やるせない
佐伯積は駅ビル前の花壇に腰掛け、脚をぶらつかせていた。
出海ことみと、ホラー映画を見に行く約束をしている。彼女は家族と一緒に買いものに出て、途中で積と合流する予定だ。積はそれを待っていた。映画を見たあとは、ことみの家族と一緒に昼食をとることになっている。
駅前だ。ひとどおりは多い。
勿論、そのなかにははっきり「ひと」と云えないものも居る。片足が途中から消えている(長さが左右で違う、というのではなくて、途中からかき消えている)サラリーマンふうの男や、三百六十度どの角度から見てもまったく同じ笑顔の老婆(積はさっきその女性のまわりをぐるりと一周したが、顔も一周した)が居れば、うさぎみたいなものを首に巻いている女性が近くのベンチに腰かけている。それがそういうかわった襟巻きなら問題はないのだが、先程から瞬きしているのだ。まさか襟巻きにそんな機能はあるまい。
眼帯の紐を引き締めた。これでだいぶ、見えなくしているのだが、それでも余計なものが目にはいる。
見えるからって、なんでも関わり合いになる訳ではないし、すべてを解決はできない。
あの子。
積は身をかたくする。
見たくないものを見てしまった。
三十代から四十代くらいの男が、男の子をつれて歩いている。
男の子はその男の左脚にしがみついていた。ふっくらした頬の、可愛らしい子だ。四歳か五歳くらいで、やわらかそうな髪をしている。幼稚園か保育園のスモックを着ていて、肩からかばんをさげている。
男の子はところどころ黒や紫に変色した顔で、じっと男を見上げている。片目はなかった。
男は、自分の脚に男の子がしがみついているのに気付いていない。積はそれを見詰めていた。
ふいにこちらを向いた男の子と目が合う。
頭のなかに火種があるみたいに、燃えるみたいな、熱い感覚があった。それは一瞬でなくなる。
積は目を伏せた。ほんの少しの時間だったけれど、いやなものが、いやな場面が見えた。
男があの子を殺したのだろうと思う。だがそれは積の「想像」でしかない。なにも証拠はない。積があの男を告発しても、誰もまともにとりあってはくれない。こんなことがこれまでに何度あっただろうか。
ふと顔を上げると、三十過ぎくらいの女性が男に近付いていくところだった。ふたりは腕を組んで、駅ビルへ這入っていく。男の子は手だけになっている。
「つみくん」
「……ああ、おはよう、ことみ」
「もう十一時だよ」
小走りにやってきて、ことみはにっこり笑った。その笑顔を見ているとやるせなさがうすれて、積は息を吐くのだった。