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音もなく咲くー異世界で紡がれる、音と精霊の物語ー  作者: 小桜 すみれ
第八章 封じられた映し
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第44話 時の縁に立つ

足を踏み入れたのは、霧に沈む静かな場所。

そこには、時を忘れた何かが、ひっそりと息づいていた。

目にしたもの、感じたこと、それは“音”のない世界に差す、小さなきざしだった。

 「この辺だったと思う。」

 カイは一歩、白の中へ進む。その靴音だけが小さく響いた。


 「…あれ。」

 リリカの目が、奥の影を捉えた。

 白い光の溶けかけた、崩れかけの屋根。瓦のようなものが斜めにずれ、石壁はひび割れ、ツタに覆われている。


 「…見つけた。」

 その建物は、森の奥にひっそりと沈むようにして、そこにあった。

 白い場所の奥、誰にも見つけられないように眠っていたーー廃墟だった。


 廃墟は、思っていたよりも静かで、思っていたよりも、まだ息をしているようだった。


 「…入ってみよう。」

 リリカが声を落として言うと、カイが頷き、先に足を踏み入れる。軋む音すらない。乾いた空気が彼らを包むだけだった。


 中は荒れていたが、崩れは少ない。かつて誰かが整えたように、壁は半分残り、床の石も並んだまま、敷き詰められていた。


 「誰もいないのに、…なんだか、片付けられているみたい。」

 リリカがそう呟くと、ルエルが肩に乗って

 『時間が止まった場所、って感じだね』

 と耳元で囁いた。

 奥へ進むと、小さな部屋のような区画が現れる。窓もない。天井の一部は抜けて空が見える。


 そして、そこにーーあった。

 「…鏡だ。」

 リリカの声が自然と低くなった。


 壁の一面に立てかけられていたのは、正方形の鏡だった。四十五センチ角程の大きさ、手で運べるぎりぎりのサイズだ。

 鏡には細かい埃が降り積もり、ところどころに微かなヒビが走っている。けれど、その縁には、緻密な模様が刻まれていた。


 時計の文字盤のような意匠。数字ではなく、何かの符号に似た印が等間隔で刻まれ、ところどころに空いた穴がそれらを囲むように存在していた。

 

 「これは…」

 カイがそっと手を伸ばし、縁のひとつの穴に触れかけて、動きを止めた。

 「…あのときも、これがあった。」


 リリカは黙って見守っていた。カイの表情に、ためらいと痛みが混ざっているのが分かった。

 「この穴…もしかしたら、俺の時計が入るのかもしれない。」

 ポケットから取り出されたのは、止まったままの腕時計だった。金属の縁が擦れて傷ついている。でも、その大きさと形は、鏡の縁の穴とーーぴたりと合いそうだった。


 だが、カイは動かなかった。指先を近づけたまま、ふっと息を吐き、時計を引いた。

 「…今は、やめておく。」

 誰も責めなかった。鏡は静かにそこにあり、ただ、時を待っているように見えた。


 リリカは、鏡の縁をそっと撫でながら言った。

 「この鏡、丘の家の“鏡の間”に安置しよう。…持ち帰って、ちゃんと保管したい。」

 その声は、どこか決意を帯びていて、静かながらもはっきりと響いた。


 カイは、しばらく黙っていた。

 けれど、次の瞬間、ふっと息を吐いて、小さく笑う。

 「…そうか。そうだな。」

 そして、鏡をもう一度見下ろし、ぼそりと呟いた。

 「なんだか…ここでの居場所ができたみたいだ。」

 その言葉は誰に向けたものでもなく、どこか安心したようだった。

 リリカはその横顔を見つめて、優しく頷いた。


 鏡は沈黙を保っている。けれど、この場所が見つかったこと自体が、きっと意味あることだった。

 静かな時間の中で、ひとつだけ刻まれたのは、カイの心に芽生えた“場所”への思いだった。


 廃墟の扉をゆっくり押し開けて、リリカたちは外に出た。

 カイは、両腕に鏡を抱え、足元を確かめながら、一歩ずつ降りる。

 白い空気はまだ静かで、光を淡く漂っていた。


 …その時だった。

 「っ、リリカ、下がれ!」

 カイの声と同時に、霧の向こうから何かが飛び出して来た。咆哮にルエルの羽音が響き、リリカを後ろに引く。


 現れたのは、黒い毛並みに覆われた巨大な四つ足の影。

 『…魔獣!あれは《バルヴァイン》よ!』

 ルミアが、叫ぶ。光の精霊である彼女は、霧の揺らぎにみえる“歪み”を読み取っていた。


 《バルヴァイン》ーー白霧の地に棲む影の獣。咆哮によって音を撹乱し、方向感覚を狂わせる特性を持つ。


 『ぼくの音が、かき消される…』

 ルエルが目をすがめた。

 『…任せろ。音を乱すんなら、炎で風を作ってぶっ飛ばせばいい!』

 フレオンが猛然と前に出て、熱を纏った火球を放つ。


 けれどバルヴァインは、霧の中をすり抜けるようにかわし、影を引いて背後へ回り込む。


 『早い…!』

 フェリラが即座に風に渦を作り、霧を散らすように風を巻き起こした。

 『ルミア、照明を!』

 『はいっ!』

 空中で金の羽が広がり、まばゆい光が白の世界を切り裂く。


 その中に、バルヴァインの影が浮かび上がる。

 『アクエラ、滑らせて!』

 『了解ですわ!』

 水の精霊が足元に氷の膜を広げ、バルヴァインの踏み込みを封じた。

 足を取られた獣が一瞬、体勢を崩す。


 「…行ける!」

 その隙に、鏡を置いたカイが、地面を蹴った。

 「リリカ、援護!」

 「うん!ルエル!お願い!」

 『《沈黙の律動》!』

 リリカの叫びに応じ、ルエルの音魔法がバルヴァインの身体にまとわりつく。獣の動きが鈍くなり、咆哮のリズムが乱れた。


 『風よ穿てーー《風刃連爪》!』

 カイが踏み込み、腕を振る。

 火と風の合わせ技が、鋭く魔獣を裂く…のではなく、霧だけを斬り裂いた。

 その風圧に押されて、バルヴァインは霧ごと吹き飛ばされ、転げるように遠ざかるり


 「…退いた?」

 リリカが声を落とす。

 『すごい、連携完璧じゃん!』

 『おい、俺の火が効いたよな!?なっ!?』

 『ええ、まるで見事な組曲でしたわ』

 ルエルとフレオン、ルミアが騒ぐ中、カイはそっと地面に置いた鏡を持ち、ふぅと息を吐いた。


 「…助かった。リリカの音が、タイミングぴったりだった。」

 「ううん、みんなのおかげだよ。ほんとに。」


 精霊たちのわちゃわちゃの声が、静かだった白の世界に、少しずつ音を取り戻していった。


 魔獣バルヴァインの気配が完全に消えた後、辺りには、再び静かな白の霧が戻っていた。だが、その空気にはどこかに滑らかな余韻が漂っていた。


 「さて、戻る方法を探さなきゃね。」

 リリカがそっと呟くと、ルエルが肩に乗って頷いた。

 『木は必要だよね?転移のためには』

 「うん、リフレナ、お願い。欅の木が近くにないか探したいの。」


 呼びかけに応じて、そらいろの羽が柔らかく響いた。転移の精霊リフレナが姿を現し、リリカの手をそっと取る。

 『すぐに、みつけるの…一緒に、飛ぶ?』

 「うん、行こう。」


 リフレナと手を取り合うと、空気が波のように揺れる。ーーほんの一瞬、時間の感覚が飛ぶ。

 ふたりが舞い降りたのは、小高い丘の縁だった。そこには、しっかりと根を張った一本の欅の木が立っていた。


 「…あった。リフレナ、ありがとう。」

 『うん。この木、使える…』

 リリカは木の根元に軽く手を添え、位置を確かめた。見晴らしの良い地形で、周囲に魔獣の気配もない。転移の結び目としては、申し分ない場所だった。


 再び転移で廃墟の前に出ると、カイが鏡を守るように座っていた。

 「欅の木、見つけたよ。あっちの丘に一本、いい場所があるの。そこから転移できると思う。」

 「助かる。リリカが一緒じゃないと、木を見つけるのも一苦労だからな。」

 カイは立ち上がり、鏡をしっかり抱え直す。


 リリカは少し不安げにその様子を見つめて、それから静かに言った。

 「気をつけてね、カイ。フレオンも一緒にいてあげて。」

 『任せろ。火力の番人だぜ』

 フレオンが胸を張るように空中を跳ねると、カイは苦笑しながら頷いた。

 「そっちも、気をつけて。」

 「うん。すぐに丘の家に戻るよ。」


 そう言って、リリカはリフレナとミレイユと手を取り合う。

 ルエルとルミア、アクエラ、フェリラ、ティリムがその背に集まり、小さく頷いた。


 空気が波打ち、風と光の気配が交差する。やわらかな青の魔法陣が浮かび、リリカと精霊たちは音もなく、白の地から消えた。

お読みいただき、ありがとうございました。

精霊たちの力と、仲間との信頼が導いた今回の旅。

見つけたものが、これからどんな意味を持つのか--

少しずつ、静かに物語が進んでいきます。次回も、どうぞお楽しみに。

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