りんご飴
斉藤史人は不思議に思っていることがある。
彼はりんご飴を食べた記憶がなかった。地元のお祭りでかならず屋台が出ていたことは覚えているのだが、食べた、という記憶がないのだ。それなのに、なんとなくりんご飴に対していやな感じを覚える。
「じゃあ、食べてみたら?」
週末恒例の食べ歩きの最中、ふとそんな話をした史人に、友人の奈佐は簡単にそう云って、駅前にできたばかりのフルーツ飴のお店をゆびさした。史人は肩をすくめる。「奈佐も食べる?」
ふたりで行列に並び、店先にあるメニューを眺めて、あれを食べようこれを食べようと相談する。メインは高品質のとちおとめをつかったいちご飴のようだが、りんご飴も何種類も用意されていた。まるまる一個をつかった古典的なものから、うさぎりんごのりんご飴、りんご飴にクランチをつけたものなど。りんごも、みっつの品種を用意してあるそうだ。
「メロン飴もおいしそう」
「水っぽくならないのかな」
「すぐ食べれば大丈夫でしょ」
「じゃ、奈佐はメロン飴?」
「アールスメロンとあきひめにする。史人は?」
「あきばえと紅玉」
相談していたのに、史人の番が来るまでにりんご飴は売り切れてしまっていて、彼は奈佐と同じものを食べた。
リベンジを誓い、それから三度、フルーツ飴屋さんへ行っているのだが、かならず史人の前でりんご飴が売り切れる。
史人は、お祭りの時もこれだったな、と、りんご飴に対する「いやな感じ」が「食べたいのにどうしても食べられない」だったと思い出した。




