第39話 眠れる神殿
夜が明ける頃、再び始まる小さな旅路。
やわらかな温もりと、目覚めた気配。
音の記憶を辿る朝が、静かに動き出す。
夜の帳がすっかり降りた頃。焚き火も静かに燃え、みんなが眠りについていく。
「じゃあ、最初は私が見張りをするね。」
リリカはそう言って、立ち上がり、薪を少し足した。炎が柔らかく揺れて、そばに眠る精霊たちの影が木の幹に映る。
音、風、火、水、土。全ての精霊たちが、小さな寝息を立てていた。ミレイユは丸くなったポニーテールをクッション代わりにしながら、ごろりと横になっている。
カイは背を向けて眠っていたが、寝息は静かで、剣を抱いたままだった。
(守られてばかりじゃない。これからは、私も守る側になりたい。)
焚き火のぱち、という音が、夜の静けさに溶けていく。
やがて数時間が過ぎた後、ミレイユがぱちりと目を覚ます。
「交代するよ。」
「うん、ありがとう。少し眠るね。」
リリカが毛布にくるまって横になると、ミレイユは火のそばに腰を下ろし、眠っている精霊たちを一人ずつ数えながら、目を細めた。
「ふふっ…なんだかんだ、大家族だね。あたしたち。」
空を見上げれば、まだ星が瞬いていた。
--そして、夜が明けきる前。空がほんのりと青く色づく頃、リリカはそっと目を開けた。
(フィンが待ってる。)
毛布をたたみ、そっと立ち上がる。まだ見張り番を続けるカイの後ろ姿が見えた。
「フィンの散歩に行ってくる。」
「…ああ、気をつけろよ。」
小さく頷き合って、リリカはポケットのオルゴールに触れた。
「リフレナ…丘の家へ。」
転移の精霊リフレナが光と風の羽を広げると、ふわりとリリカを包む。次の瞬間、空気が震え、彼女の姿は淡い光とともに消えた。
***
朝露の丘の家。
そこに、いつものようにフィンがいた。白くふわふわとした毛並みを風に揺らしながら、玄関の前でリリカを待っていた。
「おはよう、フィン。」
リリカはしゃがみ込み、フィンの首筋を優しく撫でる。
「昨日はね、ちょっと大変だったけど、みんな無事だったよ。…うん、ちゃんと、頑張ったの。」
フィンはリリカの手に鼻を擦り付けるようにして応えた。
フィンとの散歩のあと、家に戻って、冷蔵庫から干し肉と果物、パンを小さく包み、持ち運び用の袋に詰める。
「朝ごはんの分、ちゃんと持っていくね。…あ、ミレイユの分、多めにしとこう。」
支度を終えたリリカは、もう一度フィンの頭を撫でると、オルゴールをそっと胸元に抱く。
「行ってくるからね。また明日の朝、帰ってくるから。」
リフレナの羽が再び広がる。
澄んだそらいろの光が彼女の姿を包み込み--その身体は、風とともに再び消えた。
***
朝露の濡れた草を踏みしめながら、リリカは一歩一歩、森を歩いていた。焚き火の跡地にはまだ淡く熱が残っていて、朝の空気に溶け込んだ煙の匂いが、どこか懐かしく思えた。
手には、布包みに包んだ朝食用と夕食用の干し肉の小さな包み。ほんのりと温かいまま保たれたパンと、果物と、スープの瓶詰め。どれも、早朝に丘の家に戻って、準備してきた物だった。
「はい、出来立てじゃないけど…今朝、ちゃんと作って来たの。」
リリカは手分けして、包みを配る。ミレイユが嬉しそうに笑い、カイは短く「ありがとう」とだけ言って、静かに受け取った。
「便利だな…」
と独り言のように、カイが呟いた。
『ぼく、パン大好き!』
フェリラがふわりと浮かび上がって、パンのかけらを両手で抱えながら宙を回る。
『これ…クルミのパンかしら。焼き加減が絶妙ですもの』
アクテラが満足気に言い、ティリムは小さな葉の器にちょこんと座って、果物をつついていた。
リリカは、パンを頬張りながら、カイの様子をチラリと見る。彼は特に表情を変えず、黙々とスープを口にしている。
「昨日の道は、あんまり痕跡がなかった。今日は、森の北西を見てみよう。」
カイの言葉に、リリカとミレイユが頷く。
『カイが、来た場所、どこかに“何かが”残っている気がする。…音じゃないとしても、気配とか』
と、ルエルが言った。
「そうね、きっと道は繋がっている。全部、消えたわけじゃないもの。」
焚き火を片付け、荷物を軽くまとめて、三人と精霊たちは、朝の森へと足を踏み出した。
森は少しずつ、音を取り戻しているようだった。風の音、鳥の声、木の葉が擦れる細やかなざわめき。リリカはそれらをひとつひとつ感じとりながら歩いた。
道はしばらく緩やかな登り坂だった。斜面を登りきった先で、フェリラがふと止まる。
『…あれ、階段?』
苔に覆われた石段が、草木の影から姿を表していた。人工物の名残り。整然と並んだ石の感触が、足元からじんわりと伝わってくる。
「人の手で作られた道…昔、ここに何かあったのかも。」
階段を登った先には、蔦で絡まれたアーチと、半壊した建造物の影があった。崩れかけた柱。風化した壁、その中心にはぽっかりと空が見える天井のない空間が広がっている。
「…神殿跡?」
カイが静かに呟いた。
リリカは無意識にポケットを探る。オルゴール。その小さな箱が、微かに揺れた。木の蓋の内側がほんのりと温かくなる。音がここにある。
「反応している…この場所、きっと…。」
石で組まれた祭壇のような台座に近づいたとき、アクエラがふと止まった。
『この隙間…何か、挟まってますわ』
彼女が指先で慎重に取り出したものは、古びた羊皮紙だった。掠れた旋律の刻印--五線譜と音符。
「…昨日のと同じ!《楽譜の断片》…!」
リリカが手に取ると、オルゴールがふっと震える。蓋を開けると、蓋の内側に刻まれた模様が微かに浮かび上がり、音の気配を宿して静かに煌めいた。
ティリムが膝をつき、掌をそっと石に当てた。冷たい石の奥で、何かが眠っている。音ではない、最も深い何かが--
だが、それを確かめようとしたその時だった。遠く、森の奥から、風を裂くような低い唸り声が聞こえた。
今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
小さな断片が、少しずつ真実の輪郭を描いていきますように。
次も、静かに響く音を辿って。
『この下に…ぽふぽふ…なんか、すっごく深い“なにか”があるの~』




