第27話 風の道
風に導かれ、リリカはひとつの転移を終えた。
それは単なる移動ではなく、精霊と心を重ねた証。
朝の光とともに、出発と、再会の予感が静かに交錯する。
「…おかえり。」
そう呟いたのは、先に気づいたシュエルだった。
風の渦がほどけるようにして、リリカとリフレナの姿が再び現れる。
「すぐ戻って来たな。」
カイが小さく頷きながら言う。
「うん、すぐ。…凄かった、風が、光が…空の中を渡ったみたい。」
リフレナは無言で微笑み、ふわりと浮かぶように後ろへ退いた。その羽はもう、少しだけ畳まれて、光の余韻だけを残していた。
「…凄いよ、リリカ。君はただ転移したんじゃない。」
リリカが顔を上げると、シュエルの瞳は真剣で、どこか優しさを含んでいた。
「風の道を、そのまま受け入れて、共に渡った。精霊に身を委ねながら、自分の意思で立っていた。--それができるのは、ごくわずかだ。君は、本当に、精霊に選ばれている。」
「選ばれている…。」
リリカはその言葉を、ゆっくりと胸の中で繰り返した。
「精霊と“ただ契約する”だけじゃ、こうはならない。君は、彼女と歩調を合わせた。だからこそ、あの羽が道になったんだ。」
シュエルは欅の木を一度見上げ、枝の先に煌めく葉を目で追いながら、静かに続けた。
「君が行ける場所は、もう“決まった場所”じゃない。風の通る全てが君の道になる。それは、祝福であると同時に--少しだけ、孤独でもある。」
その言葉に、リリカはほんの一瞬、瞬きをした。
「…でも、ひとりじゃない。そうでしょ?」
リリカは小さく笑って言った。
そしてその笑顔に、シュエルもまた、かすかに唇の端を持ち上げた。
リリカの笑顔を見届けたあと、カイはふっと一息つき、視線を遠くに向けた。
「…そろそろ、行くよ。」
そう言って、彼は振り返る。
欅の木のそば、少し離れた所に繋いであった馬が、穏やかに鼻を鳴らしていた。栗毛のたくましい馬体に、朝の光が斜めに差し込んでいる。
「もう帰るの?」
リリカが声をかけると、カイは鞍に手をかけたまま、ちらりとこちらを見た。
「任務がある。城にも顔を出さないといけないしな。」
「そっか…」
「でも、また来る。」
少しだけ間を置いて、彼は続けた。
「今度は、自分の足で。欅の道を通って。」
リリカは小さく頷き、微笑んだ。
「待ってる。」
カイは馬に軽やかに跨ると、手綱を軽く引いた。馬が一歩、土を踏みしめる音が響く。
「リリカ。」
ふと彼が名前を呼ぶ。
「…風を渡る君は、やっぱり空に似てるな。」
リリカは驚いて何かを言いかけたその瞬間、カイは手を上げた。言葉の代わりに、馬上からのさりげない仕草--けれど、その一瞬に込められた想いは、はっきりと伝わった。
シュエルは黙ってその背中を見送っていた。
リリカもまた、胸の奥がふわりと揺れるのを感じながら、小さくつぶやく。
「…またね。カイ。」
「リリカがそう呟いた、ふいに背後から声がした。」
「行っちゃったね。」
振り返ると、ミレイユがいつの間にかリリカの隣に立っていた。ポニーテールが朝の風に揺れて、白いシャツの裾がふわりと踊る。
「早起きしたら、リビングが静かだったから、こっちに来たの。」
そう言いながら、ミレイユは視線をカイの遠ざかる背中へと向ける。馬の蹄音が、土の小道をとんとんと遠ざかっていく。
「カイってさあ、ああ見えて、ちょっとだけ不器用だと思わない?」
ミレイユがぽつりとつぶやく。
「…うん。でもそこがいいところだと思う。」
リリカも微笑みながら答える。
ふたりの目の前で、カイの背中が木々の間に溶けていく。
朝の光が、欅の葉の隙間から差し込み、そらいろの羽の残り香をほんのりと照らしていた。
ミレイユは腕を組み、リリカの横に立つ。
「次は、いつ来るかな?」
「きっと…すぐに。また、自分の力で。」
ふたりは静かに並んで、風の通り道の先を、しばらく見ていた。
そんな中、ミレイユがふっと肩を寄せながら、いたずらっぽく口を開いた。
「…ふーん。ねえリリカ、ちょっと顔、赤くなってない?」
「えっ、なってない!」
思わずリリカが顔をそらすと、ミレイユはくすっと笑った。
「そっかぁ。でもちょっとだねドキドキしたでしょ?空に似てる、なんて言われちゃって。」
「う…それは、ちょっと…。」
リリカは言葉を濁して、足元の芝を見つめる。
ミレイユはそんなリリカの様子を楽しげに眺めながら言った。
「ま、安心して?ちゃんと見てるよ、あたし。あんまり一人で飛んで行かないようにね、風の少女さん?」
リリカはぽかんとして、それから吹き出すように笑った。
「うん、大丈夫。ありがとう、ミレイユ。」
ふたりの肩に、朝の風がやさしく吹き抜けていく。その風の中で、欅の葉がそっと揺れた。
朝の光が部屋いっぱいに差し込んでいた。丘の家のリビングは、ほんのりと温かく、カーテン越しの陽射しが白く床を照らしている。
ルエルが、窓辺でふわふわと漂っていた羽をぴたりと止めて、リリカの肩にぽんと降りた。
「ねえ、リリカ。今のオルゴール、また聞いてみたくなっちゃった。きっと…前よりずっと、いい音が鳴るよね?」
「…うん、そうだね。」
朝の空気に包まれながら、リリカはそっと立ち上がる。手首の赤い糸がふるりと震えた。それは、何かとまた深く結ばれた合図だった。階段を上がり、南東の自室に向かう。扉を開けると、陽が差し込む窓辺に、木製のオルゴールが静かに佇んでいた。
リリカが近づくと、ルエルが嬉しそうに飛び跳ねる。
「今日は、たくさん鳴ると思うよ!」
ルエルの言葉に、他の精霊たちも音もなく集まり始めた。ピアノの上にルエル。窓辺にフェリラ、花瓶の横にはアクエラ。鉢の上にティリム。ベッドの上にミレイユ。窓辺の一番温かなところに、フレオン。針山の近くにエファリア。鏡の近くにシエルティス、空気の中にふわりとリフレナのそらいろの羽が揺れていた。
風に乗って、リリカの歩む道は少しずつ広がっていきます。
読んでくださって、ありがとうございました。
次の風が吹くとき、また彼女の物語が進みますように。




