近代建築
「近代建築」
意味付けることが怖くなった。入力に対する解像度を落とす。
多くの人の語る文字面を追って、コンクリートとガラスの建物の生成を見守る。
喰らいつく。嚥下する。古い時当たり前だった世界を。
戦間期の鍛え抜かれた思想。
東京駅で子供を守るのだ。我が子を。悪意を知らぬまま喰われぬように。
説明ができないのではなく、さしてする必要を感じないだけだ。
思い出す「あの時代」などもうない。もうないのだと、二度言う手間も惜しい。
何年(何十年?)も前に作られた世界のものを使って、誇らしげな顔をするなよ。
夜灯の下で泣く。誰かに少しでも見てほしくて。見られたくは、なかったけれど。
打ち捨てられた結婚式場。何かにはなりそうだけど、人も金もない。
というのは昔の話。金なら腐るほどある。
今と昔の違い。
私とあなたの孤独。
一方は慰めるまでもなく、もうすでに十分満たされている。
笑顔を見せることがせめてもの抵抗だった、忘れられている私の子供時代。
隣を見れば、屈託なく笑っている二十歳の子。当たり前なのだ。
大きな視点で見れば、僅かな誤謬。置いていかれた私。
喪失をむしろ喜ぶ。死ぬわけではない寒さに、奪われたとすら感じなかっただろう過去。
左肩にかけられた毛布を、組んだ右手が引き寄せる。
私の知らない光景。
近代建築の崩壊だった。単に、メッキが剥がれただけか。
瓦礫を掴んだ焼け野原。戦争ではないのに、実に鬱っぽい。映像に線が走り、色は画面から消えて、光はコンクリートを映すためにある。ガラスは、あの水色を発散させて。
いけない。いつのまにか悪意が消えていた。
振り子のように、性善説からスイッチする。
止まっていた時間が動き出した?
時間はいつも同じスピードで私たちをくるむ。
首を振る。そんなはずない。私の空っぽの心に、それほどの時間が費やされていたなんて、承服できない。
恨む相手は、自分しかいない。
そういう理にかなった説明が、私はたまらなく嫌だった。
焼け落ちる街。焼けた土の上でダンス、ダンス、ダンス。あれ? ダンスってセックスって意味だったか。ははは、あは、あちち。
こういうふうにしか思い出せない。
マッチの火を消すように。
ひんやりした風が頭を冷やす。シャッフルされた記憶をカードにして。
太く高く伸びる柱。神様が建てた。宇宙を支えている。まさか、地球から伸びているわけではない。柱。物質ということ。
何人殺せば終わるのだろう。
否定する仕草を取る。考えるな。今はとりあえず、差し違えてでも。
特別な時間のために、なんとかして生きる。走る。駆り立てられる。京都御所の砂利が、焼けている。何かを守るために。
好きな人のために。そういう記憶。
新大阪の駅の人の焼けたにおい。火車が罪人を連れていく。
接続する裏と表の時間。
デザインと絵、詩と小説。
刀を担ぐ。正邪の戦い。
カチャンとコンテナボックスが台車に乗る。
肉のにおいがしない。ずいぶんうまく斬るものだ。
雨が血を流す。コンクリートに練り込まれた人骨と脂。
人が生きることで染み込んでいく。
柔らかい空気と交わる。肺腑が水を飲む。こぷこぷと。水位を上げていく。音を上げるまで。敵が死ぬまで。
全身が凶器になる。まるで何かの比喩のようにでは、なく。
想像したものが形になる。唯物的なのか唯心論的なのか、判別はつかない。
そうか。ようやく。
溶ける時間の甘さを味わう。夜、別れ切れなかった。
ゾクゾクと増幅する私の細胞。死んだ人の悲しみに咽び泣きながら、目の前の敵を殺す。
ザクザクと刺していく。スフィアに体を捕らえられる。
どこかでご飯を作るにおいが、漂ってくる。
肺腑に溜めた水が逆流して、嗚咽する。
なにをやっているんだ。もうほとんど、「肉体はない」のに。だからといって、「精神がある」なんて傲慢を言って、悪ふざけを犯すことは、……できない。
思念の相剋。高揚感の戦争。
座が立つ季節。再会の初対面。
懐かしさなんて肌色なものじゃない。
想定された空間に感謝すらしやしない。
山に竹、玲凛のオベリスク。
囲まれて、その物質が違う心を宿す。異なる風合い。煙に色がつく。
滑稽みのない冗談に、転げるほど。
その構築が、細いチェーンのようにチャリチャリと。
歩いているその場が舞台なのだ。
床の木目を追う時間をくれるなら、読み切って見せるのに。
論理をズタズタに切り裂き、喰らい尽くす。消化できなくてもいい。それが知ることだと。
刃を飲むような怖さ。怖いとは、その時は思わずに。
なぞることだけは、決してしまいと。
私が帰る道を、逆に往く人がいる。
背中で城が燃えている。人がそれを囲んでいる。棺は夜、火の粉を散らし、朝にはまた、何事もなかったかのように脱皮する。焼けた後も残さずに、人を閉じ込めている。
柱に埋め込まれている、人。あと付属的な思い出とか。
レストランでの席の配置に、過剰に反応してしまう。私は中心からほんの少しずれている。
声が反響する。意味がだんだん脱色して、笑うか泣くかしかない。哄笑と落涙。まるで天気雨の空模様。
ピシリといかづちが走り、境界の摩擦を明らかにする。
三条商店街で、絵を見ていた。逆巻くような達磨の怒りを買う。
でも私は、達磨の言葉を知らない。
別に行くところがないわけじゃない。悪びれもせずに新幹線に乗る。
雨を置いていくスピードで、私はまた東京駅にいた。ハイヒールが地割れを起こすのかと紛う。
二度左右を見て、そういえば、怖くないと思った。
寝転がった体に眼差しを向ける。
黒墨の肌触り、鉄のスマイル。
概念が充足していない単語。
少し前の本を、少しも面白くないのに読んでしまう。
あなたと同時代に生きられて幸せだ。
歩くと汗をかく。大地と呼応する。
入ったハンバーガーチェーンで充電する。
そしてまた喰らい、太り尽くす。
体の脂肪が水分を含み膨張する。
異性を肉体として見る。砂糖のように甘い唾液。
悪魔にしばられる。硬直する私は、奴隷だった。
私の好意は、商店街のように、昔からあなたとともにある。あなたが悪魔でも、神であっても。
天球を満たして支える私の体液。藍色に光っている。
悪魔は私の体液を求めない。私の心を一方向に引きつける。馬乗りになって、私の胸に爪を突き立てる。
夜は精神のジュースで満たされている。
天球は、形を保つ。喉は潰れ、喘ぐとガ、グガと喉が唸る。響きもしない。静かだ。
主導権なんか明け渡したっていい。ゲームに負けたって変わらない。
「神様なんだよ?」
だからどうだっていうのだ。私は神様でも何でもない。いっそあなたが悪魔であれば、いくぶんか救われたのに。
そういうのは、何歳からだっけ。
私は何歳から人になったんだ。
私以外の人が、人である事実は、どう確かめればいいんだっけ。
とりあえず喰えばいいか。
私は高鬼だから、どんなに臆病に見えても、いくら隣でにこにこしているからって、最後には喰って満足する。
餅に歯を通すみたいに、さくりと。中の餡を味わうこともしない。歯触りだけで十分だ。
柔らかい。薄桃の肉を、さくりと。
あなたが私から搾るから、その分だけ私は喰らうのだ。もう何年も嚥下していない。気持ち悪くなるから。
水と香りだけの飲みもの。伽羅の香木のように、気高く香るのだ。あなたの香気が移ったからだ。こんなに遠くから。
もう少し、疑ってもいいんじゃないか。とはよく言われる。
疑うほど他人に期待していないから、私はいつも優しい。人間関係の「結構」がいちいち装飾的だ。
コミュニケーションは皮膚の交わりなのだから、それくらいいいじゃないか。
結局言葉は鼓膜を揺らすだけで、肉にまで届くことなどない。
だから。だからそれでいいのか。
交歓すらも皮膚の悦びとして。
特別視するに値しないのだったら、なぜそういうふうに振る舞うのか。
でも、何かを、それがたとえ沈黙でも、不快感でも、表さなければ、むしろそれこそが表明で。
無言を切り取られるのが怖いから、私は空間に線を入れ、自身像を構築する。
空間を切るのだ。細い線で。線で引かれた口を上下に広げ、引きずり出す。石油のような価値ある物質を。
空間に埋蔵する私の栄養を。
不愉快を浮かべられる人は、実に健康だ。払わなければいけない対価を持っている富裕。奪われてもいいとは、微塵も思っていないだろうけれど。
それでも、私はにこにこしている。因果応報的では全くないのだ。くれてやるというほどもったいぶることもない。ことは簡単なのだ。私は潤沢だから。
他人のことが実にどうでもいいのだ。興味の範囲は私に限られている。
どうやって孤独を彩るか。孤独に祝祭を見出すために、私は手段を選ばない。
矛盾なんてものは介在しない。現実にある。
手の込んでいない音楽。単純すぎて不安になるけれど、音が潰れているよりよっぽどいいか。悪いけど侮ってしまうな。
身につかない教養。一向に進まない読書。血だけが搾られていく。
見覚えのない部屋の配置。組み変わっていく。
細胞が膨れるというような話ではない。私の内部が私をくるむ。学びというのが、そんな気持ちが悪いものなら、いっそ切り離してしまおうか。
私の頭の中を、私は微塵も把握していない。
無意識は、鍛錬できないから、存在を信じていないんだ。
浮かんでこない。自己に釘付けされた言葉を忌避している。これは私ではなかった。
私。とは。
肩が凝るなとかか。違和感は常に付きまとう。
一つのアイデアを形にする。他のことは行き当たりばったりで。少しずつ複数化する、アイデアが地図を作る。
コントロール不可能に散った絵の具を、芸術だと言い張って。本当は、才能が欲しかった。
空腹は、絵にならない。言葉にもならない。本当の意味で、食べたことなどない。
私のことを私は世界から隠すことができない。
矮小化するか、肥大化するかして、世界と等しくなることは、誰の夢だったんだろう。
それを目指すことで、一体何をやりたかったんだ。
今、どこにいるかわからないと、心細いけれど。それでも何の問題もない。
わからないのも、たまに悪くない時があるから。
目的があるといいかもしれない。心を燃焼させるには。
カレンダーを壁にかける。時がある。それに完全に同期することはできない。
祈る。私が喫茶店で過ごす時間が、私のものであることを。友達が隣にいることが、幻想でないことを。
懐かしさも、夢も、眼前の窓ガラスに薄く擦られている。現在は透明なのに。
メタファーの三次元性。ぐにぐにとした触感。夜7時の駅の蛍光灯の光の、くまなさ。
映像を見る時間に、強化される私とあなたの境界。
ノックの音がすることはない。全てのことは始まらないまま。
未達の手紙の返信を空想する。無限の可能性こそが不十全の具体例。忘れることだけが、許された解決方法。私がいなければあなたはいない。存在の抹消する。
哲学に少し席を譲るなら、私がすぐさまその席に座る。仮に私というものがあるならの話だけど。
体温のない機械で切られた。「それも私だろう」と、私の鼻をあかす。死に、一人称は与えられない。そもそも、それが死なのかは、私にはわからない。
帽子。軽く押さえる手。洒落。わかられたものは一瞬で、消えるまでに一秒もかからない。
何かを伝えようとしているのに、不十分なのは語彙ではなく。
木の葉が地面のプロックタイルの上で踊る。与え続けなくてはならない。過剰な方が、足りないよりはいいだろう。
反応が正式な方が、対応としてはまともだろう。同害復讐も悪くはないとはいえ。
あなたが行かないなら、私が行く。
野蛮の誤読。
晴天の午後三時。私のところでは、雪は降らない。
電車が、ガタガタと走り去っていき、今度は、あの宗教的な天球が残される。
木材でできた半跏思惟像をいくら壊したところで、箱庭から出ることはできない。
叫んでも酸欠になるだけだ。
プラスチックのように、のっぺりとした、人の顔。私を笑っている。と、それは、私の妄想でしかない。
厚み。縦横に走る線。空隙を埋める音。
鬼がいる場所で、そこではわたしもまた、鬼だった。
転げ落ちるように、鬼から人になり、でもまだ私は、鬼であるような気がしていた。
縮こまっていてはダメだと思い、またそういう百鬼夜行を担ぐのかと。
ニコニコしているのが最高で、誰かを守るなんてわけもない。バカな。耳目を集めてどうするんだ。
情けない。酒ごときで。
あんなふうに簡単に嘘をついて、それでいいのかよ。辻斬りをする時にしか使えないのに。
力を行使するのは、楽しい。ふふ、楽しいに決まってますよ。
殺しきらない。刃も向けない。平伏させるには笑顔で事足りる。タバコなんか吸ってる時間なんてない。
不安になる。珍しく電話があって、それを取った。
音はしない。ただ、生きていることがわかる。そういえば電話の相手が、生きている人だと確信したことはなかった。
接続する海面下に、とぷんと。裏側からは月がくらげだった。
まるで体にまとわりつく水が、術師のように私の意のままなんて。
意のままなんて、なんて意味のない。
私はそのまま沈んで、浮上することなく、空気に喘ぐこともなく。
果敢に生きる。何かを怖がるのではなく。
潰されてしまうことがあっても、生きることは権利なのだから。
特別に長い午後の電車旅。
本を読み、チャットを返し、時には目をつむって眠る。陽光が差し込むガラスの透明は、世界を少しだけずらしていた。
だんだんと、夜が近づいてくる。私の乗っている電車は、東へと進路を取って。
私は振り返る。なんだっけかと、思い出しながら。振り返る。世界が遠ざかっていく。
もう一度前を向いて。とはいっても、前がどちらかはわからない。
彗星の落ちる方へ、走り出した。
ただただ、夜。ただの朝。髪を切る音。
矢継ぎ早に来るオーダー。美味しいベトナム料理。
普請中の我が家。もうすぐ小さな家が建つ。
手を伸ばす。空へと。多摩川がまるで海みたいに青く波を揺らしている。
長閑な祝日の火曜日。
絶望のためではない。どちらかというと健康のために、私は空を掴み、水をさらう。空想をする。
電車に乗ることは得意だ。実際には何もできない。
雪が舞う、冬の。山々は紺色を深く湛えている。螺旋の楔が、私をはりつけにしようとする。えぐり取られる肉の痛みで、気が狂いそうだ。
寒さが襲う。今日は映画を観る。新聞で水を包む。
冷血のはずだった。そんなふうに、孤独を愉しむはずだった。
笑顔を振りまいて、気がつくと、もう帰れなくなっていた。大切なものは多い。
目が死んでいるとか、死んだように生きているとか、振る舞いの話は気にならない。
要は嘘をついているかどうかだ。本気かどうかだ。全ての本当のために、世界を徹底的に欺く。
好きなものがあり、好きな人がいる。生活が根付かなくても、好きは好きなのだ。
自分の笑い声が思い出せない。
毎日見ている自分の容貌が、本当はどうであるのか。
別にわからなくてもいい。なんてそんなわけない。私は誰だ。昔はずっと疑っていたのに。哲学的な操作で、覆るはずもないのに。
弦をふるわす。
なんか変な感じだった。白くて。風景が焼きついている。私は俯いて、あなたから目を逸らした。噛み合わない時間。
怖かったのは覚えているけれど、矛盾しないようにうまく埋め立てられている。
少し休めるのに、心は少しも休まらない。
大好きなチャイを、飲む気にもならないし、なぜか食事は戻してしまった。
微熱を孕んだ。緊張を生む。関係のなさが、ひどくアジア的で、情熱がなかった。
欠け落ちたコミュニケーション。こぼれた情報。
空想で会話する。自分から引き剥がされる。こわばる。首を絞められる。唇を噛まれる。
望むがままに訪れ、訪れた時には不在にしている。
単純な尺度。都合のいい解釈。
暗闇の中眠る。
繰り返し流れる音楽。夜の部屋。
当たり前の混乱。混乱がないことの混乱もある。
一面的な理解を拒否する。単純化を避ける。曖昧な物事を、曖昧なまま受け入れる。
不在を受容する。空洞というボールを抱えている。
空白に文字を書く。空隙に無音。と。
美しく文字を書いても、もう意味がない。
「明日が来るのが怖いんだよね」
私は、まどろみを覚えない。
着地さえすれば、恐れなんてもう、名残すらないのに。
選択と自発の。小さい時はどうやって学校に行っていたのか。
楽譜には音を垂らす。楽器は音を鳴らす。
スマホのキーボードに言葉を打っていくのは、自発的な選択で、自動的であり、意識的なものだ。
人間の高度な情報処理。一つの、手芸だ。
芸術というと皆笑うだろう。眠るのが怖い人の打つ文字が、芸術になんてなりようがない。そもそも私は起きたくない。
肉体と会話なんてしたくない。
シーツの洗濯をする間隔が、少しずつ延びていく。
辞書を引いて。なぜか、一時間かけて、二ページしか進まないけれど、楽しいと思う。
綺麗だ。音も、香りも。見えないから、綺麗だとわかる。布団に染み込んでいる。
何千字も何万字も、何十何百万字かけても、私は克明には素描されない。
私は多様だし、私は不確かだ。
語り得る方途は無限だが、私は有限だ。いくつかの手がかりを残す。私がいつ、死んでもいいように。
無意味な文字の羅列に、何か意味を刻むことができたら。それこそ、が、私の人生なんだ。
無意味な、文字の羅列を。
座標を指し示すように、並べて。
それが私だったと、後でわかるように。
当然、ただ私の黄ばんだ歯のことを、示唆するものは、何もない。だったらそれが、私でないというのか。
名前なんか覚えていられない。でも、好きな人を思い浮かべる時、私は名前で呼ぶだろう。動的平衡の残滓であるあの体を指して。
純粋なのは、不可知の世界があることを、想定できないからだ。
ことわりを外れたことわりを、うまく納得するしかない。
私は、名前を呼ぶ。音楽が心を震わせるように、私は、名前を呼ぶ。
さりげなく。気づかないように。
特に、挫折したことはない。そもそも、成功したこともない。ただ、日々を過ごすだけだ。
苦しかったことは、石膏のように固めて置いてきた。
嫌なことは、一度ぐるりと回って見た。
笑顔も、実は覚えていない。
感情は、忘れ去るためのトリガーのようなものだ。
言葉にすることは、抱えきれない感情のはけ口で。
記憶はガラクタの山。成れの果て。
私ではない。私は、あなたを好きだという気持ちなのだから。
笑ってしまう。忘れてもいいことなんだと。
揺るがされる心許ない歯茎のようだ。お飾りの歯列。
思い出しながら。
脈絡なく、思いつきで記憶を象る。
商店街を歩く。見たものと見ていないもの。見ていないのにわかるもの。見てもわからないもの。私と、あなた。
何年経っても、私は変わらない。
変わることなんか、できないほど、流れから遠ざかっている。
何もかもをなくした後で。
またちまちま積み上げて。
変な確信だけがある。
実感のない生が、影のように縫いつけられている。
あるとしか言えない。
不在を確約できない。
私の実体に重ねられている。
冠のような自意識。私ではなく、私の行為が、そのまま冠を戴いている。
寂しさでしかない。
寂しさでしか私を癒せない。
命を懸けていないから、何も言う資格がないなんて、思ったこともない。
死に様で美を誇ろうなんて、考えたこともない。
抜け殻。で何が悪い。
何かを持っていることの何が、偉いというんだろう。
綺麗事ばかりだ。どこにも生活がない。
自分の肉を切り出さなくては、我慢ならないとでもいうように。せめてもの自信でさえも、とろとろとこぼして。溜まらない。
私の語彙。私という肉体から、祝福されて出てくる。
単純か複雑かではなく屈曲した倫理。すなわち人の顔をなぞった線のように。
不連続なのだと。誰が。何が。不連続だっていうのか。
ちりりと血液が垂れる。雨が降る。濡れて、雨は、不連続なのか。そうかもしれない。
雨傘が落ちていた。傘が一番濡れている。
「寒かった? 雨は、冷たかっただろうね。そこで寝ていたら、車に轢かれて」
家族が暖房を入れて、部屋を温めていた。
肉と埃のにおいが混ざる。赤白く部屋が焼けている。
カタカタと骨組みが天に昇る。どんどん形を明らかにする近代建築。
屋根が出来上がり、私を守る。
あれほど(とはどれほどか)憎々しいと叫んだ構造物に、私は守られている。
近代建築は、自らの傷も厭わない父の痛みだった。
窓の外を見ると、駐車場があった。最初からそこにあった。
私の世界は部屋であり、窓だった。与えられたもの。
四角く切り取る箱は、不完全な創造主。
術語では語らない。
箱の中を彩る。決して外ではなく。
雨垂れの後からカルシウムが流出している。綺麗なコンクリート。
空っぽだが空っぽではない。それだけで厳かで、意味の気配を漂わせている。
部屋の中にはたくさんの喜びがあった。ただそれを、私は感じることができなかった。
ポツポツとものを置いて、私の世界を作る。せめてもの、私の生きた証として。
普通のことなのに誇らしい。
当たり障りのない表現が、本当の気持ちを隠している。本心は、雪や雨のように、冷たいものだ。
かと言って、何かの現象というわけでもない。
イメージのように観念するものでもない。ある種のメタファーが受肉する。木の板のようなものだ。その上に焼き印が押されている。
私の中の雨と、町に降る雨が重なる時、高まる感受性が私を幸せに導いてくれる。
それが私だと。幸せが私だというのは、傲慢だろうか。
素朴な感情が表出しない。いつも感情が絡まり合っている。
カレーが美味しい。身近なものが、私を取り巻いている。身近とは言えないあなたのことが、私はずっと好きだった。
忘れるとしたら真っ先にあなたのこと。あなたが嫌いだからじゃない。とは思うけど。
行く場所は決まっているし、買うものもわかっている。
落ちぶれた時、目的を見失った時に、忘れなかったもの。
撤退して縮こまっての、最小単位。
まさか、私が自分のことを自覚するなんて、あるはずない。そんなはずだった。
投影としての私ばかり見て。たぶん今でも自我なんてないけど。
自分に確信が持てるなんて、少し羨ましい。その確信を、なぜか疑ってしまう。
仮に私が東京じゃない場所で育ったとしたら、こういうふうにはなっていなかったのかな。
油圧でできた近代建築。電車が支える人の流れ。その中の一人になる。
ものを作ったことはない。自然を素材にしたこともない。
何のかたちもない。私とて何のかたちもない。どこに縫いつけられているのかわからない。でも特に、不安というわけではない。
哲学に頼るか、文学に頼るか。それは、多くの人にとって究極の選択になる。
文学が無意味な具象なら、哲学は虚構のお遊びだ。
それらを架橋するものはない。
脈絡がない文学でも、芸術になるかもしれない。
論理が破綻した綱渡りも、哲学になるかもしれない。
哲学は文学の婢女ではない。と言ったら、哲学者はどんな顔をするだろう。
冗長と稠密。先回りすると、崖崩れの起きた斜面の山肌だ。
理論はついには行き止まりになり、世間話は共感以上の何も、生むことはない。
どちらにせよ飽き飽きしている。
面白いか、そうでないか。だとすると責任は私だけに偏るはずがない。あなたが、私と同じであるか否かが問題だ。
あなたがどれだけ私のことを知っているか。それだけが、主題として立ち上がる全てだと思う。
同じだけ、私のことを知らない人のことを、憎むのだろうか。
あなたが、まだ見知らぬ人だったら、それに恋することは果たしてできるのだろうか。不在への恋情は、仮構の。だとしたらなぜ、あなたを知った時、私はあなたをそれと知ったのだろう。
あなたと別の人をどうしてすぐに比べられたのだろう。あなたをいささかも知らないのに。
知ることは究極ではなく、知らないことも同様に理由にはならない。
何も理由にならないのかというと、そうでもないようだ。
唯一の組み合わせとしか、私は出会わない。
与えられた条件で、それ以上もそれ以下も私に渡されることはない。
常に。
天を恨むことはない。比較する必要がない唯一の例だ。個人として生きるなら。それで十分だ。
あんまり面白くない物語を書いて、記録のように取っておく。そこからどこまで遠くに行けるかが、勝負のような気もする。
考えていることはそんなに変わらない。でも自分に課す技術的制約は、時に応じて変化する。名前がないからといって、私が何者でもないわけでは、もちろんない。
文学的に跳躍したから、私があなたに会えるわけでもない。
壊れてから何年経つだろう。続きを書くことをやめて、またやり直して、無駄足を踏んだ。
壊れたことを、悔やんだことはない。壊れたらどうなるだろうと、ずっと思っていたから。
壊れてみると、案外悪くない。浅い呼吸で、喘ぐのも、実は結構楽しい。
命の湖面に触れて、水紋を生み出すように、その液面からしか、汲み出せない何かがある。
湖面は暗く、指先はなまぬるい。運び出すその液体が何であるのかは知らない。家族の手も借りず、一人でそれを、どこか別の場所に。
水脈というほど劇的なものではない。
鉱脈というほど経済的なものでもない。
その液体を飲むと、不都合が生じるかと聞かれたら、私はどう答えるだろう。
足りなくなったら汲みに行く。でも、湖面にたどり着けるかどうかは運だ。
そういう体調じゃない日もある。
運んでいてこぼすこともあるし、気化するのか、目減りすることも多い。
でも湖からその液体が枯渇することは原理的にあり得ない。それだけはわかっている。
壊れた私を繋ぎ合わせる膠が、何かを書き表すことなのは、不思議でも何でもない。
自分を拡張したものだけが、私を覆い、外部から守ってくれる。
液体は内側から染み出して、私の継ぎ目を修復する。
体系的ではない、場当たり的な文字の羅列が、真実を構成する。だから、嘘ですら真実たり得る。
体系は数多の素材がなければ、その位置を定められない上澄みで。
もし何かが体系的であるなら、それは単に場数を踏んでいるという、記憶力の誇示にすぎない。
私は、体系から合理性を選び取る。
合理的でないものがほとんどだと私は思うのだけれど。手に取るものは過剰に洗練化されているから、勘違いしがちだ。
部分的に当てはまる事実を、信用することはないだろう。
全てが真実か、全てが虚構かだ。
合理性はどちらかというと虚構の技術的な産物で、不完全性は真実に近い。
説明できないことが一番、私の位置を正確に告げてくれる。
何をわかっていないかということは、わかっている他のすべてのことより雄弁に語り、私を奮い立たせてくれる。
なぜそんなことで奮起するのか。それは私にはわからない。
そういうものだと設定しただけかもしれない。哲学に関する本を読んで、納得したからかもしれない。
名前がつけられないことの方が、名前がつけられたものより数が多いことの証明を、自明と結論づけた人のことを信じたのかもしれない。
まず名詞は信じるに値しない。
形容詞は簡素すぎる。
動詞は嘘くさい。
信じてもいいのは助詞くらいだ。
記号的な言語の働きを、私はそこまで追究しない。
分析する趣味は特にない。それらの学問上の出来事を、暗記する気にはならない。
全てを知っていなくてはならないと、一体誰が決めたのか。全てなんて全てと言うだけで事足りる。
私は、私の言葉をほとんど覚えていない。つまり、事実より手続きの方が、壊れた私の身にとっては重要だということかもしれない。
全てを一から論証することを考えるのは、能天気と言わざるを得ない。
それに、不完全でいいなら、人間という知性がたどり着く境地は、実質無限であり、それは、全てを優に超えている。わかりきったことだ。私は、私を信じないけれど、人間一般のポテンシャルは、無条件に肯定できる。
雑誌をめくる音がする。親指がページの端をパチパチと鳴らす。
二月の風は、どんよりとした雲を背負って来た。
脛にヤスリを当てるような寒さ。
バスの中であなたと話したことを思い出す。勉強の話だ。私はそのころ受験をしていて、あなたはそれをもうすでに終えていた。
高校生が何も持たないのは万国共通で、私はいつも何か期待していた。
家に誘われた時は怖くて、うなずかなかったけれど、ご飯は背伸びしてレストランに行った。
誰も、助けてくれないはずだった。実際、助けてくれる人は現れなかった。でも、救われはした。
私の根底に、私の手が届かない以上、誰も私の心奥を推し量ることはできない。
そばにいてくれたことを、私はすごく感謝している。
手紙はどうしたんだろう。
何通かしたためて、何通か受け取った。あの手紙は、どうしたんだろう。
あなたに何もしてあげられかった。もらうばかりで申し訳ない。
別の人を見つけてやり直すのか。わからない。何の理由もなく好きだったから。また何の理由もなく、別の人を好きになるのだろうか。
いい本を読むたびにあなたを思い出す。
かけ離れるほど時間の流れは違う。
置いていかれた。私は何も持たない。平凡とまで言われたら、後ろは残っていない。
堕ちても、誰も笑わないくらいには惨めだ。いい子でいるのも疲れる。いい子でいるのも疲れるよ。ハハ。
どうすればよかったんだろう。
不完全であることに耐えられるのに、不完全であることに耐えられない。
あなたに近づく方途がない。
遠ざかるしかない。眠るしかない。裏腹に、あなたのことばかり考えている。
行き止まりだ。思考はその先には進まない。必要な変化が起きていない。
答えは出せない。私だけの問題ではない。そして、あなたは、想像上の人物でしかない。置いてけぼりになった時間は、十年じゃきかない。私はまだ十代のようにナイーブだ。
解釈が可能なのは、一部のことだけだ。
私の連想には脈絡を見出せない。
分析は可能だと思う。何の分析をするかにもよるけれど。
無意識の問題ではないし、仮構の出来事でもない。
私は最初から現実の出来事を語っている。
現実はその淵源を明らかにしていない。だから、全て現実のことだ。
明晰な嘘以外、私が嘘をつくことはない。
私は何かを解決するつもりなどない。
私にも限界はあるのだから。
いくつか、本が並んでいる。本自体の同一性は、タイトルによって束ねられまとめられている。
書棚には本が並んでいる。
判別する脈絡ほど無意識から遠いものはない。
並べられた本のように、並べた言葉を、私はまとめる名前を知らない。
整わない文体だけ、結構気に入っている。
矢継ぎ早に私に言葉がかけられる。
じゃあね、と手を振る人がいる。
置いてかれるわけには行かない。たとえどれだけ遅れていようと。私はあなたに追いつきたい。
諦めたことなんて一度もない。
好きでゆっくりしているわけじゃない。
すべてのことができないわけじゃない。
私だって、誰かを好きになることができたのだから。
まだ一度も、愛していると、言ったことはなくても。
浅草の大橋を渡り、まだ完成途上だったスカイツリーを見上げた。
ただ高い鉄塔を目標にするだけの散歩。
何も象徴しない。
なぜかはわからない。建築が、昔よりシステマチックにできるからかもしれない。容易にと、言い換えていいなら。
でも、私は好きだった。
さっぱりとした雰囲気も、洒脱なデザインも。私は好きだった。
何かに囚われていない。何にも縛られていない。
建築一つで、その世界は一変する。人が入れ替わり、仕事が生まれる。
あなたが言っていた。町おこしには、シンボルを作るのがいい。
低層建築でも、木造建築でも、魅力的な建物であれば、人はそこに集まって、新しいことをなす。
祈りの象徴としての近代建築は、心の拠り所かもしれない。涙や悲しみを見届けて、声をかけてあげることもできない神社の神様のようなものだ。
現代建築は祈りを具現化する。神様は、私のすぐ隣で、かつて笑いかけてくれていたのだから。
私の投影ではない、あなたが。
そこここに点在する私を、置き換えていく。
最後には、私とあなたが残る。ひとりぼっちの私と、私の心を取り囲むあなたが。
誰かを好きになるなんて、物語じみたことを。
結果を求めるなら、すぐさま翻せばいい。
結果がほしいわけじゃない。ただ生きていたいだけだ。
図書館で、蛍光灯を交換する。
誇らしいとも惨めとも違う。
時間を費やすのには、悪くない仕事だ。
必要なのは、時間が過ぎること。
一人でもいい。
冷たくてもいい。
色がついていないものだらけなのだから。
こことは違うルールが働く空間を想像する。
友達のような人のことを思い浮かべてみる。
どうでもいいから優しくする。私は、持っているから。与えることを手控えることがない。惜しむ間が、もったいないとすら思う。
家族の顔が思い出せない。
故郷があるのが当たり前で、それが東京だと言うと、父は笑った。かわいそうに。それは故郷ではないよ。と。
嘘くさい建前で覆い隠されたひととなりが、嫌だったのに。
今、私の口をついて出てくる言葉は、何もかもが建前でしかない。
本心というものは、存在しないに違いない。
結局言語とは、精神現象の直訳でしかないのだ。
ただ偽こそが芸術の真骨頂だという人には、笑みとともにナイフを突きつけてみたい。
私はあとどれくらいで、芸術ができるようになるのかと、問うてみたい。
これも同様に、真と偽を、架橋するものなどないということ。
葬式で泣かないなんて、そんな当たり前のことを言われましても。
親が死んだら悲しいなんて、そんな当たり前のこと言われましても。
最後の最後までお荷物でしたと。そう言うのは内輪でならまだ、間に合ってるでしょうか。
愛してもらったことは、よく覚えています。手元には五百円しかなかったから、それでお菓子をプレゼントするべきでしたか。
笑顔を見せるだけで、よかったとか。先に言ってほしかった。
涙が出るのは、成熟の証?
現象は、それ以上の意味を付与すると、はちきれやしないか。
深く礼をするのは、正当な恭順の証であり、内心の軽蔑なんか、及びもつかない。
本当を追求するのは、よほど暇だからなんだろう。
敢えて、じゃあ何が本当なのか。
拙い字でノートに書いたこと。
ねじれて伝えられなかった感謝。
疲労で冷淡になった反応。
未完の醜悪だけが、本当なのだと思う。そこには続きがあるから。
スマホで撮った映画のようだ。
どうやったら冷え切れる。純粋な観念こそが人間だと。にわかには信じがたい。怒りは対象ではない。内面だという嘘は、私につけるのか。
ただ、知覚できないのも、悪くはないと。
聴こえない音を排除する姿勢。
わかる範囲だけでやっていく。人間を積極的に受け入れているのだから、悪いはずがない。
とはいえ啓かれていないと。説明責任を果たせない。そこで私は私ではない。
理由を言えないことは、ここでは犯罪なのだから。たとえ多くのことに、理由なんかなくとも。
理由が、多くの人に共有されるものであることは、なぜかもはや前提で、不可解なまでに、認識は共有されないのに、言語は共通だと、思い込んでいる人がいる。
簡単なことは言うまでもなく、複雑なことは言葉にできない。
食べたいものを食べることができるのは、私が大人になったからだろうか。
行きたいところに行けるようになったのは、私がもうこの世に慣れたからだろうか。
現実とあまりにもかけ離れた言説。
私を取り巻く制約的条件。
どうでもいいことには、熱心になれるものだ。私心が挟まれない。
バスに乗っている景色が、私には見えていなかった。湖みたいな緑色の暗闇が、私の顔を当てる。無機質な空間の空気が、澱む音がする。こぼすような音。
大陸の乾いた道路がぬめる。泥を巻き取る河川みたいだ。
蛍光灯が明滅する。
若い青年の笑い声。受け応える哄笑。不愉快そうに耐える女の顔が、私は一番気に食わない。バスは走り続ける。決して止まることがないという意味で。
原初に帰る。精神と言語が不可分だった時代に、私は帰る。全てを置いて。
そのまま、連れていってくれはしないか。
回送無人のバスの中で、にぎやかに。
どこへとは、うまく言えないけれど、どこへでもいいわけじゃない。
「降りてください」
どうやら、連れていってくれるわけでは、ないようだ。自分の足で。自分の、足で。
今を活写する。
逸脱することは、なかなか難しい。
人じゃなくなることも。難しい。
私の中から優しさはなくならない。
音が、きらきらと降ってくる。幻影に最初は惑わされた。特別なことだと、思い込んだ。
ありふれたことではない。光に包まれることも。絶妙なタイミングで、示唆されることも。
特別ではない。それは、私が特別なのではない。音は、単に近くにいた私に降りてきただけだ。啓示でもなんでもない。
宗教心に目覚めるなら、音を降らす側に回ったほうがいくらかマシだ。
統計を取るほど有意義なことでもあるまいが、まあ、3%とか。
論理の裏側を見たからといって、何か誇ることでもあるのだろうか。
百人中三人が経験しているような、大して特異でもない現象に、なんでアイデンティティを見出さなくてはならないのか。
表があるなら裏がある。現実に織り込まれた裏側に、ただ触れられるというだけのことで、何をそんなにいきがっている。
触れられるだけだ。暗闇になることはできない。
光をまとった王のように、闇に接続したから夜叉になれるなんて、漫画の見過ぎだ。
精神は、人から離れられない。変容もしない。ひととなりというのは、わずかな誤差でしかない。
狂うというのも実に典型的で、なんの意味もない。褒め称えられることでも、軽蔑されることでもない。
他の人と違うことで称賛されるとか、蔑視されるとか、ありえない。私は必ず私以外の人と異なっているのだから。
簡単なことの積み重ねで、私はできている。入力がわずかでも異なれば、完成形も異なる。
私は私でしかないし、違う人間のことを考える余裕もない。
同じチャート式でも、持つ人が異なれば、違う参考書だ。
私という差異。本質的な個人性。
ここから離れたい。
ここにいたくないと、ずっと思い続けるのだろうか。
どこかに行ったら満足するなんて、想像もつかない。
記憶力を使わない場所がいい。
面倒なことがない場所がいい。
単純で孤独なシステムに巻き込まれたくない。
そのためには、全ての負の側面を受け入れる。逆に面倒なことを仕事にしたほうが、かえって良かったりする。
ここにいたいと、思うためには、痛めつけられなくてはならない。
甘やかされたら、ここから逃げたいと思うものさ。こんな簡単なことをやる人生なんて、大嫌いだと、飛び出して。
本すら読まない逃避行。
北京で雨宿りする。
雨降る国の姫探し。
躁鬱の作った穴に捨てられた、たくさんの言葉。空費された炭化水素。
なんのために、というせりふが意味を失った季節。
大切なものがたくさんドブに捨てられて、後でキッチンで泣いた。
水道水を飲み、グラスをすすぐ。
洗剤をつけるまでもない。
窓には雨粒が当たり、水の筋が走る。
子供の時は大きく感じられた家が、徐々に小さくなっていく。静かだった部屋が、私の声で賑やかになっていく。
受験のことも忘れてしまうんだ。新聞紙に書かれたセンター試験の解答を、後生大事に残しておくのも、いつのまにかやめた。
ずっと「鳥の詩」を聴いていた時間が、全てではなかったのか。
貪るように漫画を読んで、それで人生が終わるのだと、私は本気で思っていた。
仕事ができるとか、できないとか、そんなものどうでもよかった。
中学時代に置き去りにしたものを、今もずっと、心に残している。
早いクライマックス。間延びする時間。
自分の体には、名残のかけらも残っていないのに、時間の刻まれ方が、歌になっている。
逃げただけか。
「あなたは逃げていないわ。立ち向かっただけよ」
何から逃げたのだろう。
「自分からは逃げられない。ついて回る影と、あなたはずいぶんうまくやっていた。だからあなたの周りは、笑顔であふれている」
神様の時代だ。
バスの中で、後部座席に隣り合って座りながら。
ダイヤモンドのように、話したことが、輝いている。
コンクリートでできた壁を、ずっと眺めていた。生身だという事実から目を逸らす。
粉々になったのは、コンクリートの方だった。
理解できないものを、在ると考えて、仮置きする。
生み出す力を欲する。ないものを在ると。ねじ曲げる強引さ。
帰属意識なんてものは、存在しないのさ。意識なんて存在しないのさ。
素読する。世界を読み込む。
最初は、何もかも分からなくたっていい。
天才になりたかった神と、神になりたかった天才が、お互いの存在を知らないまま、高らかに笑って諦めている。
神が十全なのと同じように、天才は重力に縛られていかることに、殊更に強く文句を垂れる。
不完全なところが可愛いのに、と、神は自分の完全性を嘆く。
天才がその天才性を看破されるのは、往々にしてその欠陥としての異常性で。
この世に生を受けた神は、他者として、想像の中で凌辱される。
誰もあなたが神だと信じないように、私はあなたを神だと決めつけている。
そういう方法でしか、神の存在を看破することができない。
笑ってしまう。あなたが本当は何であるかなんて、実はどうでもいいことなのに。
疑う、の反対は、信じる。
その二つに本質的に優劣はない。
疑うだけ疑う?
信じるだけ信じる?
結論は変わらない?
事実は不変?
あなたを信じるのは、知りたくないということなのか。
あなたを疑うのは、私にとって都合の悪い事実の判明可能性を、回避するためなのか。
そもそも他者を考えるのは、自分にとって都合のいい事実を、他者からひねり出すためなのか。
優しさは、時折私に反駁する。
冷たさは、時に私を愛撫する。
何にしても自分勝手だ。
形容詞が形容詞であるための、唯一の尺度。
日常にヒビが入る。
最初からなかったはずの自我が、なぜだか崩れていく音がする。
嘘ばかりついていたからか。優しすぎたか。
誰も周りにいない。いても私を知らない。当然ながら、私も、私という存在を知覚することはできない。
くたりとしなった小松菜のように、バスの座席に寄りかかる。
さらさらと風に流れていけばいいのに。体は、ずっと私のままだ。
都合が良すぎるか。
気取るほど、ロマンがあるわけでもない。
役割という言葉では片付けられない、尊い行為。
嘘という概念を、少し疑う。自分を承認するための疑念。
気づきにくさ。
並び立てられる楔が、私から何かを切り出して進む。私のことを置き去りにして。
私から独立して。
言語は進む。
庭ができた。多くのことを、庭は含んでいる。事実としてどういうものを含むのか、私は知らない。庭の豊穣の香りは、事実以上のものを含んでいる。
私は区画しただけなのに。庭、外部にある小さな世界。
緊張して当たり前なのだよな。
私だけではないのだよな。
私への言及をいくら重ねたところで。
それはそれだと、指し示すことしかできない。
それは一体、どこにあるのだ。
曖昧な保存の仕方。揺らぎの中に、それは存在する。
あやふやなのは、自己同定ではない。固定的な意味がなくなってしまう、厚みだとしたら。
不在。は、無ではない。と言いかける哲学臭。
定義ができないと、言い張るのも、何だか違う。それは、存在していないわけでもないから。
他者を感じ取れないのと同じレベルで、自分のことを感じ取ることは、できない。
重なる不可能性。私。
誰かに強く欲されることもなく。
それに、なりきれない、私の憂愁。意識の構築する世界。
私がそれだったら、きっとあなたは特別じゃないだろうとか、安いことは言わない。言わないであげてやる。
それなんて、綺麗な言葉で、私はかたどれない。
それと言ってしまっていいものは、あんまり見つからないけれども。
私が不定なのは、あなたが不定だからだ。
私が不定であることは、あなたになりうる誰もが、私にとって不定だからだ。
私が私である瞬間は、唯一、あなたと一緒にいる時だけだ。
一人では何もわからない。昔からそうだ。
引っ張られていく。間延びしていく。
多くの歌がそうであるように、音と音の間、歌詞と歌詞の間には、誰にもわからないこだわりが詰まっている。
新しいか、新しくないかではない。
ズタズタに刻まれた素材。
私の喉が、開いている。
うまく、世界に触れられなかったのは、私のせいだった。
映像が切り取る、エフェクトをふんだんに使った夜のように、私は、手でスマホをいじっている。
メッセージを送り、誰かと繋がるためというのが、相場だろう。
音楽を聴きながら、電気スタンドの下で。
王様でも、皇女でも、それは変わらない。
映像に刻印された、私の姿。傾く太陽に、唇を引き結ぶ。
指が文字を打ち出す。適当な挨拶と、気持ちのこもらないせりふを、吐き出すたびに壊れそうになりながら。
それでも、眠るよりはいくらかましだろうと。
ひどい顔をしている。ひどいくらいなら、まだいいけれど。
簡単な想像力で、全てを片づける。想像力が働くなったら。
今の時間がわからなくなる。今いる場所が定かでない。感覚が混濁している。
まあ、なんとかなる、くらいのことが、私にはもうわからない。
友達のことが心配で、夜、新幹線に乗った。そういう気分でお酒を飲んだ。
もう私の方が元気がない。
気づいたら東京駅にいた。
新幹線に乗って、乗って乗って、狂い果てて。
新大阪の、焼ける鉄の改札で、刻印を押された。
ずいぶんと、悪いことをした。
もっといいことをすればよかった。
牛丼を食べて、ホテルで、ぐっすりと眠った。こうでもしなければ、眠れなかった。
明日?
来た時に考える。
何で、あんなに笑わせてくれたのに、私は、うまく笑えなかったんだろう。あなたのことが好きだったのに、それでも笑えなかったんだ。何でだろう。
あなただから、笑えなかった。正直に見つめてしまった。
描きたい。いつかの間に、記憶したことを、目の前に、描き表したい。
ほのぼのとあかる焚き木の映る、昼間の電車の、ガラス窓に、声が残る。
まだ明るい。まだ間に合う。間に合うか? 間に合う。もう暗い。まだ。まだ全然明るい。重なる。まだ生きている。
焼けていく。私の体が、燃えている。ぼろぼろと朽ちた先から。
雪雲が、海に立ち込める。
河口は大荒れで、光るものが何かもわからない。
たぶん漁火なのだろう。わからないけれど。
車内はあくまでも静かで、泣くわけにもいかない。
十年も二十年も前に、子供だった時に、やはり泣きはしなかったと思う。
電車の車輪が声を輪切りにする。いくつかの言葉が断片的に聞こえる。
昔は哄笑だけだと思っていた。
嗚咽する。喉が出す音に、驚く。
収拾をつけようと、喉をひっくり返してして。むせて、咳き込む。こぽこぽと喉からこぼれる。透明な唾液。
できるなら、軽く。大したことないと。
壊れていくのも、できれば。
壊れたくない。気がする。
お腹減った。昼はあんなに食べる気がしなかったのに。
さっさと帰るに限るな。
さっきお腹いっぱいになった。後は帰るだけだ。途中で、挫けそうになっても、帰ったら家族がいる。
この箱の中の人がどうかはわからない。渋面を作って、それでも幸せかもしれない。
焼ける箱。外界から閉ざされて。新宿からははち切れそうで、とぼとぼと駅に降りると、夢から覚めたかのような心地。
酸素に喘ぐ。ドアが開いた冷たい空気を吸い込むとすぐ、ドアは閉まり、まだ夢は続く。
眠るのとは違う。急行でもこんなに遅い。もう少し、夢を。
結露するガラス。外は雪が降っている。どちらが夢でも文句はない。
外は寒いのだ。
むせかえるようだった列車、もう人もまばらで。
冷気が入ってくると、やはり夢は夢だと。
夢よりまし。と思わないでは、やっていられないと、笑う。
骸骨が、カタカタと。私を運んでいる。
あれほど、頻繁に襲ってきた吐き気も、体の震えも、孤独の寒さも、音楽に支配された自律神経も。全部骸骨がひっくるめて持っていってくれた。
その代わり私は一つトークンを置く。
お腹いっぱいにしてくれてありがとうのマーク。
今まで使われたことのない言葉を使うためには、本を、読んでいなくてはならない。
本当だろうか。
新しいというのは、知っているということだ。
そんなこと、あっていいのかよ、と。
詩を書くというのは、本当に文学的営為といえるのかな。
本当は、文学なんてものはなくて、単純に、言葉だけが転がっていて。
単なる確率の問題でしかないのかもしれない。
組み合わせは、有限なのに、どうして、文学なんてあるんだよ。
文学がなければ、よほど簡単だったじゃないかって、思わないではいられない。
その箱はもう、言葉でいっぱいだ、見ていられない。見ていられないんだよ。
引用なんか、してる暇ないんだよ。
読んでいる時間もない。
そうやって衰弱していくのは、私だ。
問題意識がないんだ。新しくなくてもいいんだ。書くことが、私には重要なんだ。
そうやって人生を誤魔化すことで、実に真面目に。
スマホに打ちつける文字が。
私ではないように。
それなのに、私小説めいて見えるのは。
私が、アニメを観ていたことが、確かな事実だから。
違うふうに書く癖は、少し並行移動すれば、事実と重なる。
事実を書くことはできない。そんなことをできる文学者を、私は文学者とは呼ばない。
並行移動して、ねじって、数値を変えて、私を安心させる。
これは本当のことではないと思いなす。
私小説と呼ばれることを、怖がるから。純文学の最大の瑕疵だと恐れるから。
他者を扱うのは、だから、簡単だと思う。何も恐れない。ぞんざいに扱っても、非難されない。
純粋な他者は、いないけれど。世界は、役割のみによって成立しているわけではあり得ないから。
他者に触れたことがない。
私は、それでいいと思う。しょうがない。
作るのは、それによって他者たる自分に触れるため。
私に距離は推し量れない。
どこかで水をこぼしたか、目かたが減って、少し悔しい。
春の匂いは嫌いだ。
私の人生は、紙の匂いであふれている。
揮発するインクの、こすれた油の様な香りが、水分を吸った紙から、溶け出していく。
人の言われた通りにやる。悪くないだけで、好きではない。
練られた言葉と乱雑な言葉は、丁寧な態度と雑な態度ぐらい異なっている。。
桜の花びらが、アスファルトの上に落ちる。まるで藍や紺の輪郭がつけられた様に、くっきりと桜色で、鮮やかに浮かび上がる。
怖いのは覚えていないから。恐怖は、記憶力の裏側にくっついている。
思い出せないのではない。忘れている気がするだけで、むしろ、忘れていた方がよっぽどいい。
計りかねる。針小棒大の焦燥。自分への懐疑心。もう一声で、それらと、眠りとともにくるまって。
朝が来る。
怖いくらいが、ちょうどいいのだから。
私が覚えているか覚えていないかなんて、もう私には、わからない。もう一度会ってみて、それで初めてわかる。私が十七だった時のことを、検証することはできないし、それは十年以上前の、記憶の言葉の連鎖としての、仮構の物語にすぎない。現在までの私の人生だ。