#2
「――…では、そなたは主人が毒殺されたと主張し、仇としてサー・イーモンを告発するというのだな。騎士にあるまじき行為があったと」
リーク家の当主レイフは、自家の主催する戦機武芸試合の日の朝一番に訪ねてきた三人の従騎士に面会を許しその訴えを聞くと、彼らの言い分を簡潔に確認した。
麾手家の主として一段高い位置に座ったリーク卿の眼前に立つ若者は、確か騎士ではなく平民出の従騎士だったはずだが、物怖じすることなく、まっすぐにこちらを見て頷いた。
従騎士とはいえ平民の出自で、騎士の〝不徳〟を弾劾するとは……。
もはや〝怖いもの知らず〟を超えている。
だがしかし…――卑劣な手段に斃れた主人の無念を晴らそうとは、何とも殊勝なことではないか。
若い従騎士のその不躾な視線を、レイフは不快とは感じなかった。
レイフは隣に控える家令を先ず見て、次に〝城付き〟のメイジを見、それから、どこかから話を聞きつけ〝立ち合おう〟と部屋に押し掛けてきたギブニー卿を向いた。
ギブニー家は弾劾されたサー・イーモンを麾下に収める麾手の家だ。
「この者らは毒殺と言うが、肝心の毒は出てこなかったのだろう?」
口を開いたギブニー卿は物憂げにそう質してきた。……予想通り、というか何の捻りもない対応である。……むしろレイフには、この男のこのような言いようの方が不快と感じている。
それは置き、朝からこのようなことになったことについては、レイフにも負い目がある。サー・ウェズリーが倒れたとき、すぐにでも城付きのメイジに診せていれば……。
戦機武芸試合を翌日に控えた忙しさに感け、適切なを措置を怠ったことが、このような事態を招いたと(名家の出自の者としては比較的)公正さを重んずるレイフは、内心で小さくため息を吐いた。
「毒は出なかった」
レイフは、敢えてギブニー卿の顔を見ずに首肯し、そして、目の前に立つ若い従騎士の表情に諦観の浮くのを見る前に言葉を続ける。
「だが、サー・ウェズリーの予後と死に至るまでの状況からは、毒殺の可能性を排除することはできなかった……そういうことだったな?」
そう問われたメイジ・アランは、リーク卿の隣の席から答えた。
「左様にございます、閣下」
ギブニー卿の口の端がわずかに吊り上がる。それを見ずに、レイフは自らの考えを述べた。
「――であれば、私としては正式に裁判を開き、両者の言い分をもとに正義を照らすべきと思う」
しばし、部屋の中から音が消えた。
「ばかばかしい」 鼻を鳴らしてそう言ったのは、やはりギブニー卿であった。
ようやく首を向けたレイフ……リーク卿に、ギブニー卿は冷淡に訊いた。
「リーク卿は毒殺の確かな証拠もなしに、一介の、それも平民上がりの従騎士の訴えで騎士を裁判にかけると、そう言われるか?」
リーク卿は静かに応じた。
「毒は名誉の戦い方とは言えないのでは」 それはそれで〝冷淡〟な対応だった。
「ふん。裁判ということなら時間が掛かるな……」 ギブニー卿の表情が硬くなった。
一拍を置いて、ギブニー卿は言い放った。
「ならばギブニー家は、サー・イーモンの判決が出るまで戦機武芸試合への出場を見合わさせてもらう」
実のところ、彼にとり〝サー・イーモンの名誉〟などどうでもいいことだったが、平民の訴えで貴族・騎士といった特権階級が裁かれるというのは、とうてい受け入れ難いことである。
…――それに、同じ〈河間平野〉の有力麾手家であるリーク家の主催試合に、どのような形であれ〝難癖〟を付けられるなら、それはそれで痛快、ということなのだった。
そういう競合家の当主の機微を、リークの家令は察した。
「お待ちを、閣下……」
リーク家の体面に責任を負う立場が家令である。そのようなこととなっては面目がない。
「試合は今日の午後です。いまさらギブニー家の手勢を引き上げられてしまっては…――」
そんな家令の狼狽を隠せない声音を、若い声が遮った。
「――時間はかかりません!」
全員の視線が、騎士を告発しようという従騎士を向いた。
すると若い従騎士、ナットは、(彼としては)精いっぱい落ち着いて聞える声で言った。
「〝決闘裁判〟による解決を求めます」
再び部屋が静まり返った。バツの悪い沈黙。それからギブニー卿が笑い出した。
嘲笑の合間合間に、然も可笑しいとばかりに息を入れつつ、ナットを見て嘲弄する。
「決闘裁判だと? (くっ)……これは傑作だ。(はっ)……(は)……何を言ったかと思えば、無理なことを……(ふ)……(ははっ)……」
後はもう、唯々嗤うばかりとなったギブニー卿に、ナットは唇を噛むばかりとなる。
居た堪れなくなった家令がナットに言った。
「決闘裁判を平民が求めることはできん。従騎士は騎士じゃない」
ナットは家令を見て、その表情――それは突き放すような、厳しい表情だった…――に肩を落とし、俯いてこぶしを握った。
諦めきれないナットが、一縷の望みをかけて、重ねて問うた。
「剣技ではなく、戦機による決闘ならどうです? 午前中の〝ジョスト〟なら……」
そのタイミングで、ようやく嗤いを収めたギブニー卿が割って入ってきた。
「……サー・イーモンにはそれをする理由がないな。彼には何の益ももたらされない」
冷淡さが耳につく、そんな言い様だった。
「不名誉を雪ぐの(は)…――」
不遜にも有力麾手家の当主に対していよいよ声を大にして言い募ろうというナットの機先を制し、リーク卿は片手を上げることでそれを遮った。そうして言った。
「たしかに、ギブニー卿にとりジョストに利はなく、そもそも従騎士にはそれを望む権利はない…――」
ギブニー卿が頷き、望みを絶たれた若い従騎士の顔を覗き込むよう顔を向ける。
だがリーク卿は、その後こう言葉を継いだ。
「――ならば我がリーク家の翼隊に加わり〝トゥルネイ〟を戦う、というのはどうか?」
リーク卿の提案の裏に〝含み〟を読み取ったギブニー卿の表情が、少し変わった。
「トゥルネイを戦うということは、機士が倒れれば、その乗機は戦利品ということに?」
リーク卿は頷いて返した。
ほぅ、とギブニー卿の目が細まる。
リーク卿は、放浪騎士の死によって自領に遺棄されることとなった戦機――ウォレ・バンティエ――の所有権を放棄してもよい……そう言ったのだ。
ウォレ・バンティエは古い戦機でその素性もはっきりとしていない。然りとて、従騎士に充てがわれるような〝数合わせ〟(低性能)の機体というわけでは決してない。騎士の乗機として金貨五百枚は下らぬ価値を持つ。
黙っていれば転がり込んでくるものを……。
だがリーク卿は、それをどこの馬の骨とも判らぬ従騎士に貸与え、トゥルネイを戦わせようと言うのだ。決闘に擬する場を与えてやろうというのだろう。酔狂なことだ。
言うまでもないことだが、トゥルネイの最中で機士が不覚を取れば彼は捕虜となるし、解放の交渉がまとまらなければ、その乗機は奪われる。
慣例では主催者の体面を重んじ、形ばかりの身代金を支払って双方〝手打ち〟ということになるものだが……。
この件では、そんな配慮は無用だろう。
ギブニーにしてみれば、平民あがりの従騎士ごときに配下の機士どもが遅れを取ろうとは思わない。貴重な戦機を労せず手に入れる機会を得た――…そう算盤を弾いた。
「その言葉、決して忘れぬよう」
リーク卿を向き、念を押すようにそう言ってギブニー卿は部屋を出て言った。
そんなやりとりの後の家令の顔は蒼くなっていた。
これでこの戦機武芸試合は――…かつてそうであったように――〝本物の戦い〟の場となった。負傷者が増え、場合によっては死者さえも出るだろう。
いっぽう、リーク卿は泰然としている。
そのリーク卿に、ナットは改めて礼を述べた。
「ご配慮、感謝いたします……閣下」 卿は、壇上の席から腰を上げしなにナットを向いた。
「ここまでしたのだ。私とて恥はかきたくない。勝てぬまでも善戦はしてもらうぞ」
にべなくそう言うと、リーク卿もまた、側近を連れ部屋を出ていったのたった。そのとき家令が、扉を出しなにわざわざナットを振り返って、睨みつけていったのを憶えている。
「…………」
現実はそんなところであったが、何はともあれ、こうして主人を喪った若い従騎士は、戦機武芸試合へ出場することを許されたのだった。
♠ ♡ ♦ ♧
リーク卿の居城〈リーク砦〉の前面に広がる平野…――その平野を柵と盛り土で仕切った数平方〝里(※)〟の空間が、この日の戦機武芸試合の会場である。
(※ 1ミレパススは概ね1.5キロメートル)
参加する戦機は、午前のうちにいったん砦の郭に入り、主催者側の陣営(リーク家の翼隊)と客人の側の陣営とに別れて隊列を整え、会場の中ほどまで行進していく。
その姿は壮観だろう。
それぞれに装いを凝らした戦機と機士らの隊列は、見物客らの衆目を集める。
そしてナットも主人の〈ウォレ・バンティエ〉に乗り、リーク家の翼下としてその列の中を行く。
それは赤毛の少年が〝夢に見た〟光景への第一歩だった。
勿論、ナットは正規の騎士ではないし、騎士たる主人に侍して出場するわけでもない。身分は従騎士のままで、〈ウォレ・バンティエ〉の腰回りの帯綱も、騎士の搭乗を示す黄色ではなく従騎士を示す白色のものが巻かれることになる。
それでも彼にとっては、生涯忘れ得ぬ〝晴れ舞台〟になるはずである。
ナットは、勇む心を鎮めるでもなく、郭の広場に立ち並んだリーク家陣営の戦機を見上げていた。
リーク家の戦機は、騎士身分の乗機は大多数が〈シュマルド〉系列。従騎士らの戦機は〈ジキラルド〉系か、それよりもいくぶん小柄の〈ガウロッグ〉系だった。
いずれにせよ、南方でも指折りの戦機工房の銘鈑の入った名のある戦機たちである。
そしてそれらは皆、リーク家の色である〝赤みがかった黄〟の色に染められ、〈シュマルド〉や〈ジキラルド〉は左の肩に、〈ガウロッグ〉は胸の中央に、リーク家の〝笑う太陽〟の徽章が描かれていた。
「――おう、貴様か? サー・ウェズリーの仇を討とうという健気なボウズは」
まるで子供のような表情をしてリーク家の戦機を見上げていたナットは、野趣のある太い声に誰何された。
視線を遣れば一目で騎士と判る出で立ちの偉丈夫がこちらを向いていた。
サーコートはリーク家の色――赤みがかった黄色――だったから、卿の直属の騎士なのだろう。
騎士は視線が合うと、にやり、と笑みを寄越してきた…――。




