#7
ロージアンは、この世界で存在が確認されている四つの〝大きな陸地〟のうちの一つで、最も西に位置している。
その大きさは南北 二,九〇〇 里(≒4,350km)、東西 一,八〇〇 里(≒2,700km)余り。
四つの〝大きな陸地〟のうちで一番小さかった。
そこには〈北方〉と〈南方〉とにそれぞれ特徴的な文化圏が広がっており、間に横たわる〈高原〉と呼ばれる不毛地帯――そこは南北双方から辺境と位置付けられている――で隔てられている。
その〈南方〉の地――そこはノルスタリー王家によって統一された地――を南北に貫いて伸びる〈王の道〉を一路、北へと下る戦機とラバの荷車の姿がある。
ナットこと、後の〝サー・ナサニエル〟の物語は、〈南方〉の北部を舞台に進んでいる。
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三週間と一日ばかり後――。
シャイトンバラから北へと延びる〈王の道〉に、北上する〈ウォレ・バンティエ〉とナットら一党の姿があった。
このとき〈ウォレ・バンティエ〉の外観は、三度、変わっている。
いかにも〝急場拵え〟といった感を否めなかった両肩の装甲が、北方の戦機によく見られる〝湾曲した板金を重ねる〟様式に再度改められていた。
戦機の肩の関節は重要だ。そこの防御を〝鎖の幕〟をただ下しただけというのでは心許なかったし、なんといっても〝見栄え〟が悪い。
改めて〈ウォレ・バンティエ〉の〝機付け〟技師となったバートにも、そんな状態は不面目だったらしい。シャイトンバラで戦機工房の一つに話をつけると、一週間ほど工房の片隅を借りて、さっそく本格的な改修作業に入った――。
先ず彼は自ら廃品を漁って〈ウォレ・バンティエ〉に近しい造りの北方戦機の肩装甲で状態の良い出物を見つけ出すと、それを買い取って、古い北方の外骨格に正しく装着してみせた。
同時に、他の装甲も全て取り外し、丁寧に清掃・修繕をしてから組み直した。
再び装甲を充てる際には、機士であるナットに素体を動かさせて干渉の度合いを見て細かい調整を施すという念の入れようである。……ハリーやナットにとって、このような作業に立ち会うのは初めての経験だった。
またそれに先立ち、装甲片の全てを新たな色で塗装し直している。
配色は出来るだけ原型に近くしたいというナットの希望を容れ、青く塗ったのだったが、仕上がりは青というより〝紺〟と相成った。これは下地が黒なのだから仕方がない。放浪騎士は修繕費用を抑えるために錆止めをかねて黒く塗ってしまうのだ。……デリクの記憶によれば、元はもっと明るい〝群青〟だったらしい。が、ナットはこの風合いが〈ウォレ・バンティエ〉に合っていると思え、気に入った。
そんなこんな――工房の使用料やら肩装甲・青の塗料の代金など――で出費は嵩み、手許に残した金貨一九枚のうち一四枚があっという間に消えた。三人は、バートという技師が、仕事に関して〝金に糸目を付けない男〟だということも知った。
それと一週間のシャイトンバラ滞在で新しい仲間について知ったことがもう一つある。……彼の〝賭け狂い〟である。
工房仕事の合間合間に〝サイコロ賭博〟に通い詰めると、あっという間に金貨四枚もの負けを重ね、裸に剥かれて三人に泣き付くことになった。……つまりこれが、初めて会ったときに〝素っ裸で優歩〟していた理由なのだった。
そんな男だったが、いまは〈ウォレ・バンティエ〉の機付け技師――技量については一流!――である。
三人は頭を抱えてしまったが、デリクが〝三人の知らぬ場所で二度と賭け事はしない〟ことを誓わせ、負け金を払ってやることとなった。……デリクが怒り心頭だったのは言うまでもない。目下のところバートは忠実に誓いを守っている。
――というわけで、〈ウォレ・バンティエ〉はその装いを新たにしていたのだった。
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彼らは水場を求めて〈王の道〉から少し脇へと小路に入り、小川が落ちて小さな滝壺を作っている水辺に馬車と戦機を停めた。
「やあれやれ、やっとメシだメシ」
ロバから頸環を外してやっているハリーの口から漏れたその言葉に、石で竈を組み始めたデリクが反応した。
「もう一週間はマトモなものを食べてないなぁ」
二日ほど前に、彼らは〈王の道〉から北部総督の居城〈ウェッバー城〉へと分かれる枝道に来たところでそちらへは向かわず、本道を北上している。
〈ウェッバー城〉を訪問していれば、リーク卿の『紹介状』もあって、豪勢で温かい食事と柔らかい寝台を期待できたと、そうハリーは思っている。
だが三人は、実際には、そうすることをしなかった。
新たに一党に加わったバートが、それを止めたのだ。
バートが言うには、北部総督のウェッバー家は〈河間平野〉の麾手家との折り合いが悪く、リーク家とて例外ではないという。実際、〈北部〉と〈河間平野〉の境界では争いごとがしばしば起きており、その度にウェッバー家は、リーク家の旗の前に苦杯を嘗めている。
バートの言葉にデリクとナットは納得し、騎士でない者らによる戦機の旅が〝悪目立ち〟してしまうことを避けて、北部総督への挨拶を敢えて見送ることにした。
そうして〈北部〉でも北辺部――〈高原〉との境界地方――に入って四日ほど。
戦機で〈王の道〉を行けば、いつの間にやら現れた土地の領主の手下と思しき者らに、警戒のまなざしで〝旅の目的〟を質されている――まるで近づく戦に緊張が増しているようだった…――から、バートの危惧も的の外れたものではなかったと言えるか……。
そんな二人それぞれの耳が、滝壺の方でした大きな水音を捉えた。
反射的に目線を振った二人は、滝壺から少し下った流れの中を流れていく人の頭を見た。
「……あー、これは問題に遭遇したかもしれないぞ」
バートの、感情を呑み込んだふうな間抜けな声を聴いたが、二人も、大なり小なり同じように感じている。
しっかりとした身形の、それもうら若き女性が滝を滑り落ちてきて、流されるままに眼前を――いま当に!――横切っているのだから、そんなふうに思うのは、それほどおかしなことでもないだろう。
「……誰か……(ケハッ)……助っ……(コフッ)……けてっ…――」
どうしたものか、動くに動けなくなってしまった三人を余所に、ただ一人ナットが〈ウォレ・バンティエ〉の機室から飛び出して、流れの中へと飛び込んだ。派手な水音が上がる。ハリーが手近に見つけた枝木を、流れの中の少女の方へと放った。
そうして三人は、ことの成り行きを神妙な面持ちで見守りに入った。
これは断っておくべきことだが、三人は三人とも〝金槌〟……泳げないのである。
さて少女は、自分に向かって飛んできた枝木に悲鳴を上げたが、枝木が頭上を越えて少し先の流れの中に落ちると、それが浮き具になると理解し、必死に腕を伸ばしてしがみついた。
そんな少女にナットが追いつくのに一〇パッスス(≒15m)ほど下流へ流され、少女を岸へと引き上げるまでには、さらに一〇パッススほど流されたのだった。
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ナットに手を引かれて小川から岸に上がった少女は、ひとり離れてうずくまると、咳き込みながらもなんとか自分で水を吐き出した。背中に張り付いた長い髪は、北部人の中でも珍しい灰金髪だった。
やがて呼吸を整えて立ち上がりこちらに向いた。
それなりに整った顔立ちをしていた。
一四、五歳くらいだろうか。痩せていて、ナットの肩口くらいの背丈だったからかなり小柄である。
「……ありがとう」
呼吸を整えながら礼を述べる少女の瞳――髪と同じ灰色をしていた――には、警戒の色も浮かんでいる。それはそうだ。もしナットたちが〝人攫い〟の類だったら、万事休す。か弱い少女には死よりも辛いことが待つことになる。……もちろん、ナットたちはそんな類の者らではないが。
少女は、ナット ⇒ バート ⇒ ハリー ⇒ デリクと順に目線をやって一行を観察をした。
「あの……」
再びナットへと視線を戻した少女の表情には、〝次の〟言葉を慎重に選ぼうという思慮が見て取れた。その身形――丈の長い上着に〝値の張った〟細帯――…からいっても、ひとかどの教育を受けた女性なのだろう。
「体が冷え切る前に火に当たったら。服は貸すから」
ナットが警戒心を解くように朴訥とした微笑を向けて言うと、少女は小首を振った。
「――いえ。心遣いはありがたいのですが、わたし、もういかないと」
……やはり〝訳あり〟らしい。
「あの、……本当に、感謝します」
言って後退る少女の顔には、自分の〝礼を失していること〟を恥じ入るような表情が浮いていた。
ナットも、他の三人も、それを咎めだてるような不粋はしない。こういう場合ただ黙って頷き、〝ここでは何もなかった〟ことにするのがよいことと心得ている。
けれどこのとき、状況はこれで終わりとはならなかった。
ナットの視界の中で少女の動きがふと止まった。
その視線が、ナットを通り越して彼の後ろに立膝をついて鎮座している〈ウォレ・バンティエ〉に釘付けとなっている。
「……あの戦機は、あなた方の?」
そうして少女がそう訊いてきたときだった。
背後で梢が盛大に揺れたと思ったら、灌木の繁みを割るようにして、彼らは現れた――。




