第15話 風の村
丘を下って辿り着いた、こぢんまりとした村「フィラノ」。
風に導かれるように、出会ったのは優しい長老と、リリカの存在を“音”として感じ取る人々。
見えないはずの精霊に、子供たちの声がまっすぐ届くとき――村の空気にも、音が芽吹きはじめる。
「これはこれは」低く、しわがれたけれど
どこから朗らかな声が風に乗った。
「ほんとうに、来てくださったのじゃな。」
その老人--エデュル老は、目尻の深い皺を細めながら、リリカをじっと見つめた。瞳は曇っているのに、不思議とその視線には揺るがぬ確かさがあった。
「シュエル殿、ようこそ、リリカ殿。よくぞ、この世界へ…ようこそ。私はエデュル、ここの長老じゃ。」
「…え?私の名前…?」
「ええ。シュエル殿から…それに“風”が、そう告げておってな。あなたが、この世界に音を戻す“鍵”であると。しかし、あなた、ずいぶん賑やかなお供をお連れで。」エデュル老は、少し驚いたように目を細めて笑った。
「精霊たちが、ひとつに集うなど…これは滅多にないこと。この世界でも、そうそう起こるものではなかろう。」
フェリラがぴょこっと跳ねて、声をあげた。
『だって、リリカの音、ぼくたちみんな好きだもん』
『そ、別に珍しくないよ。たまたま波長がぴったりだっただけ。』とルエル。
『ちょっと…恥ずかしいんのだけど、リリカのそば、落ち着くのだわ。』アクエラがぽそりと続ける。
エファリアは無言のまま、小さく頷いて、リリカの肩に布の影を落とした。
リリカは少し困ったように笑いかけながら、エデュル老の言葉を待った。
「あなたが来たことで、音だけではなく、精霊たちもまた目を覚まし始めているのですな。“共鳴”とは、目に見えぬところで広がっていく。」
そして、ふとエデュル老の目が、ミレイユに向いた。
「あなたは…異なる形からこの世界へ?」
ミレイユは、少し驚いたように目を丸くしてから、静かに頷いた。
「はい。リリカに抱かれて来て、リリカと共鳴して、この姿に。」
「なるほど…音が繋いだ縁といあわけですな。」
「ようこそ。精霊と共に歩み、音を宿す者よ。この村フィラノが、君たちの旅の第一の地になることを、心から歓迎いたします。」
その瞬間、村の門をくぐる風が吹いた。六つの音がふわりと重なり、まるで祝福の鐘が鳴るように、リリカの耳に届いた。
「しゅえるー!また来たのー?」
「だれ、あのひと!きらきらしてるー!」
木陰から飛び出してきたのは、小さな子供たちだった。彼らの瞳はまっすぐにリリカに向き、そしてその肩に浮かぶ精霊たちを見つけて目を丸くする。
「うわー、なにそれ!風?水?妖精?」
『ぼくたち、精霊だよっ!』フェリラがくるくると宙を舞い、ルエルが優雅に頭を下げるように光を揺らした。
リリカがほのばのとして子供達を見ていると、隣でシュエルが呟いた。
「子供たちには、精霊が見える。心がまだ開かれているからな。だが大人には…ほとんど、見えない。」
「そうなんだ!私はてっきりみんな見えるものだと思っていたわ。」
きらきらとした目で精霊たちを追いかけ、無邪気な笑い声が広場に響く。
すると
「あらら、精霊さんがみえるのね。」
縁側からそっと顔を出したのは、年配の女性だった。膝に膝掛けをかけ、編みかけの毛糸を手にしている。
「昔の話をおもいだすわ。私が小さかった頃…村の泉に声が宿っていたの。あれも精霊だったのかもしれないわね。」そう言って、彼女はリリカに優しい目を向けた。
石畳の先、農具を手入れしていた男性が、手を止めて声をかけてくる。
「君が“丘の家”に来た娘さんか。…風が、変わったな。村に久しぶりに、音が回っている気がする。」
それはあくまで比喩に過ぎなかったかもしれない。けれどその言葉は、確かにリリカの胸を震わせた。
それから村人たちは、少しずつ輪の中に加わってきた。誰も遠慮がちで、それでちて、どこな“懐かしいもの”に触れるような眼差しをしていた。
「精霊のことは見えないけれど、風の匂いが違うよ。」
「洗濯物がよく乾く気がしてね。あの子たちのせいかしら。」
何かがふっと、村の空気に溶けたようだった。
「今日は、声がよく聞こえるわ。いつもはくぐもってしか聞こえないのに。やっぱりあの子が来たからかしら。」
エデュル老がリリカのそばに立ち、静かに言った。
「音の欠けらは、ここには眠っておりません。…けれど、あなたがここを訪れたこと、それ自体が、この村にとっては“音のようなもの”です。」
リリカはエデュル老の言葉をじっと聞いた。
「欠けたものがあるからこそ、そこに気づける者がらいる。そして、あなたのような存在は、人々の中に“音を出す気配”を連れてくる。…それだけで、十分価値のあることです。」
そのとき、精霊たちがふわりと揺れた。
『リリカ、今の、音になりそうだったね。』とルエルが微笑み、フェリラが『うんうん、ぼくも感じた!人の心から音が生まれるの、ほんとだ!」と喜び跳ねた。
リリカはゆっくりと頷いた。
「ここに来て、良かった。」精霊の欠けらは見つけられなかったけれど、人々に宿る“かつての音”に触れることが出来た。それは確かに、旅の最初の章にふさわしい贈り物だった。
村を散策するうち、リリカは少しずつ、フィラノの人々の暮らしに触れていった。
「そこの娘さん、初めての顔だねぇ。」
小麦の香りがふわりと花をくすぐる。リリカが振り向くと、パン屋奥から赤ら顔の男、ラウルが出てきた。
「ここのパンはな、朝の湧き水と、薪窯で焼いているんだよ。遠くの街にゃ負けない味だよ。」
「ありがとうございます…この、丸いの、ください。」
「これは“空パン”。ほら真ん中がぽっかり空いているだろう?昔、風の精霊に遊ばれて生地が飛んじまったのが始まりでね。…君には、ちょうどいいかもな。」
『ぼく、そんなことしないよ!』フェリラが抗議していた。
リリカは微笑むと、彼はパンを包みながら言った。
「また来な。君が来ると、店が明るくなるような気がするよ。」
村の小道を進んで行くと、白壁に吊るされた色とりどりの布が、春の風に揺れていた。
「いらっしゃい、外の子。リリカちゃんだったかね。」
仕立て屋の《マルゴの手》の主は、ふくよかでやさしい笑顔の女性。マルゴおばさん。
「あなたが来ると聞いて、お祭り用の寸法見本を出しておいたよ。まだ村の娘じゃなあかもしれないけど…春は、誰もが芽吹き直す季節だからねぇ。」
リリカは照れながら頷いた。
「私、こういう服、着たことないから。」
「そうだろうとも。けれどあなたには、きっと似合う。布が風を受けて、音がはらむ--そういう服を、私は縫いたいんだよ。」
ミシンもアイロンもないけれど、そこには確かに手の温もりがあった。
木造の家の中に、ガラス瓶と乾いた草の香りが、充満している。
雑貨屋の《ルズの店》には、手作りの石鹸、岩塩、乾いた果物、手織りの布など、なんでも少しずつある。
「これはね、昔の“清めの塩”って呼ばれていたの。精霊が好きだった香りだって、聞いたことがあるわ。」
小柄で快活な女性、ルズは手に取った瓶を差し出してくる。フェリラがその蓋を嗅いで、パッと跳ねた。
『すごっ…くしゃみ出そう…でもいい匂い!』
リリカは笑ってしまった。
「ふふ…この瓶、気に入られたわね。売れないけれど、飾っておくことにするわ。」
リリカは笑いながら、香草を少しだけもらった。
それは魔法ではなく、生活するの中の“音の香り”だった。
ここまで、読んでくださってありがとうございます。
「音の欠片」はまだ見つからないけれど、人々の暮らしの中には、懐かしい音がたくさん宿っていました。
風に揺れる布、パンを焼く窯の香り、そして精霊たちと笑いあう声――
そんな音たちも、きっと《ハルモニア》を紡ぐ旋律の一部なんだと思います。




