第21話 名を持って灯る
心の奥に、小さな焚き火があるような夜があります。
忘れていた名前、懐かしい記憶、ぬくもりの中で出会うものたち。
この夜、リリカの世界に、新しい光が灯ります。
外はもうすっかり夜。窓の外には星が瞬き、風が木々をやさしく揺らしていた。
「この家は…、あたたかいな。」
「薪の火は、遠くの街の灯りよりずっと、君の心に近いからね。」
シュエルは詩のような響きでそう言いながら、火の揺らめきを見つめていた。
「いつか、ここにもまた人が集まる気がして…」
リリカがそう呟いた、その時だった。
「ねえねえねえっ!」
弾けるような声が階段の方から響いた。三人がそちらを向くと、ポニーテールを左右に跳ねさせながら、ミレイユが楽しそうに駆けてきた。
「三人でしんみり話して~。リリカ、悲しい思いとかしてない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ、ミレイユ。」
「ねえねえ、焼き芋しよ! あったかいの食べたくてたまんないっ!」
リリカは小さく笑って、立ち上がるとカイの方へ顔を向けた。
「ねえ、カイ。ちょっと変な話だけど…この子、紹介するね。」
ミレイユがストーブの前までやってくるのを見届けてから、リリカは続けた。
「この子はミレイユ。…元々は、日本で私が飼っていた猫だったの。」
「…猫?」カイが少し目を見開いた。
「うん、茶トラの甘えん坊な子で…。私が鏡を通ってこの世界に来た時、ミレイユも一緒に来たの。最初は猫のままだったけど…」
「リリカが“ナナ”って呼んでくれたから!」
ミレイユはぴょんとソファの背に飛び乗る。
「そしたらね、不思議と人の姿になれたの。今は、この家に一緒に住んでるのよ!」
「リリカに名前を呼ばれて、姿が変わった…」
カイは呟くように言った。その視線は、ミレイユを見つめながらも、どこか記憶を手繰るようだった。
「でも、今でも膝に乗ってくるよ。ちょっと重いけど。」
冗談めかしてリリカが言うと、ミレイユがむっとする。
「それ、失礼じゃない!? 重いんじゃなくて、ぎゅってしてるの!」
「ふふ…、ごめんごめん。」
リリカが笑うと、カイもふっと目を細め、口元をほのかに緩めた。
「不思議な話だ。でも…どこか懐かしい気がするよ。」
「ふーん…カイって、わりと悪くないね。」
ミレイユは興味深げにカイのまわりをくるりと回りながら、じろじろと観察している。
「評価が早いな。」
シュエルがくすりと笑った。
「まったく、リリカのまわりは変わった者ばかりだね。でも妙に、心地いい。」
「…変わっているけど、大事な人たちなの。」
リリカは静かに、けれど確かな声で言った。
丘の家の裏庭に、小さな焚き火が組まれた。シュエルが器用に薪を並べ、カイが火口を整える。リリカはその横で、落ち葉と乾いた小枝を拾っていた。
ミレイユは「焼き芋用の最強さつまいも」を抱えてご満悦。
「火、入れるよ。」
カイが言い、薪にぽっと火を灯した。やがて乾いた薪がぱちぱちと音を立て、じんわりと炎が広がっていく。
「カイは火魔法が使えるのねぇ。」
「俺は火属性なんだ。剣に炎をまとわせることもできる。」
夜空には星。焚き火には炎。少し甘い芋の匂いが漂いはじめる。
「ねえねえ、もう焼けたかな?」
「まだだよ。」リリカが笑って答えると、カイも肩をすくめて言った。
「気持ちは分かるけどな……この匂いは、我慢の修行だ。」
「私はまだ修道士じゃないもんっ。」
ミレイユがふふっと笑うと、みんなの表情も自然とほころんだ。
「リリカが笑っていると、火がよく燃える。」
シュエルのそんな呟きが、焚き火の音に紛れて小さく響いた。
「…そろそろ、いい頃合いかも。」
ミレイユがしゃもじのような木の枝で灰をどかし、芋を取り出す。皮がほんのり焦げて、甘い蜜が染み出ていた。
「いただきます! あちっ! 猫舌だったー」
みんなが笑った。
「…甘いっ!」またみんなが笑った。
ぱちぱちと薪が爆ぜる音が、夜の静寂にほどよく溶けていく。
リリカは手の中の焼き芋をひとくち齧りながら、火の色に目を奪われていた。揺れる炎は、まるで踊っているようで、何かが呼びかけているようにも見えた。
その時だった。
--ふっと、風もないのに炎の先端が揺らぎ、その中心に、小さな光が浮かび上がった。
「…!」
リリカが思わず身を乗り出す。その光はやがて人の形をとっていった。肩までの赤銅色の髪に、燃え立つような橙の瞳。肌は透けるように白く、それでいて芯に熱を秘めた気配を放っている。小柄で華奢な体つき。その背には炎の羽があった。羽は蝶のような形で、縁は赤く、中心に向かって黄金色に透けている。羽ばたくたびに火の粉のような光が舞い、ふわりふわりと夜空に昇っていく。
「…あなたは…」
リリカがそっと言葉を紡ぐと、精霊は目を細めて、嬉しそうに微笑んだ。
「俺はずっとここにいたんだぜ。お前が来るのを、ずっと待ってたんだ。」
声は高くて快活で、勝ち気な響きがあった。それでいて、炎のようにあたたかかった。
「名前、欲しい?」
リリカが問いかけると、精霊はこくりと頷いた。
「おお、真名を…お前に呼んでほしいな!」
リリカは少しだけ考えてから、そっと口を開いた。
「じゃあ、--《フレオン》って、どう?」
火の音のように、柔らかくて力強く、最後にひと跳ねするような音。炎のようなこの子にぴったりだと思った。
その瞬間、焚き火の炎がぼうっと大きく膨らみ、夜空に小さな火の花が咲いた。
「フレオン…気に入った! 俺は火の精霊、フレオン! リリカに名前をもらった!」
リリカの手首の赤い糸が、静かに震えた。
くるくると宙を舞い、リリカのまわりを一回りしてから、フレオンはリリカの手のひらにそっと降り立った。ほんのりと温かく、焼き芋よりもずっとやさしい熱がそこに宿っていた。
「それが、火の精霊か…」
カイが呟いた。
「風、火、水、土。四属性が揃ったな。」
誰にも聞こえない声で、シュエルが小さく呟く。
焚き火が小さくおさまりかけた頃、炎の中から現れたフレオンは、胸を張ってぴょんとリリカの肩に乗った。
「ふふん、俺さまが来たからには、退屈なんて言わせないぜ!」
その瞬間、どこからともなく--いや、まるで呼ばれるように、他の精霊たちが現れた。
「やっと来たのね、火の子。」
音の精霊ルエルが微笑みながら、リリカの手の甲にふわりと座った。
「みんなが揃ってきたね、リリカ。」
「火の気配…強くて、ちょっと苦手ですわ。」
アクエラは水色の衣を揺らしながら、焚き火から一歩だけ離れて立っていた。でもその目には、仲間を迎えるあたたかさが宿っていた。
「フレオン、いい名前だな。元気そうじゃん。」
風の精霊フェリラは、くるくると宙を舞いながら、炎のまわりを旋回している。
「まあ、燃えすぎないように気を付けてよね。」
「火の精霊…工房ではよく見かけたの。炉の中で、ふわっと跳ねていたのよ…なの。」
生産の精霊エファリアが、控えめに、それでいて嬉しそうに口元をほころばせた。
「へへ、賑やかになってきたぜ!」
フレオンは羽をぱちんと一度だけ鳴らし、赤い火の粉を軽やかに宙に散らした。
「何が起きているんだ?」
「リリカは祝福されているんだ。今、精霊と契約してる。」
「そうか……リリカもシュエルも、精霊が見えるんだな。俺は、火の精霊だけが見える。」
呼んでくださって、ありがとうございます。
リリカが名を呼ぶとき、精霊の炎が舞い上がる。
焼き芋の甘さと、揺れる火の色に包まれながら、一人と一柱が出会いました。
読んでくださって、ありがとうございました。




