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90s nostalgia ⅩⅠ

 時間は過去から現在に、そして未来へ向かって不可逆的に流れている。

 過去の選択の結果として現在が存在する。現在の選択の結果として未来が決定される。

 無数の選択肢。無限の未来。

 選択によって収束していく世界。

 漏斗に注がれるカオティックな情報。それを選別するフィルター。ろ過された無色透明な過去は、しかし、固有の情報を保持したたままできらめく砂のように沈殿していく。

 それは過去の可能性にほかならず、過去もまた無限の可能性を秘めていることにほかならない。

 存在と時間の等方性について……。


                          ドクター、ジニアの日誌より



 渡された測定器を唯はためつすがめつ眺めていたが、実際に何度か操作して机に置いた。

「で、内緒で二人に会ってたあげく私に相談するわけね」

 あきれたように言いながらも、唯はどこか楽しそうだった。

 クーヤはあんパンの包装を破いて一口大にちぎった。目立ち過ぎるという理由で屋上での昼食会は無期限延期中だった。あの一件――ミズハナのコンテスト開催宣言――以来、アリサとの関係は急によそよそしい他人行儀なものになってしまった。何日もまともに話をしていない。

「それでどう思う?」

「どうって……まぁまとも? ミズハナさんはこの学校じゃ一番可愛いでしょ。私も嫌いじゃないよ、ミズハナさん。遠くで見てる分には楽しい人だし。ちょっとアホっぽいけど。ダメイドさんはミズハナさんの影に隠れて目立たないだけで、レベル自体は高いし」

「……唯は?」

「私? 私は……そうだなぁ。自分で自分のこと可愛いとか言っちゃうのってバカっぽくてヤなんだけど……クーヤよりは可愛いんじゃない? 測定を信じるなら」

 冷静そのもので言われると、それはそれで凹まされるクーヤだった。

「女の子に勝てなくてもいいじゃん。というか、クーヤに負けたら私の立場ないんですけど。あー、良かった。美少女力低くなくて」

「ナズナが三千七百というのは?」

「うん? まぁ、見た目は可愛いと思うよ。見た目は。認めたくないけど」

 唯も順番に異論はないらしい。残念ながら測定の正確さは疑いようが無かった。

クーヤは遠くに座っているアリサに測定器を向けた。

数字が表示される。三千五百。

「へー。男子も測れるんだ。今度、測らせてよ」

「アイツってカッコいいんだな。いまさらながら」

「……無視すんなし。別に数字が低かったからって、全然かまわないんだけど。むしろ競争倍率低いほうが何かといいと思うよ」

「いいことないだろ?」

「そこは無視しなよ」

 額をこづかれた。わけがわからなかった。

「そんな顔しない。なんだか私がいじめてるみたいじゃない」

「そうなの? 全然そんな感じはしないよ」

 クーヤが聞き返すと、唯は難しい顔をして考え込んだ。

「クーヤがクーヤだってことはわかってるんだけど……目の前にいるのはどこからどう見ても女の子なわけ。とってもやりにくいの。知らない人と話してるみたいで」

「そんなもん?」

「そんなもんです」

 言われてみれば、確かに男で会う時とは微妙に態度が異なっているような気がする。クーヤとして接しているせいかもしれない。

 ところで、クーヤもたまに唯のことが全くわからなくなることがある。それも、自分が女の子を演じているせいなのだろうか。少しだけ考えてみたが、すぐにその考えは頭から追い出した。現時点では男として学校生活を過ごすことは考えられない以上、その仮定は無意味に思えたからだ。

「なんか手っ取り早く美少女力を上げる方法って知らない?」

「私が教えて欲しいくらい。それにしてもなんで、わざわざミズハナさんに勝とうとしてるの? 負けたほうが後腐れないよ。アリサからもスパッと手を引けば万事解決。その方が大過なく学生生活を送れるって」

「それは……」

「まぁどうせナズナにいいとこ見せたいだけなんでしょうけど」

 クーヤが何か言う前に、唯は一人で納得してふてくされた。当たっているだけに言い返せない。長い付き合いの中で性格を熟知されていた。

「だからその顔やめてよ。ホントに苦手なの。というか、私って女の子苦手だったんだ。結構ショック……」

 唯は頭を抱えてうずくまった。

「ネガティブキャンペーンとかどうかな?」

「悪い噂を流すの? ミズハナさんの? あんまり意味ないんじゃない? ミズハナさんが人気なのって、あのキャラクターあってでしょ。影で暗躍とか似合うタイプかなぁ。ダメイドさんならありえるかも」

「よくそこまでわかるね。ちょっと感心した」

「あー、うん。そうだね。そうかも。嫌なんだけどなぁ。自分のそういうところ」

 どうにも歯切れが悪い。

クーヤがまじまじと見つめていると、それに気づいた唯は目を丸くした。

「なに? もしかして顔に何かついてる?」

 わたわたと口の周りを拭っている。

「ついてないよ。気になってたのはもっと別のこと。誉めたつもりだったの。それなのに不服そうだったから」

「それはちょっと違う、かな。小ずるくて腹黒いの。自分より可愛い女の子って大嫌い。いなくなれって思っちゃう。数字出たじゃない? 私は二千五百。それって内面も加味されてるのかなって。ミズハナさんとか……ナズナとか。その、やっぱり可愛いから」

 唯は笑顔を見せているが、心の底から笑えているかどうかくらいは、いくら鈍いクーヤでもわかることだった。

「唯のいいところってさ。ちょっとわかりにくいっていうか……奥ゆかしい? は、違うか。慎み深い、も違うな。目端が利く、のは嫌なんだっけ? 小動物みたいなのは……どうだろ? マニアックかも」

「褒めるのか貶すのかはっきりしてよ」

「ユニーク! ユニークなのが良いと思うよ。一筋縄ではいかないところとかチャームポイント!」

「そうですか。クーヤの気持ちはよくわかった」

 唯はやれやれとため息をついた。唯の長所なんていくらでも知っているはずなのに、いざ言葉にしようとすると、適切な言葉が出てこない。クーヤは困り果ててしまった。

「……ありがと」

「は?」

 唯の唇から滑り落ちた呟きは、小さすぎてクーヤの耳は拾いきれなかった。

「なんでもない」

 唯は照れくさそうに顔を背けた。

「なんでもないって……」

「クーヤの言うことも一理あるなって思ったの。個性を大事にしようって。それだけ」

 唯は少し恥ずかしそうに笑顔を見せた。

 切り換えの早さも唯の数ある美点の一つだった。

「よし! ネガティブキャンペーンでも何でもやってやろうじゃないの。火の無いところにだって煙は立てられる。馬鹿と煙はなんとやらって聞くわ。親和性は高いはずよ」

「……言い出しておいてなんだけど、止めた方がいい気がしてきた」

「だいじょーぶだって」

 唯の何かに火をつけてしまったらしい。真剣な顔をして自分の世界に没頭している。既にクーヤのことは目に入っていないようだ。

「怪我しないようにね」

「何言ってんの? クーヤも計画に入ってるよ」

 唯は当たり前のように言い切った。


 全ての授業が終了した。二人は校内で適当に時間をつぶし、人気が無くなってきたところで、ミズハナの教室に潜入した。唯は一直線に教室の中を突っ切って、誰か――おそらくミズハナの机の前――で立ち止まった。

「これが?」

「そう。ミズハナさんの机だよ」

 答えながら唯はしゃがみこむと、躊躇無く机の中に手を突っ込んで漁り始めた。

「うわぁ。信じられないことするね」

「別に何をしようってもんでもないから。あー、うん。いたいた」

 立ち上がった唯の手には何も握られていない。

 クーヤは首を捻る。

「可視化するね」

 ぽうっと淡い光を放ちながら唯の手のひらに現れたのは白いネズミだった。妙に長い耳をしているせいで、ウサギのようにも見える。唯の体を駆け上って肩に収まった。おねだりをするように彼女の頬に体をすり寄せている。

「何それ? というか、いつの間に? 突っ込みどころ満載なんだけど……」

「昼休みの間に放っておいたの。追跡の秘密兵器よ。わかってると思うけど、ソフトウェアで生き物じゃないから。その辺は大丈夫」

 ネズミの首根っこを捕まえてキスをすると放り投げた。ネズミは空中で体を入れかえて着地すると、一目散に走り始めた。転々とした足跡が繋がって光の筋になっていく。すぐにネズミの姿は見えなくなった。

「うまくリンクを辿り始めた。これでミズハナさんの私生活をのぞく準備は完了。クーヤ、どうする? 行く? それともやめる?」

「行かないって言ったらどうするの? 一応聞くけど」

「一人で行く。決まってるじゃない」

「だよね。付きあうよ」

 学園生活を送る上でミズハナの存在は無視できない。それならば、弱みの一つでも握っておいたほうが良さそうな気がする。実際、彼女のせいでアリサとの関係はぎくしゃくしている。実を言うとクーヤはアリサのことが嫌いではなかった。あくまで同性の友人としてだが。

「それにしても、唯の知らない面をドンドン見せられて困惑ぎみなんだけど」

「知り合ったばっかなのに変なこと言うのね。いいじゃない。男の前で猫被ってる女より」

「それは……」

「もしかして、またナズナ? いまのはそういう意味じゃないって。猫被ってるのはクーヤのことだよ」

 けらけらと笑い声を上げる唯を見て、クーヤはひとまず安心した。


 帰宅途中に寄り道をする。

 学生にはありふれた行動だが、ルートは無限に存在する。

 出発点と到達点を結ぶ最短コースを調べることに意味は無い。それは既に確立されたルートで、時間としては一瞬で行き来が可能だからだ。それにもしも自宅に入られてしまったならネズミごときではセキュリティを突破できるとも思えない。

 時間と距離の関係も同様にほとんど意味をなさない。速度が大き過ぎるせいだ。

 ネズミの足跡を頼りにミズハナを追跡する。

 たどり着いた先は、古い西洋風の街だった。

ミニチュアマップを呼び出すと、精巧な三次元のマップが中空に浮かび出てきた。観光案内が始まりそうだったので、二次元簡略表示に切りかえた。

 坂の街だった。

クーヤたちが立っているのは街の中腹あたりのようだ。遠くに海岸に打ち寄せる白波が見えた。

「なんだかいかにもそれっぽくて嫌な感じがする」

「ミズハナさん、ここに住んでるのかな?」

「それはどうだろ。学校から直帰してるってこと? それにプライベート空間のセキュリティを破れるほど高性能じゃないよ、私のネズミ」

 石畳の上を転々とネズミの足跡が続いている。路地に入り見えなくなっているが、坂の上には古い洋館がそびえ立っているのが目に入った。

「登るか。それとも降りるか」

 唯は立ち止まったまま考え込んでいる。

「降りてどうするの。賑やかそうなのは確かにアッチだけど、足跡は上を目指してる。素直に登ろう」

「クーヤ。ちゃんとマップ見た?」

 言われて、マップを再確認する。港があって市場が開かれているのは低地。屋敷がぽつぽつと建っているのは高地。どう考えても目指すべきは上で間違いなさそうだ。

「ミズハナさんがいそうなのは上だろ?」

「面白そうなのは下じゃない? 年中泳げるみたいだよ」

「だから?」

「わかった。登ろう。私もミズハナさんは上にいると思うな」

 唯はどこかげんなりとした様子で歩き始めた。

 確かに坂は長い。登りきるには骨が折れる。しかし、道標が上を指しているのだから諦めるしかない。クーヤだって登らずに済ませられるならそうしたかった。

 進み始めてしばらくすると、クーヤは奇妙なことに気がついた。手入れされた街路樹や明滅する信号など、街並みは生活観にあふれている。ところが大通りを進んでいるにも関わらず誰ともすれ違わない。細い路地を覗いてみても結果は同じだった。犬や猫が我が物顔で闊歩している分、余計おかしく感じられた。

 まるで人間だけが抜け落ちたようだった。似た雰囲気を感じる場所をクーヤは訪れたことがある。ナズナやスノッブと出会う前の僅かな時間、90s nostalgiaに漂っていた空気と酷似していた。

「なんだか寂しいところだね」

 誰とはなしに唯が呟いた。

 管理が行き届いたゴーストタウン。無色に漂白された透明人間の街。ぞっとしない想像だった。

 草生した屋敷の前に出た。ネズミの足跡はその中へと続いている。

 クーヤは呼び鈴を鳴らした。それなりに大きな音が辺り一帯に響き渡った。

「普通、押すかな……」

「だって、誰もいなさそうだし」

 クーヤはそう言いながら、本心では別のことを考えていた。探索を打ち切って帰りたくなっていた。嫌な予感がひしひしとしていた。心のどこかで、鉄柵門の向こうの重そうな玄関扉を開いて誰かが出てきてくれることを願っていたのかもしれない。

 屋敷からは誰も出てこない。

 鉄柵門に触れると、意外なほどあっさりとそれは開いた。

 ドアノブを回す。玄関扉にも鍵はかかっていなかった。クーヤは一瞬躊躇したが、結局は開けることにした。

 室内は明るく清潔に保たれていた。埃ひとつ落ちていない。物音ひとつしなかった。外観からはわからなかったことが、一つだけ明らかになった。屋敷には地下室が存在していた。ネズミの足跡は階段を下っていた。そして、その先はやけに薄暗く、見通しが悪かった。

「ミズハナさん、実は吸血鬼だったりして」

「私たちは生贄に捧げられる可愛そうな少女ってわけね」

 地下へと続く階段の前で立ち止まったクーヤだったが、唯には帰る気が全然無さそうだったので、そのまま降りることにした。クーヤも段々と楽しくなってきていた。驚くべき秘密が隠されているかもしれない。期待に胸が高鳴っていた。

 はたして地下室には黒い棺が横たわっていた。壁にかかったランプの頼りない光が室内を照らしている。クーヤも唯も止まれない。嬉々として棺の蓋に手をかけた。ミズハナの秘密にたどり着いた。クーヤは勝利を確信した。せーの、で蓋を持ち上げた。

「あれ?」

「これ、なに?」

 二人は顔を見合わせた。棺の中には唯が放ったネズミ。それとひとかけらのチーズ。それだけだった。ネズミは一心不乱にチーズに齧りついている。

 背後でバタンと音がした。扉がひとりでに閉まっていた。慌てて駆け寄るが、扉は押しても引いても開かなかった。

「……やられた」

 唯は額を押さえて天を仰いでいる。

 どうやら尾行は失敗したようだ。まんまと閉じ込められてしまったらしい。

 二人で手分けして出口を探すが、どこにも見つからない。それほど大きくも無い部屋だ。まもなく調べ終わった。

 徒労感にへたり込んだ。冷たい地面の感触は気持ちよいものではなかったが、そんなことは気にならないくらいに期待はずれだった。唯はネズミの尻尾をつかんでぷらぷらと振っている。餌につられて罠に誘い込まれたネズミはクーヤたちだった。皮肉が利いていた。


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