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音もなく咲くー異世界で紡がれる、音と精霊の物語ー  作者: 小桜 すみれ
第八章 封じられた映し
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第35話 呼びかけの夢

名前が呼ばれる夢。

記憶の奥に触れる声とともに、ひとつの旅が始まる

 リリカが顔を上げると、カイは空を見上げていた。


 「カイがどうしても話したいって話って?」

 「最近…夢を見るようになった。毎晩じゃない。ほんの時々。だけど、すごく…鮮明なんだ。」

 「夢?」

 「誰かが、俺の名前を呼ぶんだ。『拓真』って。すごく静かに、けれど真っ直ぐに--心に届く声で。」


 リリカは、彼の言葉に息を呑む。

 “拓真”。カイの本当の名前。彼がまだ“カノン”を想っていることも、知っている。けれど--

 「姿は見えない。声だけ。でも、その声には、懐かしさと…どこか、痛みがある。」カイは瞳を伏せた。


 「もしかしたら、向こうの世界の記憶が、呼び戻され始めているのかもしれない。…帰るべき時が近づいている、ってことなのかなって。」

 リリカは返す言葉を探したが、何も言えなかった。ただ、胸の奥が、きゅう、と鳴った。


 カイは、リリカの手首を見た。赤い糸が、そっと揺れていた。

 「--それだけ。伝えておきたかったんだ。」


 静かな風が、三人の間を通り抜ける。リリカは、自分の鼓動が少し早まっているのを感じながら、静かに頷いた。

 「…話してくれて、ありがとう、カイ。」

 いつの間にか陽は傾き、遠くに茜色がにじみ始めていた。少しの静寂が流れた。


 その沈黙を、シュエルの落ち着いた声が破る。

 「--夢とは、不思議なものだね。」彼はふわりと風が通り抜けるような口調で言った。

 カイとリリカがそちらを見ると、シュエルは続けた。

 「夢の中は、音は姿を持たず、名前は形を超える。それが“誰の声か”問いかける前に--“なぜ呼ばれたのか”を考えてみるといい。」

 「なぜ…?」リリカは小さく呟く。

 「夢で呼ばれる名前は、記憶よりも深い場所に届く“共鳴”だ。それが、君自身の過去ではなく--“誰かの願い”から届いてきたものだとしたら。」

 「誰かの…願い?」カイが眉をひそめる。

 「音を失ったこの世界で、名前を呼ぶ声は、とても希少だ。それが夢にまで届くなら…その声は、きっと強く、切実な願いに満ちている。」シュエルの声は、どこか遠くを見ているようだった。まるで、彼自身も「夢」に呼ばれているかのように--


 「その声に、応えたいと願った時、何かが開かれるだろう。…鏡のようにね。」

 最後の一言は、明らかに意味を含ませていた。けれど、問い返す前に先に風がまた吹いた。


 --「鏡のようにね」

 シュエルの言葉が、風に溶けていったあと、空を見上げていたカイが、そっと息を吐く。


 「何かが開かれる」

 その言葉を繰り返すように、リリカは自分の手首を見つめた。そのには結ばれた、赤い糸がそっと震えていた。誰の音でもない、けれど確かに、彼女の中で響くものがあった。


 「ねぇ、カイ。」

 リリカが静かに言った。声は穏やかだったが、芯が通っていた。

 「その鏡--あなたが最初に来た時に通ったっていう、その場所。…一緒に、探しに行かない?」


 カイが目を見開く。

 「…え?」

 「あなたがここに来た理由を、見つけるために。それに…私も知りたい。誰が、あなたを呼んでいるのか。」


 ミレイユが、リリカの横から顔を出し、「そうだね」と言いたげにポニーテールを揺らす。リリカの瞳には、迷いはなかった。春の光の名残りを帯びて、真っ直ぐにカイを見つめている。


 カイはしばらくその視線を受け止め、やがて、微かに笑った。

 「…君ってさ。」

 「え?」

 「時々、凄く…勇者っぽい。」

 「えっ、勇者はあなたじゃないの?」

 「俺は、ただの“王宮の剣”だよ。」

 カイはそう言って立ち上がる。その仕草はどこか軽やかで、少しだけ肩の荷が下りたようにも見える。


 「じゃあ、行こうか。探索の旅へ--俺の“帰還の鏡”を見つけに。」

 「うん。」

 リリカも立ち上がった。ミレイユがくるりと跳ねる。

 「準備は?」とシュエルが問いかけると、リリカはすぐ答える。

 「軽装でいい。転移で飛べば、すぐに帰って来れるし。」

 「カイの都合はいいのか?」

 「ああ、丁度休暇中だ。」


 「それなら、旅支度なら、二人とも、明朝までには済ませておくことだね。ここは何でも揃う家だから。」

 「…ありがとう、シュエル。」

 「言葉より、音で返してくれるといい。君たちの“共鳴”が、何を奏でるか--楽しみにしている。」


 三人の間に、あたたかな静けさが広がった。遠くで風が木々を揺らし、フィンの遠吠えが、丘の上の空気を震わせた。


 夜の丘の家は、静かな灯りに包まれていた。窓の外では、風が草を撫でる音。ピアノは閉じられ、時計の音だけが時を刻んでいる。


 リリカの部屋では、小さな荷造りが進んでいた。ベッドの端には、整えられたリュック。オルゴールも忘れずに。服も揃っていた。


 『ぼくも行くよ、リリカ!』

 ぴょんと跳ねたのは、風の精霊フェリラ。リュックの中に滑り込むように入り込む。

 

 『忘れ物はないかしら?水筒にはきちんと清らかな水を入れておくといいですわ』

 水の精霊アクエラが、瓶の口元で優雅に回る。


 『火種は俺に任せろ。暗くても、寒くても、俺が燃やすぜ』

 火の精霊フレオンは、小さく炎を灯してポンと胸を叩く。


 『土の道は、ボクがちゃんと守るね。ぬかるみも怖くないよ!』

 ぽふっと音を立てて現れたティリムが鉢植えの土を軽く叩く。


 『転移の準備はできてるの。…リリカの手を取るから、ちゃんと目を閉じて』

 転移の精霊リフレナが、そらいろの羽をふわりと揺らす。


 最後に、音の精霊ルエルがリリカの肩にとまり、にっこりと笑った。

 『みんな揃ったね。ぼくが旅の音、ちゃんと記録するからね』


 「おっと、あたしも行くよ。」

 ミレイユが言った。


 リリカはそっと頷き、リュックを整えた。

 「エファリアとシエルティスは、お留守番よろしくね。」


 今回は“探索の旅”。軽装だけれど、大切なものはちゃんと持っている。


 一方--

 その夜は、カイも静かに準備していた。


 丘の家のシュエルの隣の部屋。木製のベッドに寝具が整えられた空間に荷物がひとつ。


 クローゼットにはなんでも揃っていた。

 革のカバンの中には、最低限の着替え、乾いた保存食、地図、火打石、手帳…そして、壊れた腕時計。


 転移魔法には、まだ不安がある。リリカのように精霊と深く共鳴していない自分が、うまく転移できるとは限らない。欅の木はあるだろうか。


 だから、彼は“徒歩で帰ること”も想定して、念のために準備をしていた。

 「…帰れるかどうかは、分からないけど、行く意味はある。」

 そうつぶやいて、腕時計を手に取った。止まったままの針が、微かに冷たい。


 彼はそれを腕にして、窓の外を見やった。満天の星--その中に、自分を呼ぶ“声”がある気がして。


 ドアの向こう、足音がひとつ。

 コンコンと軽くノックする音がして、リリカが顔をのぞかせた。

 「明日、朝ごはん食べてから出発にしようか。」

 「そうだな。…起きられたら、な。」

 「ふふ。私が起こしてあげる。」

 「…それは、ちょっと怖い。」


 二人はくすっと笑い合った。

 その声は、夜の丘に、小さな灯のように優しく響いた。

読んでくださって、ありがとうございます。

声にならない想いが、鏡の向こうで静かに揺れはじめました。

この旅が、ひとつの“在りか”へ繋がっていきますように。

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