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騎士にして機士 サー・ナサニエルの旅の記録  作者: SFファンタジーだいすき
第三話 ここからお逃げになりたいのですね?
13/17

#11


「誰……? あなた――」

 エステルもまた声を潜めて返した。


 砦の中で自分に付けられた侍女は、ダライアスがエイジャー家から連れてきた女ばかりだったが、記憶にない顔――それも精彩を放つ顔立ち――の女が「逃げたいのでしょう?」と訊いてきたのだ。……そのような場合に警戒をするという思慮は持ち合わせている。

 が、同時に、このときは騒ぎ立てるようなこともしなかった。


「――私のことはターラと。エステルさま」

 女……ターラはそう答えると、エステルの大きく波打つ灰金(アッシュブロンド)の長い髪を(くしけず)る手を止めることなく、こう明かした。

「今宵、砦を抜け出ようという者らがいて、その者らが、貴女の意向を確認してこいと頼まれましたの。だからここまで忍び込みました」


「忍び込む……わたしの意向?」

 まだ()()()()()()()()が流れのままに訊き返してみせると、ターラは声の抑揚を変えぬまま続けた。

「その者らが言うには、砦からお逃げになられたいのでしたら、ご一緒にお連れすると」


 エステルは、敢えて何らの反応も控えた。

 ターラは(くしけず)る手を止め正面に回った。小首を傾げるふうに覗き込んできて返答を促してくる。

 侍女のしてよい行儀ではなかった。

 だが、彼女のそれは堂に()っていて、じつに自然なものだった。


 そんな得体の知れないターラの目を、エステルは正面から見据えて言った。

「どうしてあなたが〝わたしを罠に掛けようというエイジャーの者〟でないとわかります?」

 ターラは、ふふ、と口元を綻ばした。

年齢(とし)のわりに疑り深いこと」

「家名を持つということはそういうことでしょう」

 エステルはいよいよ意固地に言い返したが、その口元は、年齢(とし)相応に、少し尖っていたかもしれない……。




 ターラは、まだ警戒を解かない北方の血を色濃く引く少女に、真正直に応じた。

「私にこれを頼んだのは〝昨日の水場でお会いした機士〟の一党です。エステルさま」


 ああ……‼ と、少女に得心の表情が、ほんの一瞬、浮いたかも知れない。それでも少女の顔から警戒の気色(いろ)は失せることなく、硬く冷たいふうを装ったままだった。

 ターラの方もまた、動ずるふうを見せることなく、ただ少女を見返す。


 やがてそれに耐えきれなくなった…――自分の硬く冷たい表情(かお)が〝水場の機士〟に対して不誠実だとでも感じたふうに――少女は、そっと口を開いたのだった。

「では……あの方は無事なのですね」


 このとき、ターラは、内心でこの少女を好ましいと思った自分に、少々驚いたのだった。

 年齢(とし)不相応の矜持と純真無垢な〝かわいらしさ〟が同居する少女はそうはいない。

 が、そのような心中はおくびにも出さず、ターラは自分の知る事実だけを簡潔に伝えた。


「いまのところは。……ですけど、今宵のうちに(ここ)を脱出します。――そのとき、もしあなたが望むなら、ここから連れ出してもよい、と、彼らは言ってますの」


 レイディ・エステルは思案顔を伏せた。

 心中ではいろいろと考えが巡っているのだろう。

 いかに貴族らしい押し出しに努めようとも、この娘は心の動きが表情(かお)に出やすい。それは彼女の生来の気質だろう。……貴族の娘としては苦労しそうだ。


 と、エステルが上目で探るように訊いてきた。

「あなたはなぜ彼らに(くみ)しようと?」


「ああ……」 ターラは、ここから先は〝貴族の侍女を演じる〟のをやめ、素の自分で応じることにした。

「それは〝お金〟ですよ。たいした報酬が頂けそうですから」

 ――…バートからは、彼らが〝シャイトンバラの行商人組合に百枚以上もの金貨を預託している〟と聞いた。見掛けによらず金持ちなのだそうだ。


「お金……」 その回答に、少女の表情は曇ったろうか。

 それでも少女は、気を取り直したふうに表情を改め、問い質してきたのだった。

「――それで、あなたは()()()()に信頼をおいているのですか? さほど深い仲ということではないのでしょう」


「そうねえ……」 ターラは答えてやった。「牢獄にいる三人のことは知らないわ。会ったこともないしね。でも、バート・ホジキンソンは少し知ってる。あーいう男は〝上手く腹芸のできる〟為人(タイプ)じゃない」

 エステルは、神妙な面持ちでその言を聞いている。


 少しでも自分(ターラ)と〝彼ら〟――〝水場の機士〟ら――の関係を聞き出して、判断の足しにしたいのだろう。健気なことと思う。

 そんな少女の顔を見ているうちに、ターラは、ちょっと揶揄ってみたくなっていった。


「それに――」

 声に〝思わせ振り〟なものを滲ませてエステルを見やる。

 それに反応して、エステルは目で先を促す。

 ターラは芝居がかった言い回しになって後を続けた。

「さあ、これから逃げよう! というときに、〝()()()()置いてはいけないだろうという少年〟に興味も湧いたからかしら……」


 ターラの言葉に、少ししてから、目線を逸らせたエステルの頬が染まった。……それは淡いものだったが、ターラにはちゃんとわかった。


 それから彼女は目線を戻したのだが、ターラはにんまりと、目だけで笑って返す。

 少女エステルはバツが悪くなったか、取って付けたふうにこう訊いてきた。


「あの古い戦機も持ち出しますか?」


 その質問はターラには意表だった。

 なぜこんなときに〝戦機〟……?


 それについては判らなかったし、差し当たって気の利いた返しも思いつかない。

「さあ、そこまでは……」 だから正直に答えて、肩を竦めて見せた。



 対して、少女は、ほんの少しの間、思案顔になった。

 それから意を決したふうな表情になって――その表情(かお)は、あら? とターラが思うほど華を感じさせた…――ついと襟首に両の手を回すと、紐で吊るしていた三稜鏡(プリズム)のペンダント(※)を外し、それを差し出した。

(※ 〈五芒正教〉の祈りの用具。ロザリオのようなもの)


「これを――」 それなりに値打ちのある代物だ。

「砦のサー・ケネス・エイヴォリーに見せることで助力を仰げます。()()()には〝何としても()()()()と共に逃げるように〟と」


 少女が、あなたは必ずそうするの、というふうに真っ直ぐに瞳を向けて言い、ペンダントをターラの手に握らせる。


 ターラは頷いた。

「これを使ってサー・ケネスの助けを得て、()()戦機と共に脱出するようにと、あなたの機士さまに伝えればいいのね?」


 わざわざ()()()()()口に出してそう確かめれば、少女も、もう一度うなずいた。

 その瞳の光と表情が、ターラは気に入った。

 この娘は、わたしがこれを持って消えてしまうとは考えていないのだ。


 なら、わたしターラは、これを頼まれてやらねばならない。

 そうしなければ、ターラという女の〝気っ風(きっぷ)〟を疑われてしまうというものだ。


 ペンダントを受け取ったターラは、くいっと口の端に笑みを浮かべると、くるり踵を返し、肩越しに少女を見て、最後にもう一度、肯いて返してやった。




   ♠   ♡   ♦   ♧



 さて、ペンダントを受け取ったターラが、侍女の着る服から元の服装に着替えてバートの(もと)へと戻ってみると、当人はなんと砦の兵士や技師たちと〝サイコロ遊び〟に興じていたのだった。……懲りない男である。


 常のターラであれば、やれやれと内心でだけ(わら)うところであるが、このときはエステルの〝品行の方正さ〟に()てられていたかも知れない。卓上のサイコロを囲う輪から耳を引っ掴んでバートを連れ出し――幸いに()()負けは込んではいなかった――…その片方を〝青たん〟に隈取(くまど)られた目を、こわい目で睨んでやったのだった。

 当人曰く〝効率的〟な情報収集に(いそ)しんでいただけだというが、さて、このような男を〝父たる黄光〟は(ゆる)すだろうか。


 とまれ、この場でこの男を糾弾すれば、それはそれで痴話喧嘩じみて見えよう。野暮ったいことこの上ない。

 そんな無駄なことはせず、ターラは、エステルの居場所と彼女との顛末を手早く伝えた。


 話を聞き終えたバートの決断は早かった。

 すぐさまサイコロ遊びを切り上げるやターラを伴ってサー・ケネスの部屋を訪れ、(くだん)三稜鏡(プリズム)のペンダントを見せて老騎士に助力を仰いだのだった。ターラも〝バートという男が馬鹿ではない〟ことは知っていたから、彼が動くままにさせ、ただ付いていった…――。


 するとバートの簡潔な説明と明瞭な助勢の懇請を聞いた老騎士はペンダントを見せられるや、それを受け取ったというターラに簡潔にエステルの様子を訊いただけであっさりとこの話を信じ、バートを向いて肯いた。

 拍子抜けするほど簡単に話は付いて、事は動き始めてしまった。



   ♠   ♡   ♦   ♧



 もともと眠りの浅いナットが牢獄の扉の外に人の気配を気取(けど)ったのは、まだ夜も明けぬうちであった。

 ガチャリと錠の外れる重い音がしたとき、ナットはこぶしを固めて備えていた。もし機会があれば、牢番を襲ってここを出るつもりだった。

 隣で横になっているデリクも、奥でイビキをかいている(ふうを装っている)ハリーも、同じく息を殺して〝その機会(とき)〟を待っているのだろう。


 樫材の扉が重々しく音を立てて開くと、その後の展開は、彼の備えたものではなく、それどころか思ってもいないものとなった。

 老騎士サー・ケネス・エイヴォリーが扉から現れ、〝バートランド・ホジキンソンの繋ぎ〟で、そなたたちを助けに来たと告げたのだ。


 三人、それぞれが呆気となりながらも警戒の目を向けると、老騎士は三人それぞれに取り上げた武器類を返して言う。

 門塔から〈ウォレ・バンティエ〉――やはり老騎士は古戦機の素性を知っていたのだ――を奪い、その正統な所有者たるレイディ・エステル・グロシンと共に、この砦を脱出してもらう、と。


 老騎士からエステル――水場で助けたあの少女がサイラス・グロシンの娘だったとは、このとき初めて知った…――の居場所を聞くや、ナットは返された小剣を腰に手挟(たばさ)んで肯いていた。

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