後悔
なぜ自分は今まで、メアリーのこの矛盾だらけの言い分を鵜呑みにしていたのか。
どれほど浮かれていたのだ。愚かにも程があるだろう。
「何で疑問に思わなかったんだ……」
オリヴィアは、私がメアリーに騙されていると何度も言っていた。だが私はそれを一切聞き入れなかった。
プライドの高いオリヴィアが、メアリーに対する嫉妬で醜態を晒しているのだと決めつけていた。
(もし、オリヴィアの言うことが本当だとしたら──?)
不意に湧いた疑問に、青褪めた。
「ルミナス様? 今なんて?」
「いや、なんでもない。とにかく、オリヴィアは人の悪口など言わない。憶測で物を言わないでくれ」
「ルミナス様……? どうして私よりあの人の肩を持つのですか?」
「あの人──ではない。彼女は公爵令嬢で私の婚約者だ。呼ぶ時は家名に敬称をつけなさい。君はもっと貴族マナーについて真摯に学ぶべきだ。君がいつも声高に主張する学園の平等とは、身分関係なく学びの門を開くという意味であり、身分制度を無効にするという意味ではない。失礼する」
「ルミナス様!」
どうしてだろう。
あんなに愛しかったメアリーが、色褪せて見えた。
まるで長い夢から覚めたように、彼女の言葉も行動も、何も響かない。
(オリヴィアと話をしなければ……)
彼女に避けられるのは初めてで、戸惑いを隠せない。
今までこちらが動かずともオリヴィアの方から自分に会いに来ていた。だが──
『殿下は——メアリー様のことだけをお考え下さいませ』
あの言葉と共に一線を引かれてから、彼女の声どころか、姿さえ見かけなくなってしまった。
なぜだ。
(彼女は王太子の私を愛していたんじゃないのか?)
脳裏に浮かんだその問いに、反吐が出そうになった。
権力欲で自分を欲する彼女を嫌悪し、切り捨てようとしていたのは自分だ。なのに、いざ彼女から距離を取られると途端に狼狽えている自分がいる。
急に絶たれた婚約者同士の交流は、今思えばオリヴィアが私の心変わりを知っているという意思表示だったのだろう。
彼女を傷つけた。
会いたくないと思われても仕方なかったのだ。
以前の自分だったら喜んでいただろうこの状況に、今はただ、胸が締め付けられる。
オリヴィアの涙を見た時から、すべてが変わってしまった。
自分の愚かさを知った。
そして昔、オリヴィアが妃教育に耐えられずに泣いていたことを思い出す。
婚約者になったばかりの頃は、怒られて泣いてばかりだった彼女を、私がいつも慰めていた。
あの頃はまだ、仲が良かった。
私を好きだと、はにかむように笑うオリヴィアが、私も好きだった。絶対に王太子妃になりたいからと、厳しい教育に耐える彼女を応援していた。
だから、マナー教師にオリヴィアの本音を聞いた時の失望が大きかった。
子供が教育方針に口を出すなど許されないとわかっていたが、泣いているオリヴィアが気の毒で、もう少し優しく教えてやってほしいと願い出たのだ。
『王太子殿下、それはなりません。彼女は王族に嫁ぐということがどういうことかわかっていません。絵本のお姫様気取りでは困るのです。固定観念がついてしまう前に、彼女の欲望を今のうちにへし折らねばなりません』
『欲望……?』
『オリヴィア様は、貴方様の妃になれば、いずれ女性としてこの国の一番になれると仰っていました。お姫様のようにチヤホヤされ、綺麗なドレスを着て、豪華な食事をして、皆に羨ましがられ、傅かれる暮らしが出来ると浮かれているのです。これから学ぼうという者が、国の平和ではなく自分の私欲を語るとは──最初から血税で贅沢する気満々で呆れましたよ。ですから私が王族の厳しさを教えているのです』
『オリヴィアは……贅沢がしたいと……?』
『ええ。少し注意しただけで不機嫌になり、難しいことは命令して下の者にやらせればいいと泣いて癇癪を起こしたので、厳しく注意しました。それでいて殿下たちの前ではしおらしい令嬢を演じるのですから末恐ろしいですよ。公爵家ではどれだけ甘やかされていたのでしょうね。殿下もこれから苦労なさるかと思いますが、少しでも気苦労が減るよう、私がしっかり指導しますわね』
『わ……わかった……よろしく頼む』
ショックだった。
騙された気分だった。
純粋に私を好いてくれているのかと思ったら、王太子妃──ゆくゆくは王妃になって傅かれる贅沢な生活がしたかっただけなのか。
それを教師に語ったことで、王族の妃としての資質を疑われ、厳しくされて泣いていたのか。
(自業自得じゃないか……)
幼心にそう思い、それ以降はオリヴィアを慰めるのをやめた。寂しそうな視線を感じていたが無視した。
オリヴィアが思うほど王族の道は甘くない。そんなふざけた理由で私の妃になりたいと望むなど、烏滸がましいにも程がある。
だから今のうちにその性根を叩き直してもらえばいいと思った。そして、教師の努力の賜物か、いつのまにか彼女は泣かなくなった。
誰もが認める未来の王太子妃として見られるようになった。隙がなく、淑女の鑑と呼ばれ、終始取って張り付けたような笑顔を浮かべる人形へと変わっていった。
皆にオリヴィアの実力を認められるのは良いことのはずなのに、私はそれが気に入らなかったのかもしれない。
オリヴィアを視界に入れるのも嫌だった。私が心を開いたのは、子供の頃のように私を好きだと頬を染め、はにかむように微笑むオリヴィアで、今の傲慢さが顔に出ているオリヴィアではない。
どうしようもない鬱屈した想いが広がり、オリヴィアといるといつもイライラした。
だから感情豊かなメアリーに惹かれたのかもしれない。
そのせいで、オリヴィアを深く傷つけた。
あのガゼボに呼び出した時、オリヴィアは固い表情をしていた。そして私があの日、大勢の生徒の前で糾弾したせいで、彼女は自信を失くしていたのだ。
感情的になり、ここまで彼女を追い込んでしまった自分を恥じ、後悔した。次期王太子妃になる彼女を、皆の前で吊し上げたも同然だ。私の方が責められて然るべきだった。
なんとか彼女を慰めようとしたら、突然キスをされた。
柔らかな唇と甘い香りに思考が飛び、反応が遅れた。
唇が離れ、見つめ合う。甘い口づけだった。
なのに彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
微笑んでいるのに、辛そうだ。
なぜ、そんな顔をするのか──
こちらまで胸が痛くなるような、悲しい笑顔だった。
また何かを間違えた。
私の何がダメだった?
心当たりがありすぎて、どうしていいのかわからない。ずっと嫌な予感が纏わりついている。
もしかして本当は、最初からすべて間違えていたのではないか。取り返しのつかない過ちを犯してしまっているのではないか──
そんな恐怖が芽生えた。
「オリヴィア……っ」
振り向いてほしくて名を呼んでも、彼女は立ち止まりもせずに去っていく。彼女の背中が私を拒絶して、追いかけることもできなかった。
この時、追いかけていればよかったと死ぬほど後悔することになるとは、当時の私は知る由もなかった。
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『私の愛する人は、私ではない人を愛しています』
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