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音もなく咲くー異世界で紡がれる、音と精霊の物語ー  作者: 小桜 すみれ
第六章 新たな可能性
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第23話 十の音

名前を呼ぶとき、世界は静かに開かれる。

鏡に映るのは、過去か、想いか、それとも--記憶の続き。

今夜、リリカはもうひとつの扉を見つけます

 オルゴールの蓋を、リリカはそっと閉じた。

 九つの音が響き終えた後の部屋には、月の明かりだけが、静かに流れていた。その光は、窓辺から由佳を伝い、リリカの足元にやわらかな影を落としている。


 --カイは、日本から来た人だった。


 その事実が、頭の奥に小さな波紋を広げていた。


 (日本…)

 (私がいた、あの場所…)


 もう思い出すことすら痛かったあの日々が突然手の届くところに感じられた。


 (私も、鏡を使ってこの世界に来た。)

 (なら、また鏡を通って、戻れるんじゃ…。)


 立ち上がったリリカは、無意識に部屋の壁を見渡した。けれど、鏡がなかった。

 (鏡がない!)


 それでもリリカは--なにか、感じる。

 「…鏡。」


 そう呟いたその時だった。

 空気がふっと冷たく揺れ、部屋の一角に、光の煌めきが走った。

 そして、静かに--鏡が現れた。手のひらより少し大きいほどの楕円形の鏡。それはリリカの顔がちょうど映るくらいの小さなものだった。


 「…っ」


 鏡の面に、ひとつの影が映る。

 リリカが目を見開いた瞬間、その影が、ふわりと鏡の外へと浮かび上がった。


 それは精霊だった。仄かに淡い青紫の衣をまとい、肌は透けるように白く、銀のまつ毛が月のように光っていた。髪は長く、波のように揺れている。その中に、何枚もの羽が静かに揺れていた。羽は、蝶と鳥の中間のような形。薄青紫に好き通り、動くたびに光が鏡面のように煌めいていた。その存在そのものが、まるで“映像”のような儚さだった。


 「…あなたは、鏡の精霊?」

 『ええ。私は…映す者。つなぐ者。境を越えて、記憶と対話する者。』

 精霊はゆっくりと舞い降り、リリカの前に静かに浮かぶ。


 『あなたが、向こうを想ったから、私は目を覚ましたのよ、リリカ』

 その声は、まるで反響するかのように、少し遅れてリリカの胸の奥に届いた。


 リリカはしばらく黙って、精霊の瞳を見つめていた。そこには確かに、自分の姿が映っていた。言葉にしなくても、何かが通じるような--そんな感覚。


 そして、そっと問いかけた。

 「…あなた、名前はあるの?」


 精霊は首を横に振った。

 『まだ…ないの。私には、名を与えてくれる者が必要なの。映すために、結ぶために、存在として、ここに在るために』


 リリカはしばし、考え、そして、心に浮かんだ言葉を口にする。

 「なら、あなたの名前は--シエルティス。」


 その言葉が響いた瞬間、精霊の身体が微かに揺らめいた。羽がふわりと広がり、光が天井に反射する。まるで鏡の面がひとつ、深く共鳴したかのように。


 『--シエルティス…』

 精霊は、その名をゆっくりと繰り返し、目を閉じて、深く頷いた。

 『気に入ったわ。リリカ。これが、私の真名…鏡の精霊シエルティスよ』

 また赤い糸が震えた。


 リリカが笑みを浮かべると、シエルティスの羽が一度だけ軽く震え、部屋に小さな光の粒が舞った。


 『鏡が、あなたの意思を受けて開かれるとき、私はそこに在るわ。でも境界を越えるには、音と想いが揃わなければ、ならないのよ』


 「…音と、想い…」

 リリカはゆっくりとオルゴールに視線を落とした。今、その中には九つの音が眠っている--


 『…それは、オルゴール?』

 シエルティスが静かに問いかけた。その声は、まるで鏡の面を指先でなぞるような、やわらかても冷たい音の余韻を含んでいた。


 「うん。これ、私が…みんなと共鳴した音が入っているの。」

 『なら--今、鳴らしてみて。リリカ』

 「え?」

 『音は記憶であり、共鳴の証。あなたが繋いできた音たちを、もう一度確かめて』


 リリカはまた静かにネジを巻いた。

 カチ、カチ、カチ…そして蓋を開ける。

 音盤がゆっくり回り始めると、部屋の空気がぴんと張り詰めた。


そして順に--


ころん

りーん

さらさら

ことん

ぽふっ

ぱちっ

シャラン

ピン

シュン


そして最後に--


きらん


 シエルティスの音が、まるで鏡が一瞬煌めいたように鳴った。

 その瞬間、空気がふわりと波打ち、まるで部屋の中に見えない“境界”が走ったかのようだった。


 『十音揃ったのね』

 シエルティスが目を細める。

 「それはどういう意味?」

 『それは、扉を開く鍵になるということ。あなたがこの家に来た時から、北東の部屋に“扉”があったでしょう。その扉の中央には、小さな穴があるはず--それは、音の器をはめ込むための鍵穴』


 リリカははっとしたように顔を上げた。

 (穴なんてなかった。)


 「その穴に…このオルゴールを?」

 『そう、十音揃った今なら、鏡は“向こう”を映す。過去か、記憶か、或いは、あなたがいた場所そのものを』

 「…日本に?」


 シエルティスは、まっすぐにリリカの目を見つめて頷いた。

 『でも覚えておいて--“映る”ことと、“辿れる”ことは、同じではない。鏡は導くけれど、歩のはあなた自身。どこへ行き、何を見るのか。それを決めるのは、音でもなく魔法でもなく、あなたの想いよ』


 リリカは静かに頷き、手の中のオルゴールを見つめた。

共鳴の音が揃ったとき、鏡が語りはじめました。

音と想いが、かつての世界と繋がる鍵になる。

そして、リリカの旅は、記憶の向こう側へと静かに歩みを始めます。

読んでくださって、ありがとうございます。

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