90s nostalgia ⅩⅥ
前回と異なり、到着時にはガイドが待ち構えていた。
スーツで身を固めたダメイドだった。
彼女は杓子定規に案内を申し出てからは一切口を開こうとせずに坂を下り始めた。
クーヤはマップを確認する。前回から大きな変化があったようには見られない。もしかすると、クーヤでは気づけない変化があるのかもしれないが、そんな微小な違いまで気にし始めたらきりがない。
マップ上には自分たちの位置が赤く示されている。
それを信用するなら向かう先には市場、そしてその先には海が広がっているはずだ。
「クーヤ、どう思う?」
「機嫌悪そうだね」
「そういうことじゃなくて」
「???」
「言うなれば、私たちは被害者なわけじゃない。全面戦争、宣戦布告するつもりなのかな」「それは……もしそのつもりなら、こちらに有効な手が無いのがわかっているのに向こうから接触してくるかな?」
「無条件降伏を迫るつもりなのかも」
「だったら、どうしようか」
「……クーヤに任せる」
「そっか。了解」
ダメイドの後ろについてまわりながら、二人はこそこそと内緒話をする。なにしろ敵地のど真ん中だ。用心してもし過ぎることはない。
それすらも傍受されている可能性は考えられるが、そのときはそのときだ。
それに公表する側にもリスクは付きまとう。毒をもって毒を制す、という考えかたもあるにはあるが、汚点は汚点として記録される。そこから先は泥試合で汚物のぶつけ合いだ。
それを避けたいのは彼女たちも同じはずだ、とクーヤは思う。
考え事をしている間に奇妙な市場に着いた。
初めは何がおかしいのか判断に迷うクーヤだった。けれども、歩くにつれて漠然とわかり始めてきた。
道の先に軒を連ねる店の数々。その数メートル前まで来ると、ポップアップウィンドウが自然と浮かび上がり、商品や食事のメニューなどが提示される。しかし、クーヤたちが通り過ぎると、何事も無かったかのように静けさを取り戻す。
それらには目もくれず歩き続けるダメイド。
人の気配というものが皆無だった。屋敷の周りは人がいなくてもおかしくはないが、市場で全く人がいないというのは少し変だった。けれどもダメイドは特に気にしていない様子なので、ここではそれが当たり前なのだろう。
寂れた市場を抜けた先には見渡す限り青い海が広がっていた。
水平線の彼方まで見通せる。空に向かってにょきにょきと入道雲が生えていた。
音もなく流れていきそうな細かな砂の上に鮮やかな金髪の少女が立っていた。
白いワンピースを着ている。小さな足を包むサンダルは睡蓮の花をイメージしたワンポイントが可愛らしい。
目深に麦藁帽子を被っているので顔は見えないが、まずミズハナで間違いないだろう。
「お嬢さま。お連れしました」
「ごくろうさま」
少女は帽子を脱ぐと、クーヤたちに向かって深々と一礼した。上げた顔を見てみればやはりミズハナだった。
クーヤは内心少し身構えた。ミズハナの顔に険が寄っていたからだ。
「ダメイド。あなた、説明していませんね」
「おっしゃられる意味がわかりませんわ」
ミズハナの目が釣りあがった。射殺さんばかりにダメイドを睨みつけている。
「それではごきげんよう。あとは私抜きでお楽しみください」
役目は果たしたとばかりに逃げようとしたダメイドのスーツの襟首をミズハナは後ろからぐいっと引き寄せた。
「待ちなさい」
「お嬢さま、首が、絞まって……います、わ」
「絞まっているのではありません。これは絞めているのです」
まるで窒息せよと念じているかのようだ。
事情が知れないことには迂闊に動けない。それは唯も同じだった。二人して成り行きを見守ることしかできない。その間にもミズハナはダメイドへの責め苦を強めていく。
クーヤが気の毒に思い始めたところで、ダメイドが口を開いた。
「わかり……ました。わかりましたから、放して……ください。このままでは窒息してしまいます!」
「ようやく自分の立場というものを理解したようですね」
解放されたダメイドはゲホゲホと咽びながら喉をさすっている。それを横目に、ミズハナはクーヤたちの方に向き直った。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
頭を下げて謝罪を述べる。心の底から悪いことをしたと思っているようで、ミズハナの顔には陳謝の気持ちがありありと表れていた。それだけにクーヤにはわからない。自分たちを陥れた人物と目の前に立つ人間のイメージが乖離していた。
「話は全て聞かせてもらいましたわ」
「聞かせて……無理やり吐かされたような気がしますが」
「あなたが正直に話そうとしないからでしょう。まぁいいわ。少し黙ってなさい」
ダメイドを制して、ミズハナが事情を詳しく説明し始めた。
ミズハナの話によると、ここはミズハナのプライベートビーチらしい。
普通なら入ることはできないが、前回二人はダメイドの手引きによって誘い込まれたということだった。さらに地下室での一連の映像を校内にばら撒いたのも彼女だった。ミズハナはそんな内幕まで包み隠さず教えてくれた。
「本当に申し訳ないことをしたと思っているのです。飼い犬のしつけはきちんとしているつもりでしたが、こんなことになってしまって。できれば穏便にことをすませてはいただけませんか?」
「……私はお嬢さまのことを思って致しましたのに」
愚痴るダメイドのすねをミズハナは無言で蹴った。
「あぅ」
「黙っていろと言ったはずです。あなたが話すとややこしくなりますわ」
ミズハナにきつく叱りつけられてダメイドは涙目になっていた。
「擁護するわけではありませんが、悪意ある加工を行ったのはうちのものではありません。彼女が流したものを他の誰かがさらに加工したのでしょう。しかし、そうなることくらい予想できそうなものです。完全にこちらの落ち度です。どうすれば許していただけますでしょうか」
クーヤは唯の様子をうかがい見た。事の真相はわかった。あとは彼女のさじ加減に任せたかった。傷ついたのは彼女だからだ。クーヤが決められることではないと思った。
「元の動画、見せてもらえますか。ダメイドさんが流したやつ」
「それはかまいませんが、その……ここで?」
「はい」
無表情で言う唯を訝しがりながらも、ミズハナはうなずいた。
中空にスクリーンが浮かび、映像が流れ始めた。それには全く手が入っていなかった。ありのままの二人が映し出されていた。音声はほとんど拾えておらず、それは聞きようによっては変な風に聞こえないこともないという具合だった。
「あの……あのですね。お二人は凄く仲が良さそうに見えたんです。コンテストにはマイナスになるでしょうが、冷やかすくらいの軽い気持ちだったんです」
「ダメイド、黙りなさい」
映像の中の二人を客観的に見せられると、まるでギャグのようだった。クーヤは毒気を抜かれた気分だった。
「償いは、してもらいます」
映像が終わると唯は静かに告げた。
プロモーションムービーを撮ることになった。
わけがわからないクーヤだったが、それで手打ちにすることに決まった。
全ては唯の一存だ。誰も口出しできるはずが無かった。
クーヤ、唯のタッグとミズハナ、ダメイドのタッグでガチバトルをする。
種目はビーチバレー。
そういう煽り文句だ。けれども実際は唯、ミズハナ、ダメイドの三人は完全に引き立て役に徹することが事前に取り決められた。
「ひーん。こんなのってあんまりです」
布面積が小さく色々なところが危ないマイクロビキニを着せられたダメイドが膝を抱えて悲鳴を上げた。ダメイドのスタイルは悪くない。あの格好で飛んだり跳ねたりしなければならないとは、悲惨の一言だ。
「諦めなさい。自分で蒔いた種です」
抜群のプロポーションを誇るミズハナは競泳水着を着ている。
ビキニや柄のついたワンピースなども試してみたが、最終的にはそこへ落ち着いた。理由は何を着ても目立ってしまうから、という何とも悔しい話だった。
準備運動に余念が無い唯は一人だけスクール水着だ。
胸元にはデカデカとユイの二文字。学校指定のものだから目立たないと思っているのかもしれないが、貧相な体には良く似合っていた。
「何か失礼なこと考えてない?」
「そ、そんなことないってば。いやだなぁ」
相変わらずの勘の良さにクーヤは内心舌を巻いた。
「なんかよくわかんねーけど、俺なんかでいいの?」
「はい。よろしく願いします」
撮影役にはモブオを呼び寄せた。
彼には撮影のコンセプトだけを話して、詳しいことは話していない。
ビキニを着たクーヤの胸元をちらちらと見ているのは丸わかりなのだが、騙している分くらいはサービスしてやってもいいかな、とクーヤは思う。
「私のなら堂々と見てもいいですよ」
「あっ……や。違うんだ。これはその。なんていうか……」
クーヤもナズナにやられたから気持ちはよくわかる。慌てなくてもいいのに、と思う。なにしろクーヤは見られて減るものなど最初から持ち合わせていないのだから。
「おう。じゃあお言葉に甘えてたまに見させてもらうよ。バッチリ脳裏に焼きつけておくぜ。絶対に消去しないからな」
胸を張って自慢するように言うのはなんだかおかしかった。
ネットを挟んでミズハナたちと対峙する。
あとで編集を挟むのでゲームそのものは小細工なしで進めることに決めた。二セット先取の三セットマッチ。各セットは二十一点目を先に決めたほうがものにする。両手で体を隠すようにしているダメイドはおそらく戦力にならない。唯による復讐劇の幕開けを予感させた。
本人のたっての希望により、ゲーム開始のサーブは唯から始めることに決まった。
高々とボールを投げ上げると、跳びあがり、全身を鞭のようにしならせ思いっきりボールを叩きつけた。
「死ねっ!」と謎の掛け声を上げて気迫を込めていたような気がするが、クーヤは聞かなかったことにした。
剛速球がダメイドの顔面目がけて迫る。唯は小柄だが、運動神経は研ぎ澄まされている。並の女子なら二対一で勝負をしても唯が勝ちそうな気がする。ダメイドが反応できるとも思えない。つくづく恐ろしい女だった。
ダメイドは恐怖に顔をひきつらせている。そんな彼女の元に颯爽とかけつける影があった。コートの反対側にいたはずのミズハナだ。唯の目論見を看破したのだろう。余裕の笑みを浮かべて、ボールをレシーブする。
「ダメイド。上げなさいっ!」
「は、はい」
へなへなと打ち上げられたボールを勢いよくスパイクする。狙いすましたようにコートの隅へと突き刺さった。
「おー。すげー」
審判役も兼ねたモブオが拍手をおくる。
「ちっ」
ボールを拾い上げながら唯は舌打ちをする。
クーヤは悟った。これは実質唯とミズハナの一騎打ちになる。唯の弾丸サーブを安々とレシーブして得点まで決めて見せたミズハナにクーヤが太刀打ちできるとはとても思えなかった。
ならばクーヤのやるべきことは一つだった。
殺伐とした空気がなるべく画面越しに伝わらないように可愛いらしい少女を演じるのだ。それが唯に求められていることでもあると、自分を納得させる。クーヤが主役というのは建前で、ゲームの暗部を隠すために配置されたコマだということを瞬時に理解した。
サーブ権がミズハナ側に移った。コントロール重視の素晴らしいサーブが飛んできた。クーヤに取れないこともない、そして唯からは遠い絶妙なサーブだった。クーヤが駆け寄ってレシーブすると、唯から非常に打ちやすいトスが上がった。ジャンプして敵陣、二人の間に打ち込むと、ダメイドがミスして点が入った。
「なかなかやりますわね」
できた人だった。唯の要求通りに不自然なくクーヤに華を持たせる。わかっていても普通はできない。生徒会名誉会長を自称するだけのことはあった。
ミズハナは殺意の衝動に溢れた唯のスパイクを難なくレシーブし、適度に点数を稼ぎつつ、時には味方のミスを誘発する。全てはゲーム展開が単調にならないように演出するためだ。
一セット目はクーヤたちが取り、二セット目はミズハナたちが取った。
ほとんどミズハナが一人でゲームをコントロールしていた。二セット目の途中からは唯もセットを奪われないように、露骨なダメイド狙いをやめてゲームに集中していた。それにも関わらず、結果を変えることはできなかった。
「あの人、何なの? おかしくない?」
玉の汗を浮かべて、肩で息をしながら毒づく唯に水分補給のためのボトルを渡してやる。クーヤもミズハナの運動能力の高さには驚いていた。唯がスポーツでこれほど手玉に取られているのを見たのは初めてだった。
「唯の要望を素直に聞いてくれてアレだもんね。ポテンシャル高過ぎ」
「クーヤ、相談したいことがあるんだけど」
耳打ちされてクーヤは目を見開いた。「本気?」と尋ねると、唯ははっきりとうなずいた。元々唯の気が晴れればそれでいいのだから、クーヤに反対する気は起きなかったが、さすがに耳を疑った。
「好きにしていいよ」
クーヤが言うと、唯はミズハナに向かって叫んだ。
「最終セットはヤラセなしでお願いします!」
ミズハナは一瞬目を丸くしていたが、唯が本気で言っているのがわかると、嬉しそうに笑った。
「いいですけど……勝ってしまいますわよ?」
「勝つのはクーヤです! クーヤは実力の三割ほどしか出してません!」
「ええ!?」
唯に背中を押されるが、そんな話は見たことも聞いたこともなかった。どんなに頑張っても自分が唯のように動けるとは思えない。ましてや相手はミズハナだ。実力勝負で倒せる理屈があるならいますぐに教えて欲しい。
「ばか。結果はどうでもいいのよ。どうせあとで編集するし。クーヤが主役なんだから、ここはハッタリでも何でもかましてインパクトを植えつける場面じゃない」
囁かれてクーヤにもやっと事情が飲み込めた。それなら話は簡単だった。
「いよいよ私の本当の力を見せるときが来たようですね。あまりに単調で退屈していたところですよ。圧倒的な実力の違いというやつを教えてさしあげましょう」
「クーヤ。それじゃ悪役だよ……」
何はともあれ運命の第三セットが開始された。