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伝説のカチュー

作者: ぴよしくん

一人暮らしを始めて、二週間が経った。

寂しいような、自由なような、何かが足りないような日々。

そんなある晩、俺は決意した。


「料理、やってみっか……!」


冷蔵庫を開けると、静かに扉が軋んだ。

中から、ぼそりと声が聞こえた。


「ついに来たな……破滅のフラグが」


「うるさい、冷蔵庫のくせに喋んな」


「ツッコミ担当がいないと、君がただのバカになるからね」


うちの冷蔵庫は喋る。……気がする。

たぶん寂しさのせいで、俺の脳が勝手に人格を生み出したんだと思う。

でもまあ、今夜は“最強の晩メシ”を作るのだから、そんなことはどうでもいい。


スーパーで買ってきたのは、俺の大好物たち。

カレーのルー、シチューの素、そして……奮発して買った牡蠣。


「カレーもうまい、シチューもうまい、牡蠣もうまい。だったら全部混ぜたら最強だろ?」


どこかで読んだ。料理は“加算”だと。

足し算なら簡単だ。足せば足すほどおいしくなる。


「その理屈が通るなら、ステーキの上にケーキ乗せたらおいしいよね」


何か冷蔵庫が言っているが、そんな忠告は耳に入らない。

俺はいま、冴えている。


まずはカレールー。味見するまでもなく投入。

次にシチューの素。とろりと白が混ざる。


煮えた鍋を前に、俺はひとりごちた。


「ふふ……名もなき料理よ、我が名を授けよう。お前の名は“カチュー”。伝説の始まりだ」


「“オチュー”みたいに臭い息をまき散らしそう」


「黙れ、無機物」


鍋の中では、カレーとシチューがぐつぐつ仲良く混ざっていた。ように、見えた。

香りは……まぁまぁだった。


スプーンですくって、ひとくち。


……まぁ、まぁか。


少しひるんだが、まだ慌てる時間ではない。

こっちには、とっておきがあるのだから。


カレー、シチュー――共通点、それは「ミルク」。

ならば、最後に投入すべきは……?


「答えは、海のミルク。すなわち、牡蠣!」


「まぁ、おそらく吊るし牡蠣と同じくらい“やらなくてもわかるだろ”枠だけどね」


そんな幻聴にも似た冷蔵庫の声を無視し、俺は満を持して牡蠣を投入した。


ぷりぷりの牡蠣が、茶色の混濁に沈む。

それはまるで、静かなる覚悟のようで――

確かに、そのときの俺は、ほんのちょっぴり、大人になっていたのかもしれない。


「おぉ……これは……!」


そして、ついに完成した。

完成してしまった。


何度も混ぜ、何度も味見をし、何度も「時よ戻れ」と祈った。


「冷蔵庫……人類のおろかな歴史が、また一ページ進んでしまったな」


「やめてくれ、俺を巻き込むな」


でも、ここで止まるわけにはいかない。

負けるわけにはいかない。


そう、カレーには特性がある。

“二日目のカレーはうまい”という、あの伝説の超熟成パワーが――!


「問題ない。きっと明日には化ける……!」


「待て待て、熱いまま入れるな! それはマジでやめ――アッー!」


それから数日、冷蔵庫を開ける機会は何度もあった。

でも、見ないふりをした。


「二日目のカレーはうまい」

ならば、五日目はもっとおいしいかもしれない。

十日目は、もはや芸術かもしれない。


加算だ。料理は加算。

それを信じた俺が、間違っているはずがない。


鍋は、金属の蓋をしたまま冷蔵庫の奥に居座っていた。


「……ナオト。カチュー、呼吸してるよ」


冷蔵庫が、ふしぎなことを言い出した。


こわい。

あけるのが、こわい。


これはきっと、パンドラの箱。

開けたら最後、いろんな災厄が飛び出す。


「……ごめん。俺、調子に乗った……」


「謝る相手は、カレーか牡蠣か、あるいは地球環境だと思う」


その晩、俺は鍋を二重に袋に入れ、深夜の散歩に出た。


「カチュー……安らかに眠ってくれ……」


翌朝。

近所のどぶ川のほとりに、ひっそりと置かれた銀色の鍋。


中には、誰にも愛されなかった料理の残骸が、静かに眠っていた。


名は――カチュー。


カレーとシチューと牡蠣の、夢と野望と無謀を煮込んだもの。


その味は、もう誰にもわからない。

わからないまま、ただ静かに、風に吹かれている。

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