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音もなく咲くー異世界で紡がれる、音と精霊の物語ー  作者: 小桜 すみれ
第八章 封じられた映し
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第40話 命を繋ぐ音

音の欠片を追う旅のなか、森にひそむ影が姿を現す。

試されるのは、仲間を想う気持ちと、ひとつの願い。

小さな叫びが、静かに音を呼び覚ます。

 遺跡の広場に重く低い咆哮が響いた。その音は、空気ごと沈めるような圧を帯びていた。木々がざわめき、森に潜んでいた何かが、目を覚ましたかのように気配を強めていく。


 「…来る。」

 カイは剣の柄に手を添えた。気配は、北の杜の奥--遺跡に繋がる斜面の下からだ。

 風が止まり、鳥の鳴き声が消えた。ほんの一瞬、全ての音が凍りついたように静まり返る。


 そして、次の瞬間--光を引き裂くように、巨大な影が姿を現した。


 それは黒鉄のような鱗に覆われた熊のような獣だった。全身が煤けた煙をまとい。背には枝角のような棘が生えている。足元からは闇の瘴気が滲み、瞳は光を吸い込むように深く、光らない。


 魔獣グライモル


 『幻獣系…!!昔の神殿に棲みついていた、そういうタイプですの!』

 アクエラが即座に魔力の流れを読み取り、警告する。


 『闇と幻覚の属性…こいつ、視界を歪めるぞ!』

 フレオンが叫ぶと同時に、グライモルの口から黒煙が噴き出した。周囲の空気が歪み、木々の影がぐにゃりと揺らぐ。


 「リリカ!目を逸らすなよ!」

 カイが叫ぶ。だが次の瞬間、視界がぐらりと揺れた。


 --何が本物で、何が幻か。


 リリカの足元が崩れ、森が上下逆さまに見える。


 『幻覚だ!リリカ、意識をはっきり!』

 フェリラが横から風の渦を巻き起こし、空気を一気に吹き飛ばす。


 その風が幻を散らす一方で、グライモルが巨体を地に這わせて、突進して来た。


 「あぶな…っ」

 リリカがとっさに後退しようとした、その瞬間だった。

 --カイが飛び出し、彼女の前に立ちはだかる。


 「リリカ、ふせろ!」


 グライモルの爪が振り下ろされる。鈍い音、肉を裂く感触。返り血が、乾いた音を立てて地面に落ちる。


 「カイ…っ」

 リリカが顔を上げたとき、カイは肩を押さえながら地面に片膝をついていた。

 彼の肩口から、鮮血がじわりと滲んでいる。鱗の裂け目に潜む爪が、彼の肩を深く抉っていたのだ。


 声が震える。胸が締め付けられる。手の中の空気が震え、ポケットのオルゴールがふるりと小さく反応する。


 「…フェリラ、フレオン、アクエラ、ティリム!お願い、助けて!」

 リリカの叫びと同時に、精霊たちが一斉に前に出た。


 『風刃かざじん展開!行くよリリカ!』

 『水の矢、連打しますわ!』

 『俺の火で目眩しを仕掛ける!』

 『ボクは、回避の土壁をつくるね!』


 四体の精霊が魔力を放ち、連携攻撃が展開される。風が切り裂き、水が貫き、火が煙を裂いて、眩惑を誘う。


 その隙を縫って、カイが立ち上がる。左腕を垂らして、右手だけで剣を構える。


 「仕留める…!」


 カイは剣に炎を纏わせる。剣が軌道を描き、グライモルの喉元へと迫る。炎の残光が刀身に絡み、フレオンの最後の一撃が後押しする。


 --金属が鳴るような音と共に、グライモルの体が大きく揺れた。


 呻くような咆哮を最後に、魔獣は倒れ込んだ。黒い煙が残響のように周囲を覆い、やがて風にさらわれていく。


 リリカは地面を蹴って、カイの元に駆け寄った。


 「カイ…!」


 彼は片膝をついたまま、肩を押さえている。剣を振り抜いた反動で、傷がより深くなり、裂けた肩口から、血が噴き出していた。顔色は悪く、目の焦点も少しだけ遠い。


 「お願い…お願い…いや…」


 リリカは震える手でカイの首に触れた。言葉にならない声が、喉の奥で詰まっていく。

 怖い。傷が深い。怖い。死んじゃったらどうしよう。

 怖い、いやだ、治したい、助けたい--


 『消毒ならわたしもできるのですけれど』

 『止血なら俺も出来るけど、深いぞ、これは』

 「どうにか出来ないの!助けて!」


 その時だった。

 空気が変わった。


 風が止まり、世界が一瞬だけ静止したような感覚の中、リリカの手首の赤い糸がびくんと強く震えた。


 次の瞬間、遺跡の空に--光が差し込んだ。

 それは太陽ではなかった。

 夕暮れのそれでも、焚き火でもない、もっと柔らかく、もっと静かで、けれど強くあたたかい--


 金色の光の粒が空から降りてくる。

 それは人の形を成し、やがて一人の小さな少女の姿になった。


 『…その祈り、わたくしに名を』

 透明な声が響く。


 彼女の髪は肩で揺れ、光の糸束のように透き通っている。

 瞳は白金。鏡のように澄んでいて、まっすぐにリリカだけを見つめていた。花弁のような衣がゆっくりと揺れ、背には六枚の光の羽が浮かんでいる。それは、蝶のようでも天使のようでもなく、まるで夜の帳をやさしく裂いて、光を編んで作られたような羽だった。


 その存在が、そっと問いかける。

 『…あなたが願った。癒しを、光を。わたくしはその呼びかけに応えて、ここに参りましたわ。』


 リリカの目から、ひとすじ、涙が溢れる。声が自然に溢れてくる。まるではじめから、知っていた名前のように。


 「…ルミア…あなたの名前は…ルミア…!」


 光の羽が一斉に広がる。その瞬間、リリカのポケットの中でオルゴールがふるりと震え、赤い糸が揺れた。

 共鳴だった。光の精霊ルミアと、リリカの心が、音で繋がった。


 「お願い…カイを助けて。」

 リリカが手を伸ばすと、ルミアが静かに頷いた。


 『あなたの願いが、光となるわ。癒しとは、赦し。あなたの手は、誰かを救うためにあるわ。』

 ルミアの掌がリリカの両手を包み込む。


 すると、金色の光が、ふわりとリリカの体を巡り、そのままカイの傷口へとゆっくりと流れ込んでいった。

 痛みが熱に変わり、熱がやさしさに変わって、裂けた皮膚がゆっくりと結ばれていく。


 ミレイユが小さく息を呑んだ。

 「…癒えてる…ちゃんと…!」


 リリカの指先に、光の余韻が残っていた。カイは息をつくように目を開けた。

 「…助かった。リリカ…」


 ルミアは、最後にもう一度、優しく語りかけた。

 『わたくしは、あなたの光…癒しの旋律は、命を繋ぐ調べですのよ--リリカ様。これからも、あなたの祈りに応えるわ。--わたくしの名を呼ぶ限り』


 そう言って、彼女の身体は小さな金の光に還っていった。リリカの肩に一粒、淡く宿るその光は、彼女の新たな力の証だった。


 リリカは、膝をついたまま、金糸の余韻がまだ消えない手のひらを見つめていた。ルミアの最後の言葉が、耳の奥に優しく残っている。


 『わたくしは、あなたの光…癒しの旋律は、命を繋ぐ調べですのよ--リリカ様』


 カイの傷はもう塞がっていた。微かに息を吐いて、彼は自分の肩に、そっと触れたまま目を閉じていた。

読んでくださって、ありがとうございました。

仲間を守りたいと願う声が、新たな光を呼びました。

次の旅も、どうか共に歩んでください。


「俺はまだ、生きてる。…お前のおかげだ、リリカ。」

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