90s nostalgia Ⅳ
それから数日間は何事も無く過ぎていった。
内気な控え目美少女クーヤを演出しつつ、話し相手はほぼ唯という学園生活を続行中。何かあってもらっては困るので、クーヤとしては願ったり適ったりだ。
風景に溶け込むように日々を送る。
それがクーヤの取った戦術だった。
隠れ潜む擬美少女としては正しい姿だ。
だが、クーヤは早くも飽きてきていた。張り合いが無さ過ぎる。
「他愛ないものね」
「どうしたの? 急に」
机を囲んで昼食タイム。メンバーはクーヤと唯の二人きり。
「ああ? いや、こっちの話」
「ふーん」
唯のお弁当は二段重ね。タコさんウィンナーとだしまき卵。きぬさやが彩りを添えている。
クーヤはサンドイッチの包装をぴりりと破る。
「……つまらない。そんな顔してるよ」
唯がタコさんウィンナーを箸に乗せて何気ない仕草でクーヤのほうに突き出してきた。特に何も考えずごちそうになる。
「よくわかるね。たまにエスパー発揮するよね。エスパー唯って呼ぼうか」
「エスパー? よくわからないけど」
「あー、うん。わからなくていい。変なこと言った。古い漫画の話だし」
スノッブのせいだ。
エスパーマミー。全六巻。
90s nostalgiaのアレクサンドリア図書館に所蔵されている。
シリアルキラーに殺された少女がゾンビとなって蘇り、超能力を駆使して殺人事件を解決していくミステリーバトルアクション。
少女は事件解決ごとに犯人に噛み付いてゾンビ化させ、仲間を増やしていく。
悪とは何かを考えさせられる良作だと思うのだが、途中で打ち切られていた。
「古い漫画? 気になる」
「ちょっと待ってて」
クーヤはアレクサンドリア図書館のアーカイブスにアクセスしてエスパーマミーの一巻を引っ張り出してくる。ふと気になって、閲覧履歴を確認する。
空也、スノッブ、スノッブ、スノッブ、ナズナ、スノッブ、スノッブ、スノッブ、スノッブ、スノッブスノッブスノッブスノッブスノッブスノッブスノッブスノッブ……見るのを止めた。
好きすぎだろ、スノッブ。
「これ。興味があったら読んでみて」
受け取った唯の顔が曇った。
首から激しく血のシャワーを迸らせる少女。白目をむいている。表紙のインパクトは抜群だ。
「うん。わかった」
唯はすぐに笑顔を取り戻して、電光石火で漫画を鞄の中に押し込んだ。
「そんなに慌てなくても、誰にも取られないよ」
「クーヤって……もしかして天然?」
「まさか」
「そうだよね。そうだと思った。食事中にスプラッタ渡されるなんてびっくりしたぁ」
クーヤは小首を傾げた。
唯も鏡のように小首を傾げた。
そして週末。90snostalgia。
「あはははははっ! なんなの、それ。面白過ぎ!」
ナズナはお腹を抱えて爆笑している。
空也が話し始めたときには興味なさそうな顔をして携帯ゲーム機をいじっていた。それを考えると喜んで良いのかもしれない。けれどもなんとなく釈然としないものを感じる空也だった。
「面白いかなぁ」
「面白いって。ひひっ」
空也はテーブルの上のバスケットに手を伸ばした。クッキーやラスク、チョコレートなどが雑多に放り込まれている。適当にラスクを選んでボリボリとほおばる。小さな幸せが口の中を満たした。
ナズナは肩を震わせながらティーカップを口元に運んだ。フーフーと息を吹きかけている。猫舌で熱いのが苦手なようだ。
その日の二人の衣装は魔法使い。
空也は黒いローブに三角帽子。ナズナは白いフード付きローブを着ている。
フードは切り立った山が二つ寄り添うような形をしているせいで猫耳っぽく見える。
「尻尾とかつけると……」
さらに猫っぽくなるかもしれない。
「は?」
空也の温かい妄想にナズナの冷たい視線が突き刺さっていた。
「そういうのが好みなの? 空也が言うならつけてあげてもいいよ」
「……いらないから」
誤魔化すようにレモンティーで口を塞ぐ。ほろ苦い。
「意地張っちゃってー。にゃんことくらそうとか読んでそうだもん」
ナズナの当てずっぽうな指摘は嫌なことに的を射ていた。
空也はスノッブから薦められて三巻まで読んでいるが知らないふりをする。
淡い色調で猫耳幼女が描かれている表紙はエスパーマミーとは別の意味で高い攻撃力を誇るからだ。
……主に性的な意味で。
空也としては女の子と二人で話すのは避けたい類の話題だった。
「隠したって閲覧履歴見ればわかるのににゃー。どうしてそんなつまらない嘘つくのかにゃー。わからないにゃー」
「わからないでよっ! せめてわからないふりしてよっ! にゃー、にゃーって明らかにナズナ読んでるよねっ!」
「にゃあ。読んでないにゃー。空也の趣味に合わせて、衣装をセッティングとか絶対してないにゃー。邪推しすぎだにゃー」
にゃーにゃー言いながら、ナズナは楽しそうに笑う。
手の平で踊らされている感は拭えないが、不思議と嫌な気持ちもしない。
「はいはい。認めますよ。猫耳尻尾つけたナズナさんが見たいです」
空也が投げやりに言うと
「こまるにゃー。えへへ」
ナズナは丸めた手で顔を洗う仕草をしてはにかんだ。
スノッブ経由で空也に回ってきたものは、もれなくナズナも目を通していると思ったほうが良さそうだ。
ところで、空也が気になっているのはナズナとスノッブの関係だ。
年齢は離れているし性別も異なる二人。共通点は特に見当たらない。
空也は二人に何度か尋ねてみたが、その度にはぐらかされてきた。少なくともお互いに悪印象は持っていないように思えるが……まさか二人は恋人同士なのだろうか。
「何かお悩み中、かにゃ?」
探るようなナズナの声で空也の意識は現実に引き戻された。
テーブルに乗り上げたナズナのローブの襟元は重力に引かれ、隙間からは白い肌がのぞいている。空也の視線も重力に引かれ、ナズナの胸元に落ちそうになる。理性を総動員して本能に抵抗する。
「うん。正解。見てるとすぐにわかるからね。別に見られて減るものでもないけど。好感度アップだよ」
ナズナはそっと胸元を押さえて微笑む。
空也はそらっとぼけるしかない。
「にゃーにゃー言うのやめたんだ」
「だって、にゃーにゃー言ってると本気にしないでしょ」
不覚にもドキっとさせられた。
「好感度アップって……ギャルゲじゃないんだから」
ナズナの顔がまともに見られない。
「にゃはは。誰も好感度の話なんてしてにゃいにゃ。おっぱいの話だにゃ。エロいにゃー」
ナズナは自分の胸を両腕で抱えるようにして持ち上げた。
「結構大きいから見られると恥ずかしいんだ」
空也の目は今度こそ間違いなくナズナの胸に吸い寄せられた。
してやったりと言うようにナズナの目が細められた。
「コロコロ態度変えられると反応に困るよ……」
「それが狙いだからね。微妙な女心をレクチャーしてあげているのだ。空也が女の子でいられるように」
そう言って、話は終わりとばかりに携帯ゲーム機のスイッチを入れた。
空也はバスケットからカカオチョコレートを一つ摘まんで口の中に放り込んだ。
ビタースイート。
ナズナはゲーム画面を食い入るように見つめている。片手で操作を続けながら、ずり落ちてきたフードを直そうとしている。ところが上手くいかないらしく潔く脱ぎ捨てた。長い髪がはらりと落ちる。
「空也も好きなことしていいよ。ここにいる必要も無いし」
ナズナはゲーム画面から目を逸らさずにそんなことを言う。
「あー……ごめん。何気に酷いこと言ったかも」
ゲームを一時中断して、しかしあくまでスイッチは切らずに、椅子を空也の隣に移動させた。肩と肩が触れ合いそうな距離だが、ナズナは気にしていないようだ。
「ロムが三種類あって、内容は基本的に同じなんだけど……」
空也にも見えるようにと、さらに密着してくる。
「ほら、図鑑が埋まってなくて。一つだと絶対にコンプリートできないんだ。一人でやっててもいいんだけど……その……」
ナズナはゲーム画面と空也の顔を交互に見ている。空也はナズナの体温がこそばゆくて体を引いた。
「スノッブならコンプリートしてるんじゃない?」
空也は気を紛らわせるために思ってもいないことを言ってしまう。
「アイツ。なんだかんだでいいやつだしさ。頼んだら、二つ返事で交換してくれるって」
「……ばか。もういい。しらけちゃった。出てってくれる?」
ナズナはふくれっ面をしてそっぽを向いた。
「え? え? え? なんで怒ってるの? 俺に頼むよりスノッブに頼んだほうが早いって。やってなくてもナズナのためなら……」
ナズナの姿が消えた。
空也はナズナの足跡を追跡しようとしたが、ブロックされていて追いかけられなかった。
こうなってしまっては、ナズナが許してくれるまで話すらできない。
「お前……バカだろ」
どこからともなくスノッブが現れて、バスケットの中からアーモンドチョコレートを取り出し放り投げた。小さなラグビーボールは綺麗な放物線を描いてスノッブの口の中に消えた。
「なんだ。スノッブいたのか」
「デジャブですな。甘いね。このチョコ。もっと甘くてもいい。チョコは甘ければ甘いほどいい」
あっという間に三つ。次から次へとスノッブの胃袋の中にチョコレートが吸い込まれていく。焼き菓子には一切手をつけない。ひたすらチョコだ。
「高級なんだぞ、これ。食わないの?」
残りが二つになったところでスノッブが聞いてきた。空也はため息まじりに首を振った。見ているだけで胸焼けがしてきそうだ。
「あ、そう。じゃ、遠慮なく」
スノッブはチョコレートを完食するとハンカチで指を拭い、テーブルに乗っていたティーカップを手に取った。
ナズナのカップだ。
「ちょっ! スノッブ待て。それナズナのだから」
空也は慌てて制止する。スノッブは一瞬眉をひそめ、口をつける寸前だったカップを見やる。空也がほっとしたのもつかの間、スノッブはニヤリと口の端を上げると、構わずカップに残った紅茶を飲み干した。
「あーっ! あー。あー……」
「砂糖もミルクもレモンもなしのストレートか。苦いね。だがそれがいい」
ポットを手にして二杯目を注ぐ。砂糖とミルクをたっぷり入れてスプーンでかき混ぜる。
「昔はあいつも砂糖ドバドバ入れてたんだけどなぁ。最近は太るの気にしてるみたいよ。ちょっとくらい太ってても可愛いのにね。どーしたの? 世界の終わりみたいな顔して。あ、もしかして狙ってた? ナズナの残り。変態さんだなぁ」
スノッブは空也のカップにポットから紅茶を注ぐと、ぎゅーっとレモンを絞った。
「疲労回復にはクエン酸が効くらしいよ。どぞどぞ」
疲労の原因たるスノッブは全く悪びれない。悪びれないからこその疲労の原因だ。空也は呪いの眼差しをスノッブに送った。
「おー。怖い怖い。そんな顔してにらんだって無駄無駄。ナズナはお前なんかに渡さないよ。早いとこバレないかなぁ」
「こぉんの、ロリコン! 一回り以上も年が違う相手をいかがわしい目で見やがって。光源氏気取りか。おっさん!」
「お! 若いのによく知ってるね。光源氏計画は男の夢だねぇ。ぬっふっふ。ナズナの初めての相手かぁ。それもいいなぁ」
スノッブは夢見るような目をしてろくでもないことを語る。
他人の詳細な女性遍歴に興味は無いが、年下の女の子を自分好みに育て上げる。それが光源氏計画であることくらいは空也でも知っている。
「ナズナに言いつけてやる」
「別にいいよー。ナズナとは親密な関係だから。間接キスくらい、どうってことないさ。キスだってしたことあるんだぜー。ナズナのファーストキスは俺のもんだもんね。過去は変えられない。ひひひっ。お前がどんなに頑張ったったところで。ふははははっ」
白衣をはためかせて高笑いするスノッブは、どこからどう見てもマッドサイエンティストのいでたちだ。美少女の敵は世界の敵のはず。しかし、ヒーローはおろか死神すらもスノッブを倒しに現れてはくれない。おそらく春の長期休暇中なのだ。桜の下で宴会をしているのかもしれない。
だから仕方なく空也が代行することになる。
「デタラメ言うな。ナズナに聞けばすぐにわかるんだよ。アホか」
「デタラメだって言い切れるかな? 俺が嘘をついたことがあるか? よく考えてみろよ。こんな吹けば飛ぶような嘘をつく理由を。あるか? うん?」
スノッブは自信たっぷりに笑っている。
紅茶に溶け込んだレモンの果汁のように、スノッブの嘘が空也の心に侵食してくる。
はたして本当に嘘なのだろうか。
ナズナに対する信頼が揺らぐ。そんな自分が嫌で空也は必死に心に浮き上がった疑念を打ち消そうとする。しかし、いったん浮かび上がった毒は心の隅々まで拡散していくばかりで、簡単には消えてくれない。
「カードゲームでもするか」
急に調子を変えてスノッブが言った。
手にはカードの束が握られている。空也の返事を待たずにカードをテーブルの上に並べていく。山が七つできた。それらを一つにまとめて、さらに同じ動作を繰り返す。ディールシャッフルだ。
「ただやるのも面白くないな。何か賭けるか。何が良いかな……」
「おい。誰もまだやるとは言ってないだろ。勝手に話を進めるなよ」
「いいや。お前はやるね。何故なら賭けるものは真実だからだ。お前が今一番欲しいものだろ? ほれ。デッキだしな」
スノッブはシャッフルをヒンズーシャッフルに変えて、デッキを両手で何度も切り直している。空也が渋っていると、スノッブはますます調子に乗った。
「負ける勝負はしたくないか? 賢明だねぇ。真実は闇の中へ。俺の真実じゃないぞ。お前の真実だ。逃げた、という真実は闇に葬ってやるよ。ナズナには知られたくないもんな。お情けで黙っていてやろう」
「うっぜーな。安い挑発にあえて乗ってやるよ」
空也はデッキを取り出した。スノッブ以上に素早くシャッフルする。
「やる気まんまんだねぇ。よしよし」
スノッブはダイスを二つ中空に放り投げた。