナの隣に行けばケーブルは届くだろう。交換のため、それ以外には何もない。と、必死に自分に言い聞かせて顔を上げた。

 ナズナと目が合った。ナズナは何も言わずに目を逸らした。

 空也のなけなしの勇気は早くも砕け散りそうだった。交換のため、交換のため、と念仏のように何度も心の中で唱えて、邪念を振り払おうとする。

 空也はなるべくナズナから離れて、しかしケーブルがぎりぎり届く位置に座った。ケーブルはピンと張っている。

「そんなに離れてたら痛む」

 ナズナはそう言って半分だけ体を寄せた。たわむケーブルに合わせて、自分の緊張も緩まれば楽になれるのに、と空也は思った。

「私もドキドキしてるんだ。初めてだから」

 ナズナが交換のことを言っているのはわかっていても、肩が触れあい、耳元で囁くように言われると、全く別なことのように聞こえてしまう。

「空也はコレ出して。私があげるのはコレでいい?」

 画面に映し出されたファンシーな生き物をナズナの指がなぞる。空也のほうには海老を模した鍵型の生物が、ナズナのほうには蟹を模した錠型の生物がそれぞれ映っている。どうやらペアになっているらしい。

 空也は一も二もなく首を縦に振った。

 画面が切り替わり、ケーブルの中を固体情報が移動する。ナズナは鼻歌混じりに見送っている。交換終了を告げる音楽が鳴った。

「成功。またしようね。今度は対戦とかもいいかも」

 ナズナの笑顔が眩しくてとても直視できない。

「ああ。うん。そうだね」

「ええー。なんだか私だけ盛り上がってたみたい。感動薄いよ。そんな空也に問題です。97プラス84150115319はいくつでしょうか?」

「は? もう一回言ってくれる?」

「だから、97プラス84150115319」

 ナズナはそう言って、空也のゲームディスプレイを指している。97は交換した生物の図鑑番号、84150115319はナズナのゲームIDだった。

「841501154……16?」

「ぶー。はずれ。正解は9784150115319、でした」

「足してないじゃん」

「うん。まぁそうなんだけどね。でも二人だけの記念の数字だから。覚えててね」

 ナズナが言うと、ただの数字の羅列が特別な意味を持つように思えてくるから不思議だ。しかし、十 三桁もの数字はいくらなんでも覚えられそうに無い。空也がそう伝えようと口を開きかけたその時だった。

 けたたましく鳴り響くアラーム音が二人の間に割り込んできた。

 何の前触れもなくうるさく騒ぎ始めたアラームに驚かされて、空也は反射的にユグドラシルに目を走らせた。傾きながら不安定に回転しているが、全然倒れそうには見えない。至って平常運転。日常を続けている。

 ユグドラシルに異変が無いとわかり、空也の気持ちに余裕が生まれた。注意して耳をすませてみると、どうやらアラームは近くで鳴っているようだった。

「イントルーダーアラーム、だよ」

 澄まし顔をして聞きなれない単語を話すナズナに動揺の色は見られない。ケーブルを無造作にブチッと抜いて片付けを始めている。

「イントルーダーアラーム?」

 空也はおうむ返しに問いかけた。

「そう。日本語で言うと、侵入警報。新しく誰か来たら鳴るように設定してあるの。空也の時の失敗を教訓に」

 話しながらも、ナズナはてきぱきと片付けを続けている。もはや二人で仲良くゲームに興じていた痕跡は空也の手に残った携帯ゲーム機だけになってしまった。

「しまって。早く」

 あまり強くはないが有無を言わせぬナズナの口調に空也は正直とまどっていた。しかし逆らう理由も特に無いので、言われるままに従うことにした。

 アラーム音が鳴り止んだ。

 空間に無数のテクスチャが浮かび上がり、張り付くようにして人型を形成していく。針金色でデコボコの外観が緩やかに姿を変えていく。

 高速で自己認識と他者認識が交錯し、世界の共通認識となって存在が承認される瞬間だ。

「あれ? 空也じゃない。何してるの? こんなところで」

 侵入者はきょとんとした顔をしている。

「お前こそ、なんでここに?」

 空也も驚きを隠せない。

 ナズナはそんな二人の顔を交互に見比べている。

「知り合い……だよね?」

 おずおずと切り出したナズナに空也は黙ってうなずいた。


 侵入者は唯だった。

 空也の幼なじみで、クーヤのクラスメート。

 この場にいて欲しくないランキング、ナンバーワン。

 唯は現時点で空也に一番近く、さらにクーヤにも一番近しい人間だ。それは疑いようのない事実であり、とどのつまり、空也とクーヤの秘密に感づく人間がいるとすれば、それは唯をさしおいては考えられない。

 さらに間の悪いことに、空也とナズナはおそろいの制服を着ている。唯にとってもおなじみの学制服だ。

 場を支配している気まずい沈黙。しかし、下手に口を開けばますます疑念が強まりそうだ。ナズナもそれを肌で感じているのか、いつものように軽口は叩かずに、空也の出方をうかがっている。

「えーと、私はクラスの友達に借りた本の続きが気になって。リンクを辿ってきたら、ここに。あ、友達って言っても女の子だよ。ちょっと変わった子なんだけど、綺麗な子でね。あの、あのね。私は説明したから。はい、空也も説明!」

 沈黙に耐えかねて走り出した唯から、暴投ぎみにバトンが渡された。

「こ、こちらはナズナさんです。先月、ここで偶然会って。それから仲良くしてもらってます。この制服を用意したのもナズナさんです。ナズナさんはコスプレ好きで、こんな格好をしているのはナズナさんの趣味です。全て偶然です。はい、ナズナさん。どうぞ!」

 バトンを落とさないことに必死で、支離滅裂なうえに丁寧語でまくしたてるように話してしまった。 唯が暴投ぎみなら、空也は危険球の類だ。体にぶつけるように、バトンを投げつけた自覚があった。

「ご紹介にあずかりましたナズナです。90s nostalgiaへようこそ。この区画の水先案内人のような役目をやらせていただいています。と言っても、勝手に名乗っているだけですけど。よろしくお願いします。唯さん」

 ナズナは笑顔で軽く会釈をして右手を差し出した。見事としか言いようのない軌道修正。暴投だろうと危険球だろうと、ナズナに処理できないバトンは無いらしい。流れるように戻ってきたバトンを無碍にはできず、唯は握手に応じた。

「一つだけ訂正させていただくと、コスプレは空也が好きだからしてるんです。人のせいにするなんて、空也ってばお茶目さんですよね」

 ナズナはにこやかに笑いながら、平気で穏やかでないことを言う。

「……空也、空也って。呼び捨てなんだ」

「唯さんも空也って呼んでるじゃないですか」

 笑顔プラス丁寧口調でありながら、どことなく棘がある言い方をするナズナ。

空也が「らしくないな」と思っていると、肘でわき腹をつつかれた。とにかく話をあわせろと言いたいらしい。

「その……ナズナはナズナでいいって言うし、自分だけ空也さんって呼ばれるのは、なんというか……」

 二人の間に立たされた空也は目に見えない圧力で押しつぶされそうだった。

 どこかやりきれない顔をしている唯とは対照的に、ナズナは状況を心から楽しんでいるような気がしてならない。

「うぅ。だって空也と私は子供のころから一緒で。空也のことを空也って呼ぶ女の子は私だけだったんだよ」

「唯さんが知らなかっただけかもしれませんよ? 現にいま、ここで、私と空也は名前で呼び合っているじゃないですか」

 ナズナは傲然と胸をそらし、小悪魔のように悪戯っぽく笑う。

 ナズナのおかげで当面の危機は乗り切れたような気がするが、新たに別の問題が持ち上がっている。なんとなくそれは空也にもわかる。なぜなら唯がぷるぷると肩を震わせているから。そして唯は爆発した。

「そんなことない! 空也はそんなことしない! 空也も何か言ってよ。私、この人嫌い。絶望的に気が合わない。砂糖を入れた玉子焼きが甘くなるっていうことよりも直感的にわかりやすい。水と油は混じらないの。こういう女は下手に出てたらつけ上がるの。絶対お友達になりたくないタイプ」

 思いつく限りの悪罵をひと通り叩きつけて、ハァハァと鼻息も荒く、悪鬼のごとき形相でナズナをにらみつける唯。十年来の付き合いの空也ですら、裸足で逃げ出したくなるというのに、ナズナは嫣然と微笑んでいる。そればかりか、空也の腕をとって隣に寄り添い、自分の腕を絡めた。けっしてささやかではない感触に空也の鼓動は跳ね上がった。

「私たち仲良しですものねー」

 拒否することも、逃げ出すこともできずに空也はうなずいた。

 押しつけられた柔らかな膨らみの破壊力を目の当たりにして空也の精神は崩壊寸前だった。クーヤに変身しているときに意識しないようにするだけでも、健全な男子高校生としては多大な精神力を要する。そんな空也がナチュラル美少女のそれを意識しないでいられるはずが無かった。

「私だって空也と仲良しだもん。はーなーれーろー」

 空いてあるほうの腕を取って、二人を引き離そうとする唯は涙目になっている。まるで子供のようだった。とても哀れで口にするのは憚られるが、ナズナと比べると非常にはっきりと感じられた。

「かーっ! 傍観者を貫こうとしてたが、もう見てられん。公共の場でいちゃついてんじゃねーーーっ!」

 苦虫を噛み潰したような顔をした男が怒りの咆哮とともに現れた。空也は体を硬くした。ナズナと唯も同じような姿勢のまま固まっている。

「両手に華で脳内までお花畑か? 色ボケが! ここはお前の私有地じゃねーんだよ。若いからって、何でも許されると思ったら大間違いだ! 見えんところでやれ。見えんところで」

 ビシッと黒スーツと白衣を着こなした無精ひげの男。その名はスノッブ。

 この場にいて欲しくないランキング、貫禄の殿堂入りは伊達ではない。

「これだけ言っても離れるつもりはナシか? ん?」

 片眉を跳ね上げて舐めるようにナズナを見つめるさまは、まるで時代劇に登場する悪代官のようだ。

ナズナはぱっと空也から離れると、

「べ、別にちょっとからかっただけだから。ちんまい子犬がいてうるさかったから」

 スノッブに対して弁解じみた言い訳をした。

「あの二人って、どういう関係なの?」

 狼狽するナズナを見て冷静さを取り戻した唯が空也の腕を放して小声で言った。

 それは空也も以前から気になっていることだった。

 ナズナに尋ねてみても、いつもばつが悪そうにはぐらかされてしまうし、スノッブに至っては端から真面目に答える気がなさそうなのだった。

 今だってお互いに悪態をぶつけ合っているが、二人とも全然嫌そうには見えない。険悪な雰囲気は微塵も感じ取れないし、どちらかというと仲が良さそうに見える。

 それはまるでディスプレイ越しに眺める映像。臨場感は紛れもなく本物だが、決して立ち入ることのできない壁が存在しているようだった。

「さぁ?」

 空也は他人事のように曖昧な返事をするしかなかった。

「そうなんだ」

 唯の声にはどこか安心したような響きが混じっていた。

 ナズナとスノッブは二人で何かやりとりをしているようだが、しばらく前から空也には二人の声が聞こえなくなっていた。どうやら二人だけでダイレクトメッセージを交換し合っているらしい。

ナズナはたまに顔を赤らめて空也のほうをちらちらとうかがっている。身振り手振りが良く見えるだけに、嫌な想像が鎌首をもたげてくる。空也とナズナの会話はスノッブに筒抜けだが、スノッブはナズナと秘密の会話を交わしている。

 二人きりのプライベートな会話が漏れることは基本的にはありえない。第三者が知っているとすれば、それはどちらかがログの公開を了承した場合に限られる。空也はナズナとの会話をスノッブに知られたくない。だから、必然的にナズナから……つまりナズナはそれだけスノッブに気を許しているということだった。

「ねぇ? 二人で抜け出さない?」

 唯の声がした。唯はナズナとスノッブの方を見つめたまま表情にも変化はない。

 秘密の会話だった。

ナズナはスノッブと二人だけの世界に没入してしまっている。

だから、たぶん気づかれることはない。自分がいなくなったところでナズナは気にも留めない。自虐的な思いに空也は囚われていた。

「エスパーマミーって漫画なんだけど……その、続きが気になって。アレクサンドリア図書館の場所わかる?」

「わかるけど……」

 空也は迷っていた。ナズナはスノッブとの会話を切り上げるつもりはなさそうだが、それでも空也はこの場に留まりたいと考えてしまうのだった。

「いいじゃん。二人は二人で仲良くやるって。そんなつらそうな顔してるの、これ以上見たくない」

 唯は空也の手を取って歩き始めた。後ろ髪を引かれる思いはしたが、離れていく空也を止める声はかからない。ナズナと一瞬目が合ったから、気づいていないはずは無いと思う。

「そんな引っ張るなよ。わかったから」

 空也はいらだちを隠せない。唯の手を振り払ってしまう。これでは八つ当たりだ。自己嫌悪に陥る。だが、唯は驚いた様子も見せずに微笑んでいる。

「……悪い」

「ん。何のこと? 案内してくれるんだよね? 違うの?」

 勘の良い幼なじみのことだ。きっと半分くらいは空也の気持ちに気がついている。その上でとぼけたふりをしてくれている。空也は唯の手を取り直すと走り始めた。急に引っ張られた唯は声をあげた。

「何だよー。変だよー。待って! 待ってってばっ!」

 視界から消えるまで結局一度たりとも引き止められることはなかった。けれども、空也は気にしないことに決めた。

 お人よしな幼なじみの期待に応えることがいまの空也にできることで、やるべきことだった。


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