ゴブリンデストロイヤー
石扉の向こうは、やけに静かだった。
《小鬼の宴》特有の生臭さは変わらない。
だが、ここだけは別の匂いが混ざっている。鉄。汗。血。そして、圧。
「ゴブリンデストロイヤーは殴り屋だ。逃げる奴を殴る。迷う奴を殴る。倒れた奴を殴る。目の前の敵をとにかく殴るから、俺が嫌いなタイプだ。あいつは範囲も魔法もないが、その分、前に立つ奴を徹底的に削ってくるから気をつけろ」
淡々とした説明。
ライカは隣で真剣に耳を傾け、分からない言葉が出るたびに小さく頷く。
サガルフは腕を組み、エレウスの言葉に首を振る。
「だから長引いた時点で負けが確定する。サガルフが潰れた瞬間、後衛は逃げ場がなくなる。いいか、耐久戦に見えたらもう詰みだ。役割を崩さない。前は耐える、後ろは焦らない。それだけで、生き残る確率は跳ね上がる」
二人は黙って聞いている。
教えではなく、生き延びるための共有。
直感で理解していた。
「説明はこんなもんだ。大丈夫そうか」
「うん」
「僕も大丈夫です」
「なら、行くぞ。いいな?」
「「はい!!」」
扉を押し開くと、空間は想定通り。
自然洞窟を無理矢理広げたような歪な形状。
天井は高く、壁面は黒ずんだ岩肌が剥き出しとなっている。
床には無数のひび割れ。
円形に近い空きが中央にあり、そこだけ妙に整っている。
「……おあつらえ向きの場所だな」
洞窟の中央には、砕けた岩塊と鎖の切れ端が散乱していた。
何度も叩きつけられた痕跡。
割れた金属片とどす黒い土の色が何があったのかを示す。
サガルフが息を呑む。
「……闘技場、みたいだ」
ライカは二振りの短剣を握り直す。
紅と蒼。『双竜』。
まだ研ぎ終えてはいないが、刃の芯は生きている。
光がわずかに反射する。
「ライカ。絶対、合図まで投げるな」
「……うん」
声は落ち着いている。
だが、肩の位置が少しだけ高い。
緊張している証拠だ。
「サガルフ。前は任せる。だが、出すぎるな。受け切らず流せ。そして、押し返すな」
「……え?」
サガルフが戸惑う。
今までの盾役としての常識に反する命令だ。
「言った通りにしろ。ここは長引かせると詰む」
「……分かりました」
説明はもう済んでいる。
あとは目の前のボスの出方次第だ。
鎖の擦れる音がした。
岩の影が動き、ゆっくりと姿を現す。
ゴブリンと呼ぶには、あまりにも異様な存在。
筋肉の塊。人の倍はある体躯。
両腕と胴に巻き付いた鎖。
枷の名残か。暴れるために必要だった拘束か。
武器は持たない。
拳だけを鳴らし、低く唸る。
「あれが、ゴブリンデストロイヤー」
サガルフが唾を飲み込みながら呟く。
俺は頷いた。
「拳が身体に当たるなよ」
「……はい」
「ライカ」
「……なに」
「怖くなったら、俺の後ろに下がれ」
「……うん」
短い返事。
だが、目は逃げていない。
ボスは一歩こちらへ踏み出した。
水面もないのに、空気が揺れたように感じる。
次の瞬間。
ゴブリンデストロイヤーが跳んだ。
地面を蹴る音が遅れて聞こえる。拳が先に来る。
「――っ!!」
サガルフが盾を構える。
拳が叩きつけられた。
鈍い音。空気が震える。
サガルフの身体が大きく揺れ、足が半歩沈む。
だが倒れない。素晴らしい仕事だ。
まだ受け止め過ぎているが。
「……っ、くそっ」
サガルフが歯を食いしばる。
しかし、デストロイヤーは止まらない。
二撃目。三撃目。四撃目。
反撃の隙を与えない連撃。
(こいつ……息が乱れてねぇ)
最初から違和感はあった。
凶暴な見た目のくせに、動きに無駄がない。
鎖が揺れを殺し、動きを制御している。
凶暴化しても、スタミナを削る動きになっていない。
ダンジョンボスとして相応しいヤツだ。
通常個体とはやはり一線を画す。
(長期戦は完全に不利だな、やっぱり)
前衛の体力より先に集中力が削れる。
精神が折れた瞬間、盾は落ちる。
盾が落ちたら後ろは終わりだ。
「サガルフ、下がれ。一歩だけ!!」
「そんな暇っ!?」
「下がれ!!」
サガルフは反射で下がる。
拳が空を切り、壁を砕いた。
すぐ後ろにあった岩が崩れる。
(下級ダンジョンとは思えない威力だ)
「今の壁、崩れたとこに誘導する。サガルフ、受けるな。逸らせ」
「了解!!」
サガルフは盾の角度を変える。
拳を真正面で止めず横に流す動きに徹する。
衝撃は残るが押し込まれない。
「その調子だ」
ライカが動きそうになる。
蒼の短剣がわずかに揺れた。
俺は片手で制する。
「ライカ、まだだ」
「うん。サガルフ……」
素直に止まる。
それが今のライカだ。
俺に忠実でありがたい。
デストロイヤーが、こちらを見た。
口角が上がったように見える。
気持ち悪りぃヤツだ。
サガルフの盾を殴り続け、様子を見ている。
倒せないと分かると、ボスが溜めて踏み込む。
再びの跳躍。盾の上を抜け、後ろへ。
狙いはサガルフではない。
「っ……!」
速い。
「水壁!」
俺は地面から水を噴き上げる。
壁ではない。刃にもならない。
ただの水の壁だ。これでいい。
デストロイヤーの動作が鈍る。
ほんの一瞬。
その一瞬で十分だ。
「サガルフ!!」
サガルフが駆けつけ盾を構える。
そのまま激突し、デストロイヤーの体勢を崩す。
「ライカ、蒼で牽制! 当てなくていい、目を逸らせ!」
「……っ!」
蒼の短剣が飛ぶ。
デストロイヤーは反射で腕を上げた。
その瞬間、紅の刃を持ったライカが動きかける。
「待て」
声を低く落とす。ライカの足が止まる。
デストロイヤーにはまだ片手が空いていた。
最悪な場合、今の反撃でライカが戦闘不能だっただろう。
ボスが吠えた。鎖が鳴る。
筋肉が膨れ上がったように見える。
目が赤い。
「これが凶暴化かね。なら、イケる」
空気が変わった。
獣の本能が全面に出る。
「来るぞ!」
拳の数が増える。
速い。重い。止まらない。
サガルフの盾が軋む。
地面に足が沈む。どころかめり込む。
拳が来る。今までよりも近い。
サガルフの盾がわずかに遅れる。
間に合わない。
普通なら下がる。
だが、サガルフは下がらなかった。
背中が固まる。肩が落ちる。
(……覚悟、決めやがったか)
恐怖じゃない。
「ここで終わってもいい」
そう思った人間の立ち方だ。
拳が振り抜かれる。
「死ぬなよ!! サガルフ!!」
声が自然と出た。
理屈じゃない。判断でもない。
拳が盾に叩きつけられる。
衝撃が洞窟を揺らす。
サガルフの膝が沈む。
腕が限界まで軋む。
その様子は痛々しい。
だが未だ倒れず。
「……っ、まだ……!」
掠れているが、生きている声だ。
ライカは動かない。
投げない。踏み出さない。
ただ、俺の声を待つ。偉い子だ。
(だが、こいつは……長引けば負ける)
息が整っている。
凶暴化しているのに、乱れがない。
つまり、こいつは短時間の爆発ではなく。
継続型の強化に違いない。
「……短期決戦だ」
呟いた。
「サガルフ、次の三発を死ぬ気で耐えろ!! 絶対死ぬなよ!!」
「……は……い」
息も絶え絶えのサガルフの声。
お前が覚悟を決めてるんだ。
俺も腹を括るしかねぇ。
デストロイヤーの拳が来る。
一発、二発、三発。
「うおぉぉおっ!! ああぁぁぁあっ!!」
サガルフは腹の奥から叫ぶ。
もはや耐えきれてなどいない。
盾が歪む。身体の動きは緩慢になっている。
しかし、倒れない。
三発目の直後。
ボスの動きが、ほんの一瞬だけ重くなった。
呼吸が乱れたわけではない。
だが、足が沈む。わずかに遅れる。
「水、絡めろ」
水が床から盛り上がり、デストロイヤーの足首を掴む。
完全拘束ではない。
引っ張るだけ。重くするだけ。
ボスが唸り、引きちぎろうとする。
「サガルフ、押せ!!」
「はああっ!!」
サガルフが盾を叩き込む。
初めて前に進む。押し返す。
今まで受けるだけだった盾が攻める盾となる。
デストロイヤーが体勢を崩す。
「ライカ」
声を低く落とす。
ライカの目が俺を捉える。
「紅で胸だ」
「……やってみせる」
ライカが走った。迷いはない。
だが、感情が出過ぎてもいない。
俺の指示に従っている。
紅の短剣が、デストロイヤーの胸へ吸い込まれる。
硬い筋肉を裂いて突き刺さる。
ライカが放つ最大火力の攻撃。
まだ浅い。奥へ奥へと押し込む。
「ギ……ッ!!」
初めて、苦痛の声。
デストロイヤーはライカの肩を掴む。
「ライカっ!!」
ライカはものともせず1度抜きまたも刺す。
浅くない。確実に致命へと寄せる。
ライカは苦痛を隠せずに悲鳴をあげる。
「ああぁぁぁああ!!」
「……っ!」
デストロイヤーの力は入っていない。
凶暴化で制御を失った腕だった。
それでも、ライカにとっては重症だ。
だが、ライカは止まらない。三度目。
紅が沈み込む。それは深く深く沈んでいく。
一瞬、時が止まる。
デストロイヤーの手がライカの肩から離れる。
鎖が鳴り響き、膝が折れる。
ドン、と重い音。
ゴブリンデストロイヤーは、崩れ落ちた。
またもや静寂。
洞窟の中には3人の呼吸音だけが残った。
サガルフが盾を落とし、その場に座り込む。
汗が滝のように落ちている。
「……っ、はぁ……はぁ……」
ライカはデストロイヤーに掴まれた肩を抑える。
苦痛に耐えて仰向けに倒れ伏していた。
「痛い……痛い、よ……」
「ライカっ!!」
俺はすぐさまバックから回復ポーション2本を取り出す。
痛む箇所にぶっかけ、急いで口に含ませる。
肩の力が抜けていくライカを見て息を吐く。
そこにカチャカチャと金属が擦れる音が近づいてくる。
今回の功労者だろう。
「サガルフ」
「……はい」
「よく立った」
「……死ぬかと思いました」
「俺もだ」
「あの、僕にもポーションください」
「それはすまん」
サガルフが乾いた笑いを漏らす。
それでも笑えたのは、生きているからだ。
素直に回復ポーションをサガルフに手渡す。
それからライカが投げた双竜の蒼を拾い、ライカの元へと戻った。
目に力が戻っており、こちらに視線を向ける。
ライカは横になりながら、ぽつりと言った。
「……勝った?」
「おう、勝った」
「良かった」
ライカの息遣いがほんの少しだけ落ちついた。
緊張が抜けた証拠だろう。
俺はライカの頭に手を置こうとしてやめた。
言葉の方がいい。
「よくやった。指示通り、完璧だった」
「うん」
短い返事。
それでも、確かな手応えがある。
石壁の奥から、低い音が響いた。
ダンジョンが「終わった」と告げるような、重い振動。
これで下級ダンジョン《小鬼の宴》終わり。
サガルフは天井を見上げた。
「……生きてる」
「生きてるな」
ライカはまだ苦悶の表現は消えていないが立ち上がる。
紅と蒼を見下ろし、そっと鞘に収めた。
その仕草は、やけに落ち着いて見えた。
(本当に……変わったな)
俺が変えたのか。
それともライカが自分で変わったのか。
答えは分からない。
ともかく、今は勝利を噛み締めるとしよう。
(……終わった)
勝った。踏破した。
胸の高鳴りよりも先に来るのは余韻だ。
死の匂い。血の匂い。
高まったままの高揚感。
そして、生き残ったことによる安堵。
ゴブリンデストロイヤーは強敵だった。
何度も戦ったことはあるが、流石はダンジョンボス。
今までの個体で群を抜いて強かった。
これは下級レベルではない。
修正するべきだ。
とはいっても、やれることは何もない。
実際に愚痴る冒険者。
情報だけで判断するのはギルド。
この体制はこれからも変わらんだろう。
やれやれだ。こっちは命賭けてんのにな。
余韻が洞窟に漂う。
そして、俺たちはゆっくりと扉の外へ歩き出した。




