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音もなく咲くー異世界で紡がれる、音と精霊の物語ー  作者: 小桜 すみれ
第九章 城塞都市
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第48話 静かな本棚の向こう

朝の光の中、リリカは新しい一歩を踏み出すために支度を整える。向かう先は、まだ見ぬ静かな街角。

 朝の光が斜めに差し込む部屋の中で、リリカは机のノートをそっと閉じた。昨夜までに書き留めた、練習の記録と、自分なりに考えた精霊との組み合わせの応用。ページの端には、ミレイユが描いたいたずら書きのような猫の絵が残っている。

 (まだ、知らないことの方が多いわ。)


 もっと、深く魔法のことが知りたいと思った。精霊との共鳴が進むほどに、ただ力を借りるだけではなく、それをどう使いこなすかが問われている気がした。


 ダイニングでは、朝食の香ばしい香りが漂う中、シュエルが木のカップに紅茶を注ぎながら、目を上げた。

 「何か考え事?」

 「うん、昨日の練習で思ったんだけど…、もっと魔法のことが知りたいの。魔法書、他にもあったりしない?」


 リリカの問いかけに、シュエルはほんの少し思案した様子で、そして、ふっと微笑んだ。

 「この家にあるのが、もう君が読んだものくらいかな。けれどーーそうだね、城砦都市の本屋に行けば、何か見つがるかもしれないよ。古書を扱っている店もあるし、異界の知識に興味を持ってる者たちも多い。」


 「本屋…!」

 リリカの瞳がぱっと明るくなる。日本にいた頃も、静かな書店に足を運ぶのが好きだった。紙の匂いと、本が並ぶ背表紙の規則正しさ。あの空気が、ここにもあるのだろうか。


 「行ってみたい。ミレイユと一緒に。」

 「それなら、気をつけて。人通りが少ない場所を選ぶといい。騒がしい方の通りには、盗賊まがいの輩も紛れていることがあるからね。」

 「分かった。ありがとう、シュエル。」


 リリカは椅子から立ち上がり、早速支度を始めた。今日は、新しい一歩を踏み出す日になるーーそう予感しながら。

 朝のウッドデッキには、光の粒がこぼれ落ちるように差し込んでいる。

 リリカは手のひらにそっと羽を乗せているリフレナを見つめながら、背後の気配に気づいて振り返った。

 シュエルが小さな包みを手にして立っていた。


 「これを、君に渡しておこうと思って。」

 そう言ってシュエルが差し出したのは、柔らかな革でできた、掌ほどの大きさの財布だった。色は深い藍。金の糸で繊細な模様が刺繍されている。


 「…これ、何?」

 「“必要な額だけ出てくる財布”だよ。限りがある訳じゃないけれど、欲に任せて手を伸ばせば、何も出てこない。君が“必要だ”と思った時だけ、その分だけ手に入る仕組みさ。」

 「そんなの、どうして…」

 「誰かから預かったものなんだ。詳しくはいずれ話すよ。でも君には、きっと必要になる。使いどきは、自分で決めるといい。」


 リリカは、受け取った財布をそっと胸ポケットにしまい、深く頷いた。

 「ねえ、シュエル。さっき話した城塞都市って、なんていう名前なの?」

 シュエルは軽く顎を引いて答えた。

 「“ソノリス”ーーかつて“音の都”と呼ばれていた場所だ。今はその面影も薄いけれどね。」

  

 その響きを、リリカは胸の奥で繰り返した。音の都。失われた音を求めている自分には、あまりにも符号が合いすぎている。

 「ありがとう、シュエル、ちょっと行ってみるね。」

 「気をつけて。ソノリスの静けさは、時に音よりも重たいものを語ることがある。」


 リリカは頷き、再びリフレナへ向き直る。

 「お願い、リフレナ、ソノリスの中で、人に見られない場所へ連れて行って欲しいの。音や精霊たちのことを、今はまだ知られたくないから。」


 リフレナはふわりと舞い上がり、光を反射する水色の羽を揺らした。

 『分かったわ。古い倉庫街の裏手が、ちょうど静かで安全そう。風の通り道を使えば、目立たずに行ける』

 「ありがとう。」


 リリカの後ろには、既に仲間たちが集まっていた。ミレイユの肩越しに、音、風、火、水、土、光ーー六人の精霊たちがそれぞれの気配をまとって寄り添っている。


 『転移の風に乗るなら、私と一緒に来て』

 とリフレナが穏やかに言った。

 みんな、行く気満々だった。

 「ミレイユは手を繋いで。」

 リリカはリフレナに頷き、そして広げた羽がひときわ強い光を放つ。

 『それでは、行きます。目を閉じて。』


 リリカは目を閉じた。風のざわめき、水の音、土の気配、炎の息吹、光の眼差し、音の震えーーそれらが全て、ひとつの波となって彼女を包み込んだ。


 次の瞬間、世界がふっと反転する。

 視界が白く満たされ、足元に冷たい石の感覚が戻ってきた。


 そこはーー

 古びた倉庫が並ぶ、城塞都市ソノリスの裏路地だった。昼間でも人影はまばらで、石畳に落ちる断片の音だけが静かに響いている。


 『ここなら、静かに歩けそうだわ』

 とアクエラが水のように囁いた。 

 リリカは一歩、足を踏み出した。

 ーー音の都、ソノリス。忘れられた記憶との出会いに満ちた場所へ。

 石畳の継ぎ目には苔が生え、風に乗ってどこかの鐘の音が微かに届く。フェリラが嬉しそうにくるくると宙を舞い、ルエルは肩の上で静かに羽を震わせている。


 「ここが…ソノリス。」

 リリカはそう呟いて、改めて周囲を見渡した。

 空には薄雲がかかり、灰色の石造りの建物が並ぶ街並みには、どこか時間の止まったような静けさが漂っていた。けれどその静けさは、村のような素朴なものではなく、音を失った後に残された沈黙のようだった。

 「昔はもっと賑わっていたかもしれないね。」

とミレイユがぼそりと呟く。

 一行はしばらくして、街の中を歩いていた。すれ違う人々も静かでどこか沈んでいるかのように見えた。


 『ねぇ、あそこ…』

 アクエラが細い通りの先を指差した。

 リリカが目を凝らすと、路地の一番奥に、一軒だけぽつんと建つ店が見えた。色褪せた木の看板がかかり、入り口の扉に小さな鈴がぶら下がっている。窓辺には乾いた本がぎっしりと積まれ、ところどころに巻物や羽ペンが見えた。


 「…本屋、かな?」

 リリカは歩を進める。ルエルが肩から飛び降りて、店先の窓枠にとまり、ふわりと銀色の羽を揺らした。

 扉に手をかけると、ちりん、と小さな音が鳴った。

 (この音…懐かしい。)


 それは、どこか日本の古い店先で聞いたことのある、記憶の底に沈んだような音


だった。音が乏しいこの世界にあって、それだけで胸の奥がふっと温かくなる。


 中に足を踏み入れると、ほんのりと紙とインクの香りが鼻をくすぐった。天井まで積まれた本棚。擦れた木の床。窓には陽射しが差し込み、埃がきらきらと舞っている。

 「…誰か、いますか?」

 そう呟いた瞬間、背後の階段から、静かな足音が一つ、ゆっくりと下りてきた。

 ぎ、と年季の入った段板がわずかに鳴る。


 リリカがそっと振り返ると、そこにはリリカと同じような年頃の一人の少女が立っていた。長い黒髪を緩やかに結び、くすんだ色のローブに包まれた細身の体。顔立ちは整っていて、目元に少し翳りがある。

 そして何りーー少女の瞳には、まるで書物に眠る真理を映しているかのような静けさがあった。


 「…本をお探しですか?」

 その声は、控えめでありながら、よく通る調子だった。リリカははっとして言葉を探す。


 「えっと…うん。魔法のことを、もう少し知りたくて…」

 少女は軽く瞬きをした後、ふわりと目元を和らげた。どこか不思議な懐かしさがその表情に滲む。

 「こちらの棚は、魔法関連の記録が多いです。精霊との契約に関する資料も少しだけ。」

 「ありがとう。」

出会いは、時に言葉よりも静かに始まる。静けさの奥にあるものは、これから少しずつ明らかになっていく。

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