第8話 糸と音が、魔法になるとき
猫だったナナが「ミレイユ」として目覚めた夜。
リリカが彼女に赤い糸を結び、ふたりの心が静かに寄り添っていきます。
そして「共鳴魔法」という言葉が初めて語られ、オルゴールがふたたび音を奏で始めます。
音と心が繋がるとき、世界は少しだけ優しくなる――
そんな魔法のはじまりの物語です。
「ミレイユ、腕を出してみて」そう言ってリリカは、まだ残っている赤い糸を取り出して、ミレイユの手首に、自分と同じように糸を巻きつけた。
「ふふふ、お揃いだね。」
人の言葉にならない口元で、何度も「ミレイユ…」と自分の名前を確かめていた。しかし、すぐにミレイユはまた、リリカの膝に頭を置いて寝てしまった。
(ふふふ、やっぱり猫じゃない。)
それをみていたシュエルが、
「もしかしたら、二人で共鳴魔法が作れるかもしれない。」と言った。
「共鳴魔法?」
「そもそも、さっき…何が起きたの?ナナに『名前』を呼んだだけなのに。あれって魔法…?それとも奇跡?」
「名とは音にして紡がれた、最も古い魔法のひとつだ。精霊や魂を持つものにとって、真名は「鍵」になる。きっとミレイユはこの世界に来て、猫の精霊になっていたのだろう。」
「鍵?」
「そして、君とミレイユに起きたのは--《ノート・デュオ》共鳴の第一段階だ。精霊と心が繋がった時、音が鳴る。名の音が、それぞれの魔法を目覚めさせる。」
「でも…それって、どうして音なの?私はただ名前を…」
「“ただ”じゃない。君は名を想った。想いと音は繋がっている。音魔法とは、心の響きを世界に繋ぐ術だ。リリカは音魔法を持っているだろう?」
「……」
「ノート・デュオは、共鳴の始まりにして、終わりでもある。二つの音、いやもっと多くの魔法が重なれば、やがて世界を奏でる《ハルモニア》になる。」
その言葉に、リリカは息を飲んだ。
「じゃあ、…ナナ…ミレイユが『私と繋がったから』?それが魔法?」
シュエルは微笑まず、静かに頷いた。
「名を与えたのは君だ。そしてミレイユが『在る』と証明したのも君だ。名とは、存在を肯定する行為なのだ。」
リリカは自分の膝の上で眠るミレイユを見下ろした。その細い肩が、微かに呼吸に合わせて、上下している。
「ねぇ、シュエル。ノート・デュオって…怖い魔法る」
「使い方による。だが『共に在る』ことを選べば、音は優しく響く。」
リリカの胸の奥で
ミレイユを起こして、部屋に戻った。なんとなくオルゴールを触ってみた。鳴らないってわかっていても、たまに鍵を回してしまう癖が付いていた。
シャラン--
という淡くやわらかい一音。
たった一つの音なのに、空気が変わったように感じた。それはまるで、部屋の奥深くに差し込んだ、月明かりのようだった。
「…音…出たの?」
リリカが呟くと、オルゴールの蓋が光っていた。見えないはずの文様が、淡く青銀色に浮かびあがっている。それを見つめるリリカの手首で、もうひとつの感触が走った。
「これってミレイユの音だね」リリカは、ふとそう思い微笑み、ミレイユを見た。
ミレイユは目を細め、嬉しそうに笑った。
「あたし、リリカに出会えて良かったって…思ってる。その音がそう言ってくれているみたいだった。」
それは当然のように思えた。ずっとそばにいた存在。気づけば一緒にいる相手。音が鳴ったことに、納得があった。
リリカはそっと笑って、オルゴールをもう一度回しまた。
「シャラン」
音がまた静かに咲いた。
赤い糸--ジュエルにもらった毛糸より細い柔らかな不思議な糸。それが小さく震えた。
「糸が…共鳴している?」
リリカの言葉に、ミレイユがそっと頷いた。
「なんで音が鳴ると糸が震えるのかしら。」
すると、足音がした。振り返ると、木の扉からシュエルが入ってくる。
「…聞こえた。オルゴールの音。」
彼は穏やかな顔をしていた。けれど、瞳の奥には何か確信めいた光が宿っている。
「それは“音の欠けら”だよ。リリカ。」
「音の欠けら?」
シュエルはリリカの手にあるオルゴールを見つめながら、ゆっくり頷いた。
「君が集めるもの。…この世界に『音』を取り戻すための始まり。」
「始まり…?」
「君はまだ、自分がどんな存在なのか知らない。でもオルゴールが応えたということは--この世界も、君を待っていたというということだ。」
リリカは、手首の赤い糸に触れ、光るオルゴールをそっと閉じた。静かに胸の内に広がっていく不思議な感覚。それは、心が澄んでいくやうな、けれど何か大きな使命に包まれていくような--温かな恐れだった。
「ねぇ、シュエル。」
「なんだい?」
「この糸は、まだどことも繋がっていないのに…どうして、ミレイユと共鳴したんだろう。」
その問いにシュエルは小さく笑った。
「それは多分…リリカ、君の“願い“が先に動いたからさ。」
「願い?」
「名前を呼んだことで、一人の精霊がこの世界に身体を宿して生まれた。そして、音が鳴った。きっと、願いは音になり、道を繋いでいく。糸はそれを感じる力なんだよ。」
リリカは再びオルゴールに視線を落とした。
たった一音だけだったオルゴール。けれど、確かに彼女の中の何かを揺らした。
シュエルは、赤い糸をそっと撫でて続ける。
「これから君は『音の欠けら』を集めることになる。精霊たちの名前を呼び、仲間と出会って、魔法と共鳴して…」
「その先に何があるの?」
シュエルは言った。
「さっき話した《ハルモニア》--全ての魔法を繋げる、最終の旋律さ。」
シュエルが去ったあと、部屋の中は少しだけ温かさを増した。ここは他の部屋より少しだけ暖かくて、夜になると微かな音が壁の向こう側から聞こえる気がした。
もう一度、窓辺に置いたオルゴールを手に取った。不思議なオルゴール。おばあちゃんが言ってたように、誰かと繋がると音が鳴るのね。
すると、--カチリ、と小さな爪が弾けたような音の後、一音だけ銀のような透明な響きが室内を包んだ。
「…今の…音?」
手首の糸、また微かに揺れた。オルゴールの横に置いておいた、織りかけの布の中に織り込まれた赤い糸が、ほんの一瞬だけ、光を帯びる。
読んでくださって、ありがとうございます。
ミレイユとの共鳴、そして“音の欠けら”のことが少しだけ見えてきました。
次回はいよいよ精霊との出会い……!というところまで、あとちょっと。
静かな不思議が、ふんわり積もっていく感じを楽しんでもらえたら嬉しいです。
また次の話でお会いしましょう♪