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音もなく咲くー異世界で紡がれる、音と精霊の物語ー  作者: 小桜 すみれ
第七章 春の祭り
33/50

第33話 幸せの音

春の朝。

静けさの中に広がる、新しい気配とやさしい時間。

 朝の日差しが、丘の家のカーテンの隙間から差し込み、リビングをやさしく照らしていた。ピアノのそばでは、白い犬--フィンがすやすやと寝息を立てていた。


 その静けさを破ったのは、階段を駆け下りてきた足音だった。


 「んー…ふぁあぁ…リリカ、おはよう。あたし、すっごく…」

 ミレイユがぼさぼさのポニーテールを揺らしながらリビングに現れた。まだ寝ぼけて眼のまま、大きなあくびをひとつ。


 --その直後だった。

 「…え?」

 目の前に広がる、でっかくて、もふもふしていて、堂々と寝そべる“白いなにか”。ミレイユの動きがぴたりと止まり、目がぱっちりと覚めた。


 「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと!なんで家に!!なんで犬が!!」

 「おはよう、ミレイユ。この子、昨日ピアノを弾いてたら来たの。フィンって名付けたの。」

 「フィンって!名前の問題じゃないってば!ピアノを弾いてて?召喚したの?このサイズ⁈絶対あたしよりでかい!!あたしだけ、知らないって訳?」


 そう言いながら、ミレイユはソファの後ろにぴょいと隠れた。尻尾のようなポニーテールが、ぴょこぴょこと覗いている。


 その気配に気づいたのか、フィンはのっそり顔を上げ、くるんと尻尾を一度だけ揺らす。まるで「…ああ、君か」というような穏やかな反応。


 しかし、ミレイユはそれを「警告」と受け取ったらしい。

 「ううっ…威嚇してる…絶対してたよ、今!尻尾が脅してきた!リリカ、あたしやっぱり猫なんだってば!犬は…!」


 「フィンは優しい子よ。リビングにちゃんと馴染んでるし、朝までおとなしく寝てたの。」

 「おとなしく寝てたって…それ、百獣の王タイプの寝方じゃない⁈お腹見せて寝てないの⁈」

 フィンは、そんな騒ぎもどこ吹く風で、のそのそと立ち上がり、ゆっくりとミレイユの方へ一歩、また一歩…。


 「ちょっ…ちょ、来ないで⁈あたし、今は野生に戻れないから!」

 最後はソファの上にひらりと飛び乗り、尻尾のような髪を逆立てたまま、「威嚇」のポーズ。


--がおー。


 リリカは、笑いをこらえきれず、くすくすと笑った。

 「ミレイユ…かわいい」

 「かわいくないっ!真剣なの!命懸けの防御だからね、これ!」

 「でも、フィン、もうお座りしてるよ?」


 見るとフィンは静かにその場に腰を下ろし、前足を揃えて待っている。金色の目は、どこかやさしくて、「また吠えるかな?」と面白がっているような、知性すら感じさせる。


 「う…うぅぅ…ずるい、そういう顔…なによ、ちょっとだけ可愛いじゃん…っ」

 ミレイユは最後まで抵抗するフリをしていたけれど、尻尾のように揺れるポニーテールがゆっくりと静まっていた。


 朝の光が少しずつ高くなって来た頃、リリカはフィンと共に丘の庭をゆっくり歩いていた。白い犬の歩調は大きいが、リリカに合わせるように、静かに歩を進める。尻尾がゆったりと揺れて、足音はまるで風が草を撫でるようにやさしい。


 家の裏手にある、古いリンゴの木のそばに来た時、フィンはすっと立ち止まり、木の根元に鼻を近づけた。それ以上は行かない。


 「これは、いったいどういうことなんだろう?」


 リリカが呟いたそのとき、背後からふわりと風が吹き、軽い足音と共に、シュエルの声が聞こえた。

 「フィンは賢いね。ちゃんと“張られている音”を感じている。」

 振り向くと、いつの間にかシュエルが近くに立っていた。朝の光を浴びて、どこか少し儚げな笑みを浮かべている。


 「シュエル、これはどういうこと?」

 「結界がある。私が張ったからね。」

 「え?結界?シュエルが?」

 「うん。正確には、君が来る少し前…。“誰かが戻って来られるように”音の反響を保った結界をね。」

 「音の…反響?」


 「この家には“音が還る”性質がある。だから、精霊も、人も、そしてきっと君も、ここに来た。でもそれを維持するには、外の静寂と混ざり合わないように、境界を“音で編む”必要があったんだ。」

 シュエルはそう言いながら、足元の草をひとつ摘み取った。その草を指でこすり合わせると、微かに…とおん…という音が鳴った。


 「これは結界の“音の縁”誰かがこの音に触れて侵入しようとすれば、音が揺らぎ、内側の者に知らせが届く。」


 「…フィンも、それを感じているのね。」

 「ああ、彼は結界に逆らわない。というより…“自分の居場所”を知っているんだろうね。ここにいることに意味があるって、ちゃんと分かっている顔をしている。」


 リリカはフィンの頭を撫でた。フィンは静かに目を細め、リリカの足元にペタリと伏せた。

 「じゃあ…、結界の範囲なら、散歩できるんだね。」

 「もちろん。庭の裏手、北の畑、小道の途中のベンチまでは結界の内側だよ。音を閉じ込めず、でも“失われない”ように設計したある。…君のために。」


 リリカは少しだけ目を見開き、それから静かに笑った。

 「ありがとう、シュエル。」

 「どういたしまして。…でも、本当は君自身が“音の結界”そのものみたいなものだけどね。」

 そう言って、いつものように肩をすくめ、飄々と去っていった。


 フィンは再び立ち上がり、ゆったりと庭の奥へと歩いていく。リリカもそれに着いていきながら、足元に生えた花々の中に、昨日の飾りの名残りを見つけた。


 「ねぇ、フィン。今日はベンチまで、行ってみようか。」

 フィンはそれに応えるように、尻尾を一度、ふわりと揺らした。

 「こうして歩くのを日課にしようね、フィン。」独り言のように呟くと、ファンはまるで聞いていたかのように一度だけ振り返り、静かに目を細めた。


 リリカの胸の奥に、ふわりとあたたかいものが広がる。不思議だった。ピアノの音と共に現れた犬のフィン。もう日常の中に溶け込んでいる。


 「ねぇ、フィン。…こういうのって、幸せって言うんだよね。」

 フィンは答えず、けれど代わりに尻尾を柔らかく一度、ふわんと揺らした。

 その動きに合わせて、どこかで鳥が一声鳴いた。リリカは小さく笑い、もう一度だけフィンに寄り添った。


 朝露がきらきらと光りながら、ふたりの足音をそっと包んでいた。

お読みいただき、ありがとうございました。

騒がしさも静けさも、どちらも大切な朝。

またひとつ、心がほどけるような瞬間が描けていたら嬉しいです

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