仲直り
「…今日も部屋に籠っているの。ごめんなさいね、フィオちゃん」
あれから一週間。
長いこと経っても、クラウスは学校に出てこない。
後期の授業は始まったばかりとは言え、このまま休み続ければ進級が危うい。
これでは、クラウスの両親にも申し訳が立たない。
どうしたら、いいのだろうか。
クラウスの気持ちには、応えられない。
でも、大切な幼馴染の未来が閉ざされるのを放っては置けない。
これまでだって、私は助けられてきたのに。
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「エレーナ、どうしたらいいかな…」
私は、エレーナに全てを話す。
クラウスに好かれていること、アンナのこと、学校に来ないこと。
エレーナは親身に、全てを聞いてから考えてくれる。
「……もし、全部が本当なら、フィオの友人としてそんな最低男放っておいていいわって言いたいところだわ。」
エレーナは珍しく、クラウスに手厳しいことを言う。
イケメンには優しいことが多いのに。
「…でも、私クラウスくん好きよ。変な意味じゃなくて…彼、どう見てもフィオが大好きだもの。気づいてないのなんて、フィオくらいだわ。私の目が確かなら、彼が好きなのはアンナじゃなくて絶対にフィオよ。」
確かに、彼の様子から、嘘や冗談で言っているわけじゃないのは分かる。
最初は友愛を勘違いしていると思っていたけれど、それも私の勘違いだと思う。
あの日クラウスの鞄を送り届けるとき、他の写真を見てみた。
その中には、着替え中の写真まで混ざっていた。
腹が立ったので、そういう写真は破り捨てて返したけど。
「でも、それならアンナと別れるって選択ができないのは何なのかしらね?望んでいるわけじゃないけど…クラウスの行動は理解できないわ」
「…アンナとクラウスは拗れているって聞いたのよね?何があったのか聞いてみるのがいいかもしれないわ。」
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アンナを呼び出し、聞いてみることにする。
しかしどこまで踏み込んで良いのかもわからず、遠回しな聞き方になる。
「…その、クラウスが登校していなくて、元気づけるためにアンナとの仲を修復するのはどうかと思っているの。それでも来ないかもしれないけど、色々試してみた方がいいかと思って。」
「私も心配です、フィオさん。協力します!」
アンナは快く頷いてくれる。
クラウスは顔を見せてもくれないからどうにもならないけど。
「…それで…2人は何があって拗れたのか、聞いてもいいかしら?」
「何があって、ですか?」
アンナは、不審そうな表情になる。
私は違う意図とバレたかと冷や汗をかきながら、取り繕う。
「ええ。それがわからないと修復は難しい気がして。」
どうにかごまかせたのか、アンナは意気揚々と話し始める。
「実は、私が先輩と付き合っているという噂を聞いて、誤解されてしまって。私から言ってもわかってもらえないんです…!フィオさんが先輩と付き合っていると言えば、誤解も解けて、解決になりませんかね?」
アンナは閃いたと私の手を取ると、そのまま手を引いて、下駄箱に向かっていく。
「え?今から行くの?」
今はHRが始まる時間で、すぐに1限。
今から行けば、午前中の授業は出席にならない。
「決断が鈍らないうちに行きましょ?あ、今からその先輩を呼びますね」
その先輩も、頼まれたら授業を飛ばして来てくれるなんて随分親切だ。
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「どうも、ドルセント・ガーバンです。ちょーかわいいね。君の恋人のふりすればいいんだよね?」
その先輩は、金髪の少し軽薄そうな人だった。
「どうも…フィオです…あの、もしかすると門前払いかもしれないので、そうしたらすみません…せっかく授業より優先してもらったのに」
私が念のためそう言っておくと、2人は大して気にしていない様子で頷く。
「一度行ってみたかったんですよ、クラウスの家。恥ずかしがって教えてくれなくて。」
「俺はフィオちゃんと出会えたから良いよ。終わったら連絡先交換しよ」
どうも先輩は距離が近くて、スキンシップが多い。
地味な性格の私にとって、こういう派手な人は、どうしても苦手な気持ちになってしまう。
クラウスとすら、幼馴染じゃなかったら接点は無かったと思う。
「フィオさん、緊張してるわね。でもそれだと恋人には見えないわ。」
「付き合いたてって設定しかないかな。うーんちょっと実践で見せるってのはどう?それっぽく」
「それがいいかも。目の前で見たら認めざるを得ないでしょ」
2人はすごく仲が良く、ポンポンと会話が弾んでいく。
クラウスが仲を疑うのも頷けるかも。
「俺達仲良いなって思ってる?実は親戚なんだよ」
「腐れ縁の間違いだわ」
言われてみれば、目の色が似ている。
私とクラウスくらい仲が良い気がするのはそのせいか。
「クラウスが嫉妬しちゃうんじゃないかしら?」
アンナに笑いかけると、ドルセント先輩が口をはさむ。
「うーん、かわいいなあフィオちゃん。純真無垢?このまま付き合っちゃわない?」
「騙されたら駄目よフィオさん。この人、彼女がたくさんいるんだから」
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結局、クラウスは出てくれず、私達は家の下に居る。
「…ご両親お仕事だから、今はクラウス1人で居るはずなんですけど。」
「フィオちゃんの彼氏って自己紹介するはずだったのに。ここから叫んだら部屋から聞こえないの?おーい!クラウスくーん!フィオちゃんの彼氏でーす!自己紹介させてください!」
「近所迷惑になるわよ。馬鹿じゃない、ドル。また来ればいいだけよ。次はご両親が居る日が良いわね。」
「えー。いちゃいちゃできると思ってきたのに…」
「…お手柔らかに……」
上を見れば、窓が少し空いているけれど、部屋の明かりはついていない。
もしかすると、1階にいるのかもしれない。
「アンは学校帰るんだろ?フィオちゃん借りてもいい?」
「…ドルはこう言っているけどどうする?奢りだと思って楽しんできたら?」
「えっと…」
ドルセント先輩は私に抱き着くと、お願い!と叫ぶ。
いきなりのスキンシップに驚き、固まってしまう。
「デート行こうよ。平日って言うのも乙じゃない?」
「じゃあ、私は学校に戻るわね。また今度ね、フィオさん。ドル、程ほどにね」
「はいはーいわかってまーす。じゃあ、行こう。カフェとかで良いよね?」
ドルセント先輩は自然に私の手を取る。
女性慣れしていて、正直怖い。
行くとも言っていないのに、アンナも居なくなってしまい、上手く断れない。
これほど積極的な人と話したことが無さ過ぎて、上手く話せない。
このままだと何もかも流されてしまいそうで、本能的な恐怖すら感じる。
「あっ…あの……わ、わたし……」
ちゃんと断らなくちゃいけない。
でも、言葉が出てこない。
「人の家の前でうるさいんだが」
ガチャリと扉が開いて、家からパジャマ姿の人が出てくる。
「お、悪い悪い。もう行くから…」
先輩はそれがクラウスだということを、知らないらしかった。
「クラウス……」
私の呟きに、ドルセント先輩は驚く。
「へえ、この人がそうなんだ。えっと初めまして。フィオちゃんの彼氏でーす」
先輩は私の肩を抱くと、軽薄な調子でそう言う。
クラウスは冷めた目で見ると、吐き捨てる。
「フィオの彼氏はキールじゃなかったか?写真が貼られてた人」
「前の彼氏じゃね?君が学校来ない間にも色々チャンスが起きてんのよ。証拠にキスでもして見せれば信じてもらえる?」
先輩はこちらに近づいてくる。
もし、本気でされたらどうしよう。
すごく怖いし、嫌だ。
「…………どいつもこいつも邪魔でしかないと思ってたが、お前はそうでもないな。感謝したいくらいだよ。思う存分殴ってもよさそうだしな」
クラウスは扉から出る。
バタン、と閉まった音と共に、こちらに歩いてくる。
「……なるほどなるほど。アンナは嘘つきだけど、男の見る目の無さは天才的だな。フィオちゃん、ごめん。また今度。俺の本能が去れと言っているんでね。」
アンナが嘘つきとは、どういう意味だろうか。
尋ねる前に、ドルセント先輩は駆け足で去っていく。
逃げ足がすこぶる速いらしい。
「今度なんてあるかよ。逃げやがって。」
そのまま追いかけそうな、殺気を放つクラウスを引き留めるため、正面に立つ。
「クラウス……久しぶり。元気にしてた?」
「…元気なわけないだろ」
部屋に戻ろうとするクラウスに先んじて、扉に入る。
鍵を閉められて、また会えなくなっては困る。
私は勝手知ったる様子で階段を上がり、クラウスの部屋に入る。
長い付き合いだ。
鍵を掛けられたら、もう出てきてくれないとわかっている。
クラウスは遅れて部屋に来て、小さく苦笑いを浮かべる。
「なに。用なんか無いけど」
久々に来た、クラウスの部屋。
慣れた彼の香水の匂いが、懐かしい気持ちになる。
私は必死に、彼の両手を取る。
「そろそろ出席数が危ないわ!だから来て欲しいの。彼女は無理でも…学校ではずっと居ていいし、居て欲しくないならうまく会わないように気を付けてもいい。貴方の人生が心配なのよ…。」
「…………っ」
クラウスは私の手を払うと、頭を押さえる。
「何…?だ、大丈夫…?」
「…出ていってくれ。今の俺はフィオに優しくできない。酷いことを言う前に出ていって」
ここで引き下がるわけには行かない。
彼の人生を大きく左右してしまう。
「じゃあ学校に行くって言って。そうしたら大人しく帰るわ」
「…………それは…君に関係ないだろ」
「あるわ。大切な幼馴染だもの。このままじゃ貴方のご両親に顔向けできない。行くって言うまで泊まり込んでも帰らないわ!」
私は言いたいことを全てぶつける。
認めないならこのまま、3日でも居座ってやる。
「いいから帰ってくれ!大体なんだよ、彼氏だとかあんな訳の分からない奴連れてきて紹介って。馬鹿にしてるのか?好きでもないくせに、放っておけばいいだろ!…あ……」
クラウスが怒鳴る。
そして気づくと、私の視界がぼやける。
クラウスに怒鳴られたことが無くて、反射的に泣いてしまったらしい。
辛いとか怖いとかよりも、体が先に動いてしまったような感覚だった。
「…………ごめん、フィオ。でも俺今不安定だから…余計なことばかり言ってしまう。だから…」
「帰らないわ」
それでも、ここで帰ったらきっと後悔する。
クラウスは誰よりも優秀で努力家で、主席にだってなれる存在。
そんな彼が学校を辞めてしまったら、勿体ないというレベルじゃない。
「フィオは酷いことされてもいいの?俺、フィオのことが好きなんだよ?両親も居ないのに部屋に上がるなんて。」
クラウスは私が出ていくように、脅しの言葉を言う。
「クラウス、どうして帰れ帰れって言うの?私が嫌いになったの?」
私は感情のまま言って、また涙が零れる。
クラウスはそんな私を見て、困っているらしかった。
「……フィオ…ちが…」
泣いているうちに、心が弱くなる。
やっぱり、ずっと優しい幼馴染に面と向かって拒絶されるのは思ったよりもキツイ。
覚悟しているつもりだったのに、一度堰を切ると止まらない。
「…だってそうじゃない。会ってもくれないしやっと会えたのにすぐ帰れって。クラウスは私が嫌いになったんだわ。彼女になってくれなきゃいらないって思ってるのね。私は彼氏じゃなくてもクラウスが大事な幼馴染に変わりないのに…」
「フィオ、違う。フィオが嫌とか、嫌いになったとかじゃない。彼女じゃなきゃ価値が無いなんて思ってるわけないだろ。…でも、君が誰かの横で笑っているのを見続けるなんて、耐えられない。そいつのこと、殺してしまいそうなんだよ。俺は一生ここで閉じこもっていた方がいい人間なんだ……」
クラウスは前のように、優しく私の頭を撫でる。
もう片方の手で、私の涙を掬いながら。
「フィオは、幸せになって」
そんなのは嫌だ。
ここにクラウスを置いて、自分だけ幸せに、なんて。
大切な幼馴染が絶望しているのに、ここから出てなんていけない。
それじゃあ私も、本当の意味で幸せになれない。
「クラウス…それなら私、彼氏なんていらないわ…一生恋人を作らず、クラウスとただの幼馴染として一緒に幸せになる方が、幸せだわ。貴方がここに籠って不幸でいたら、私は幸せじゃないわ」
「フィオ……」
私の言葉に、クラウスも泣きそうな表情をする。
感激しているらしかった。
私も、言葉をつづける。
「貴方はアンナとよりを戻して、幸せになっていいのよ。私に遠慮とかしないでね」
人生、恋愛が全てじゃない。
彼がここに閉じこもって絶望しないためなら、私だけが恋人を得られなくても構わない。
クラウスは、素っ頓狂な声を出す。
「……アンナ?シェルとたまに話してる奴か?よく知らないけど。そいつがどうして出てくるんだ?」
本気で分からないという言い方に、こちらも困惑する。
「?付き合っているんでしょ?今は拗れてるって…」
「何の話だ?誰と付き合っているんだ?」
「え?クラウスの彼女でしょ?」
私の言葉に、クラウスはさらにわけがわからないという声を出す。
「フィオが好きなのに何で他の奴と付き合うんだ?」
「??」
「……?」
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私の一通りの説明を聞いて、クラウスは引いた顔をする。
「…つまり、ずっと俺と別の奴が付き合っていると思っていたのか…?フィオには俺が浮気性のクズ男に見えていたってことか?怒っていい?」
「ご、ごめんなさい……そう聞いたから…」
アンナの話と噛み合わなくて、意味が分からない。
でももしクラウスの言う通りなら、アンナは嘘を吐いていたのだろうか。
それに、とんでもない失礼な勘違いをしていたことになる。
クラウスは大きく息を吐くと、ベッドに座る。
そして、頭を抱える。
「キールと全然それらしい雰囲気にならないし、さっきの奴もどうみてもフィオには似合わない男だし。でもまさか彼氏なんて居なかったとは……。君が相手が居ると何度も言って嫌がったのは、俺の相手って意味か…。」
私はまだ状況がよく呑み込めず、立ち尽くす。
クラウスは、何かに気づいたように顔を上げる。
「……俺に相手が居ないってわかったんだ。ならフィオはもう、俺を拒絶しなくていいんだよな?」
「うっ……でも、幼馴染だし…そんなの考えたこともないし…」
クラウスは立ち上がり、こちらの両手を握る。
そして、いつになく真剣なまなざしを向ける。
「じゃあ考えてくれないか?フィオは彼氏を作るより俺の幸せの方が優先なんだろ?なら俺が彼氏なら、最強だと思わないか?結論は1年後でも2年後でもいいから、考えてみて欲しい。チャンスが欲しいんだ。」
断るにしても、もっと考えてからにして欲しいということらしい。
散々酷いことを言ったわけだし、それくらいの誠意を見せるのは当然でもある。
「…わかったわ。考えてみる。答えは変わらないかもしれないけれど…アンナのこととか、余計なことを抜きにして、もう一度ちゃんと考えてみる。」
クラウスは安堵の表情を浮かべると、もう一つお願いをしてくる。
「フィオ、明日俺とデートしよう。ちゃんとそういう目で、見たことなかったんだろ?まずは明日だけでも、少しは異性と意識して、こっちを見てくれないか。」
考えるには、丁度良い話でもある。
「わかったわ。」
「やった!ありがとう。朝迎えに行く。」
クラウスは、ガッツポーズをして、にっこりと笑う。
何度も見てきた、嬉しそうな笑顔。
そういえば、この笑顔を他の人に向けているところを見たことが無い。
それに何だか、くすぐったい気持ちになった。
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朝、支度を整える。
今日は休日だから、両親は寝ている。
起きる前に、早く出ないと気まずい。
選んだのは、白いレースが可愛い上品なワンピース。
クラウスと出かけるのに、こういう服を着るのは何歳ぶりだろうか。
小さい頃は、どこに行くにも可愛い服を選んでいたっけ。
妙にそわそわして、落ち着かない。
私は家の前で待つことにする。
扉を開けると、銀の髪が目に入る。
「あれ、まだ時間じゃ…」
「ああ。待ちきれなかったんだ。」
クラウスの私服なんて見慣れているのに、固めた髪型とか、いつもと違う気がして気恥ずかしい。
「…オシャレしてくれたんだな。いつも可愛いけど、今日は特別に可愛い。」
嬉しそうにはにかむ姿に、こっちも照れる。
素直に好き好き言われるのはまだ全然慣れない。
「さあ、行こう」
クラウスが差し出す手を握ると、2人でゆっくりと歩き始めた。