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「まずいなあ」

 佐伯(さいき)(つみ)がのんびりした声で云う。

 出海(いずみ)ことみは、彼の上着の裾をきつく掴んでいる。


「つみくん」

「俺ひとりだと、無理だね」

 彼に見えているものがことみには見えない。だが、()()()がそこにあるらしい。

 音は……音は、少しだけ聴こえていた。三味線のような音だ。それに、鉦のような音もしていた。お祭りの時のお神楽が、遠くから聴こえるような、そんなかすかな音だ。

 つみが右手をひらひらした。「ことみ、頼んでいい?」

「なあに」

「てつだってほしい。先輩に。あと、木下(きのした)さんにも。姉さんが居たらよかったんだけど、あのひとまだ寝てそうだしな」

 自分ではないことに落胆したけれど、自分では無理だと気付いてもいた。


 ことみは頷いて、積の上着から手をはなす。

 振り返る。積のせなかに隠れるみたいに、クラスメイトや先輩後輩が立っている。いや、小山田(おやまだ)(かおる)は座りこんでいた。竹中(たけなか)草太朗(そうたろう)がその肩へ触れ、立たせようとしているらしい。

「木下さん、こっちへ来て」

「え?」

 コーヒーのウレタンカップを持ったユカリは、きょとんとした。

「先輩も……」

 先輩は、右腕で松永(まつなが)伊織(いおり)、左腕で姉小路(あねがこうじ)(りつ)をしっかり抱えていたが、なにが起こっているかはわかっていない、見えていないらしい。戸惑い顔だ。


 ユカリがコーヒーを小早川(こばやかわ)(すい)へ渡し、先輩が両腕をおろして、こちらへやってきた。ことみは頭を下げる。「ありがとうございます」

「ねえ……なに? みんな、なにをこわがってるの」

「変な音はするけど」

「ふたりで、俺の手に触れておいてもらえますか」

 積が充血した目をふたりへ向けた。ぎこちなく微笑む。

 ユカリも先輩も、基本的に善良な人格をしている。積の言葉に素直に従い、彼の右手に触れた。

「ありがとう。木下さん、北条(きたじょう)先輩」




 そのあとに()()が起こったのか、ことみにはいまいち理解できない。

 ただ、西から圧力みたいなものを感じ、と同時に宇喜多(うきた)みどりが叫んだ。それに呼応するみたいに、鳥なのかなんなのか、動物らしき鳴き声が響いた。それで、腰をぬかしていたひとや動けなくなっていたひと達、気絶していたひと達が立ち上がり、一斉に西以外の方向へ走り始めた。郁、と叫びながら、誰かが流れに逆らってつっこんできた。竹中やみどりの家族が走ってきた。

 それから奇妙な静寂が訪れた。

 なにも聴こえない、誰も動かない数十秒があって、積が息を吐いた。

「とりあえず、追い払った」




 騒動は、集団ヒステリーとして報道された。

 ロータリーの構造の不備が指摘され、市長肝いりで、年末だというのに工事が迅速に進められ、駅前広場はしばらく立ち入り禁止区域だらけになった。




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