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90s nostalgia ⅩⅤ

 家の前まではすんなり来ることができた。しかし、そこで空也は冷静になった。勢いのまま呼び鈴を鳴らせば良かったのに、はたと気づいてしまった。

理由が無い。

 空也が唯と最後に会ったのはアレキサンドリア図書館だ。

 本当は毎日のように学校で顔をあわせているが、表向きは会っていないし、彼女の窮状も知らないことになっている。クーヤは空也なのだから、気にすることはないのかもしれない。だが、空也は呼ばれもしないのに彼女の家を訪ねたことは無かった。無駄に緊張していた。

 大義名分とまではいかなくても、口実くらいは欲しい空也だった。

 彼女の欠席理由すらも空也は知らない。状況的に流出した動画のせいだとは思っているが、ただの風邪だという可能性もなきにしもあらず。

 いっそお見舞いということにしてしまおうか。それなら、不審がられることもない。しかし、どこからその情報を手に入れたのか。考え始めるときりが無かった。手のひらに変な汗をかき始めていた。

「人んちの前で何やってんの?」

 突然声をかけられて、空也は驚きのあまり声を上げそうになった。寸前で飲み込む。臙脂色のジャージを着込んだ唯が立っていた。胸に名札が縫い付けられている。中学時代のジャージだった。

「なにって。なにって、唯こそ何やってんだよ!」

「走ってた」

 若干息が上がっているし、顔もさくら色に染まっているから嘘ではなさそうだ。

「むしゃくしゃしてたから。走って気でも紛らわそうかと思って」

「そうじゃなくて! 学校休んで何してんだよ!」

「だから走ってたって言ってるじゃない。空也、どうしたの? 何かあった?」

 唯は本気で意味がわからないといった感じで首を傾げている。

「心配するだろ! あんなふうに、その……泣いて。次の日学校来なかったら!」

「あー……ああっ! そうか。そうだったね。うーん。色々言いたいことはあるけど……いいや、それは」

 そう言って何でもないように笑われてしまうと、空也としては立つ瀬が無いのだった。杞憂だったと喜ぶべきなのかもしれない。しかし、本当に前日泣いていたのと同じ人間なのかと疑うほどの立ち直りの早さだった。

「とりあえず、上がってく?」

 あっけに取られたままうなずくしかなかった。


 そして、部屋に通された空也は焦りまくっていた。

 唯はいない。汗をかいたからシャワーを浴びると言い残して出て行った。

 空也自身も正確には覚えていないが、中学に上がったころから唯の部屋には入ったことがなかったような気がする。数年の間に部屋の中は様変わりしていて、とにかく落ち着かなかった。ベッド横の棚に座ったテディベアが、丸い黒い目を光らせて空也を見張っているように思える。

 いたたまれない気持ちになって目を逸らすと、壁に飾られたハート型のボードに何枚も写真が貼ってあるのが目に入った。そこには見慣れた人物の姿が並んでいた。様々な角度から取られたクーヤの写真だった。手書きで「WANTED!」「GUILTY!」と、書き殴られている。見なかったことにした。

 こんなことなら、いっそのことクーヤとして来たほうが良かったのではないか。ぬいぐるみにしても、ボードの写真にしても話が弾みそうな気がする。弾ませてどうする。そもそも彼女の顔を見られた段階で空也の目的は八割以上達成できたようなものだった。それなのに……思考停止に陥っている間に気がつけば窮地に追い込まれていた。

「お前ならご主人さまの気持ちくらい簡単にわかるんだろうな」

 テディベアの両手を持って上下に動かしてみる。答えるはずもないが、なかなか愛嬌のある表情をしているように思えた。

「……人の部屋で楽しそうになにやってんだか」

「な、なにもしてませんよ。無罪です。音も無く入ってくるなよ。心臓に悪いだろ」

「自分の部屋に入るのにノックはしないでしょ」

 濡れた髪をタオルで拭きながら、唯はベッドの上に座った。ほのかに漂うシャンプーの香りが空也の鼻腔をくすぐる。うっすらと色づいた薄い肩や、ショートパンツから伸びるこれまた薄い太ももに、空也はどきまぎしてしまう。

「今日の空也、ちょっとおかしくない?」

 パックジュースにストローを挿して咥えた彼女の濡れた唇にまで、変に意識が向きそうになる。意識しないようにすればするほど、意識してしまう悪循環に陥って空也はダメになりそうだった。

「おかしいのは唯だろ。なんでそんなにケロっとしてるんだよ」

「ケロっとしてるように見える? これでもはらわた煮えくり返ってるんだけど」

 ちゅぱっとストローから口を離して、握りつぶした容器をゴミ箱に向かって投げ捨てた。

「犯人は許せないよ。絶対に復讐してやるんだ。泣き喚いて靴の裏を舐めさせて、土下座しても許してやらない。後悔してもしきれないくらい後悔させてやる」

 部屋の一点を見つめて、淡々と表情を凍らせて語る彼女はそれだけに恐ろしかった。

「……冗談だよ。まさか本気にした?」

「……まさか」

「そうだよね。そうだと思った」

 精一杯の笑顔を見せる彼女にそれ以上詳しく聞く気にはなれない。空也は別の話題がないものかと、部屋の中を見回した。

「ねぇ。あの写真の女の子のこと、どう思う? クラスで仲よくなったんだ」

 とぼけようとしても、部屋のなかに飾られてある写真は一種類だけしか見当たらない。彼女の視線も同じところに刺さっている。

「へー。なかなか可愛い子だね」

「そうだよね。そう言うと思った。私、彼女のことが好きみたいなんだ」

 穏やかな微笑を浮かべて、おどけたように言う。

「いいんじゃない? 仲いいんだろ?」

「うん。そうなんだけどね。彼女も私のことを大事にしてくれてるって思うんだけどね。たぶん、私の好きと彼女の好きは違うような気がするんだ」

 唯の顔を見る勇気が空也には持てない。彼女の中では空也とクーヤが明確に区別されているのだろうか。それとも同一人物とは考えていないのだろうか。

「困らせたいんじゃないの。彼女には面と向かって言えないこともあるんだよ。空也になら言えるんだけどね。自分でもわけわかんないなぁと」

 そこで、改めて空也は彼女のほうに向き直った。

 綺麗だった。

 一瞬でも目を離すと壊れてしまいそうな繊細さに息を呑んだ。空也の知らない唯がそこにいた。

「空也?」

「ああ。うん……それは困ったね」

「何よそれ。馬鹿にしてる?」

 クスクスと笑う唯に合わせて、空也もぎこちなく笑った。

ま るで魔法にかけられたみたいだった。まさか幼なじみに見惚れてしまうなんて。一生の不覚。気の迷いとしか思えなかった。

「なんか元気出てきた。前にこうやって二人で話したのいつだったかな。昔に戻れたみたいで嬉しい」

「そうですか」

 空也は若干複雑な心境だったが、唯の調子が戻ったならそれで良いと思えた。

「うん。だから『クーヤ』呼んでくれる? 彼女に話したいことがあるの。『空也』ならできるよね」

 微妙にイントネーションを変えて発音する。

「それは……」

「私もめんどくさいことは言いたくないの。空也は彼女を呼んだら帰っていいから。なんならトイレ貸そうか? 空也、トイレから抜け出すの得意だったよね」

「ああ。もう。わかったよ。トイレでマジックショー見せてやればいいんだろ。タネも仕掛けもあるから詮索するなよ」

 空也はヤケクソぎみに言い捨てて部屋を飛び出し、律儀にトイレに篭もり錠剤を飲み込むと、三分間クッキングも驚きの早さで唯の元へ舞い戻った。

「どうも! 呼ばれたみたいなので来てみました!」

「お見舞いありがとう。まさか来てくれるなんて思わなかったからびっくりしちゃった」

 あまりに白々しい棒読み加減に、あきれを通り越してただただ感心するほかないクーヤだったが、それよりも彼女の脇に置かれているもののほうが気になった。大きな白い鳩が一羽、鳥かごのなかで暇そうに首を振っていた。特に目を引くのは脚に取り付けられた細長い筒だ。

「懲りないね、唯は」

 すぐに察しがついた。ネズミから鳩へグレードアップしているが、唯は何か仕掛けるつもりなのだ。

「何か勘違いしてるみたいだけど……送りつけられたのよ、コレ。昨日の夜に。贈り主もわかってて、ミズハナさんなんだよね」

「ミズハナさんが? 怪し過ぎる」

「私もそう思う。だから、一日かけて調べてみた。でも全然だめ。なんにもわからなかった。脚の筒に手紙が入ってたんだけど」

 それは招待状だった。

 ミズハナを追ってたどり着いたリゾート地への呼び出し。ユイだけではなく、クーヤも招待されていた。必ず二人で、と書き添えられている。

「どうしようか?」

「行きたいんだよね? 聞くってことは」

 唯は答えない。

 学校を一日休んでまで調べていたほどだ。受け取ったその時から誘いに乗るつもりだったに違いない。一度痛い目を見たくらいで……いや痛い目を見たからこそ、雪辱を果たしたいはずだ。クーヤも同じ気持ちだった。

 だから、クーヤは唯の手を両手で包んだ。

「私もやられたままだと悔しい。行こう」

「なんか今日のクーヤはクーヤじゃないみたい。女の子のほうがいいよ。絶対」

 唯はきらきらとした目をしている。空也には一度たりとも向けられたことのない眼差しだった。まさか男としてのプライドを女の自分に傷つけられる日が来るとは夢にも思わなかった。クーヤは嬉しいような悲しいような微妙な感じを味わっていた。

「それで、私が男の子になるの。初めてはクーヤがいいな」

「危険な妄想をするのはやめてくれ。男に抱かれる気は無いから」

「じゃあ、女同士だったら良い?」

「それは……いや、やっぱり駄目だろ」

「そっか。そうだよね」

 唯は心底残念そうに呟いた。


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