第29話 音の宿る春
春の陽射しの中、精霊たちと過ごす、静かでにぎやかな午前。
リリカが見つけたのは、音の宿る布と、春を祝う祭りの準備でした。
朝の畑は、陽射しにほどよく温められ、土は柔らかくなっていた。丘の家の裏手に広がる小さな畑には、さまざまな野菜たちが静かに葉を揺らしている。
『うひゃー!気持ちいいさ〜!ぼくの風、ぜんぶ使っちゃおうっと!』
フェリラが空高く舞い上がり、さらさらと軽やかな風を畑に送る。葉が揺れて、空気が踊る。
『ティリムの土、ふっかふか〜!』
ティリムは小さな手で土をこねながら、得意げに言った。
『このへん、掘ってみて?根っこが嬉しそうな音、するから!』
「…根っこの音?」
リリカはしゃがんで耳を澄ますと、ぽふっ…と小さな確実に“生きている”ような音が土の奥から響いた。
『水、まいりますわ』
アクエラが、空中で小さな舞を踊るように回ると、ふわりとした霧のような水が葉たちに優しく降り注いだ。
「水やりって、こういう感じなんだね。」
リリカは手を土にあて、風と水と土が混ざる匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
『この畑、全部、音があるんだね…』
ルエルがどこからともなく現れて、ころんと回転しながら言った。
『でしょ〜?音のないところなんて、リリカの周りにはないのさ!』
畑から戻ったリリカは、少し汗ばんだ髪をまとめ直して、織り機の前に座る。機織り機には、“シュエルから受け取った「織りかけの布」が”大切に置かれていた。
『さあ、ここからだよ』
ルエルが布の端をつまみ、
『今日の音、染み込ませよっか』とにっこり笑う。
「布って…音、入るの?」
「もちろんよ。」ミレイユが言う。
「音は残るの。肌に触れるように、時間の中に。」
エファリアは機織りの糸をそっと押さえさながら、静かに「ことん」と音を立てた。
『リリカが織ると…やさしい手の音、する、なの。エファリア、すき』
「ありがとう。」
リリカは指を添え、ゆっくりと横糸を通し始めた。
トントン、トントン…
そのリズムの中に、畑の“ぽふっ”や“さらさら”、“りーん”がほんのり混じっている気がした。
「ルエル…この布が、誰かの物になる時、その人にも音は伝わるのかな。」
『伝わるさ。音は記憶と一緒にいるからね。」
リリカの手が織りを進めるたび、糸の中に朝の音が静かに積み重なっていった。
畑仕事と機織りを終える頃には、陽射しも高く昇っていた。
『おなか、すいたさ〜!』
フェリラがリビングに飛び込んで行って、ソファにダイブする。
『たべもよー!おひるー!』
ティリムも追いかけるように転がりながら跳ね回る。
『リリカ、何か作るの?それともぼくたちがやろっか!ぼく、混ぜるの得意なんだ〜』
ルエルがぱたぱたと空中を舞いながらキッチンを見下ろす。
「混ぜるって…混ぜればいいってもんじゃないでしょ。」ミレイユが手を腰にあててにやり。「前、ルエルが混ぜたのって、“砂糖と塩と粉薬”だったわよね?」
『えっ、それ、おいしかったけど…ぼくだけ?』
「誰も食べてないわよ。」
『火なら、俺が見よう』
フレオンが腰を上げ、薪を入れながら炎の温度を見定めていく。
『やわらかめがいいんだろう、今日は』
『エファリア、パン切る、なの』
小さな影が、慎重にパンのかけらを持ち上げて、ことんと音も立てて並べていく。
『夢の香りがするわね』
リビングの鏡の近くでシエルティスが静かに言った。
「夢の…香り?」
リリカが聞き返すと、鏡の精霊は窓の外をゆっくりと見やった。
「昼下がり。眠りに入る寸前の、あの空気…ほら、感じない?」
確かに。部屋の中に満ちる美味しそうな匂いに紛れて、ほわほわと風が流れ込んでいる気がした。
『それ、夢の精霊の気配かも…』
ルエルが小声で言う。
「昼の香りって、なにそれ…」
ミレイユが、くすっと笑った。
昼食を終えた丘の家には、笑い声の余韻がまだほんのりと漂っていた。
リビングの窓から差し込む午後の陽光が、テーブルの上の空き皿を照らしている。
ルエルが小さなスプーンをくるくる回しながら、
『ぼく、まだデザートがほしいね』
とつぶやき、フェリラが
『食べ過ぎじゃん?』
と風のようにからかい、ティリムは
『ぽふっ…おなかいっぱい…』
とごろんとクッションに倒れていた。
リリカは庭に出ていた。隣に浮かんでいるリフレナに視線を向けた。そらいろの羽が午後の光にきらきらと透け、どこか涼しげに揺れている。
「リフレナ、お願い。村まで連れて行ってくれる?人のいないところに。」
リフレナはぱちぱちと瞬きをしたあと、嬉しそうに羽をひとふりした。
『ええ。あなたが望む場所なら、どこへでも。…手を出して、リリカ。」
リリカが手を出すと、リフレナは迷いなくその手を取った。ふわりと浮かび上がる感覚が胸の元から広がる。その瞬間、精霊たちが一斉に騒ぎ出した。
『ぼくも行くよ、ぼくもぼくも!』
フェリラが飛び跳ね、
『当然ですわ、リリカさまとご一緒に」
アクエラが静かに舞い、
『ティリムも〜…まだ眠いけど、行く〜』
ティリムが空中でうとうとしながらついてきて、
『ことん!一緒なの!』
エファリアがふわりとリリカの肩に乗る。
「全員、ちゃんと着いてきてね!」
リリカが声をかけると、ルエルがにっこり笑った。
『ぼくたち、リリカの音にちゃんと共鳴してるものね。』
リフレナの羽が大きく広がった。その瞬間、そらいろに染まり、風が旋回するようにまわる。ふわり、と風ごと身体が浮き、世界の色が変わった。
--そして、次の瞬間
人の気配のない、小さな森の外れに足がついた。そこは村の近く、けれども誰も通らない、古井戸のそばの静かな場所。
「…ちゃんと、人影はないわ。」
リフレナが満足げに羽をたたむ。
リリカは深呼吸をした。精霊たちがそれぞれに森の香りをかいだり、草の上を飛んだりしている。午後の陽射しはまだ温かく、風に紛れて、どこかで木の葉がさらさらと鳴っていた。
村の通りへ向かうと、徐々に賑やかな音が風に乗って聞こえてきた。子供たちの笑い声、木槌の音、そして遠くから香ってくる甘い匂い。
「…何か、準備しているみたいだね」
リリカが呟くと、ルエルがリリカの肩で小さく跳ねた。
『お祭りの音かもね!』
『お祭り〜!楽しそうでさわね』アクエラが笑顔で続く。
リリカたちは、パン屋の前で足を止めた。小さな店舗の軒先では、焼きたてのパンを並べてる横で、おかみさんが布の飾りをくくりつけている。
「こんにちは」リリカが声をかけると、おかみさんは顔を上げて、にこやかに迎えてくれた。
「あら、リリカちゃんじゃないの。今日もいい風ねぇ。」
「村で何かあるの?」
「ええ、もうすぐ『花渡り(はなわたり)なのよ。春のお祭り。数日後にね。村中で花飾りを作っているの。川に花を流して、春を祝うのよ。音が鳴らなくなったから、花の音を聞くの。」
「…花の音?」
「ふふ、昔からそう言ってるの。音が聞こえる気がするのよ、花が揺れるとき。…リリカちゃんも、よかったら、花飾りを一緒に作って。」
「はい、ぜひ。」
リリカは自然と笑みを浮かべた。肩でルエルが 『わくわくするね!』
と跳ね、フェリラが
『花、風に乗って舞うかな〜』
と宙でくるりと回った。
パン屋から漂う焼き立ての甘い匂いと、春の気配に包まれて、リリカの心にも、ふわりと柔らかな光が灯っていた。
村の広場では「花渡り」の準備が着々と進んでいた。
リリカはパン屋のおかみさんに教えてもらったとおり、色とりどりの布と草花で小さな飾りを結んでいく。近くでは子供たちが笑いながら花を運び、年長の女性たちが枝に布を巻きつけながら、歌うように話をしていた。
「リリカちゃん、器用ねぇ。あんた、指が歌っているみたいだわ。」
「本当、リリカちゃんが来ると、途端に空気が澄んで、音が聞こえるようになるのよ。」
そう言われて、リリカは少し照れながらも笑った。肩に乗ったルエルが
『ぼくも手伝うよ〜』
と糸を引っ張り、フェリラが
『おーい!風で乾かしとく!』
花飾りをふわっと浮かせる。アクエラはそっと水を与え、ティリムは足元の花を植え直していた。エファリアが『私の、出番、なの』と張り切っていた。
「…ねぇ、もうすぐ完成しそう。少しだけ、森を見てこようかな。」
そうリリカが言うと、精霊たちは少し顔を見合わせ、にこりと笑った。
『じゃあ、ぼくたちはここで遊んでいるよ』
『気をつけてくださいましね、りりかさま』
『すぐに戻ってきて〜』
『ことん、ことん、花束つくってるの!』
リリカは軽く手を振って、ひとり森の奥へ歩き出した。花の匂いと草の音が混じる、小道を抜けて。
音のない世界で、リリカの周りには音が満ちていきます。
読んでくださって、ありがとうございました。




