電灯
「もう灯消すよー」
出海ことみの声がして、うとうとしていた姉小路律は目を開けた。
それと同時に、灯が消える。
臨海学校の宿舎は、つめたい印象をうける大きな建物だ。律はその建物が見えた時から、林間学校ではなくて臨海学校を選んだことを後悔している。こんなところだとわかってたら来なかった。こんないやなところ。
うっすら開けた律の目に、ゆうらゆうらと揺れる灯がうつる。常夜灯だろうか。だとしたらどうして、揺れている。
電灯の紐に、蓄光の目印がついているのだろう。律はそう思う。
今日は木を切ったり、草を刈ったり、面倒だった。日にあたった肌がひりひり痛い。男子が役に立たないから、わたしひとりであんなに伐採した。
昼間、クラスメイトの松永伊織が溺れそうになった。伊織は泳ぎが得意だ。それでも溺れそうになるんだから、海はこわい。どうして選んだろう。海なんて。海なんて……。
ゆうらゆうらと、光るなにかが揺れている。
律は瞬く。
揺れる灯は、白っぽい。
灯が大きくなっている。
近付いているのか。
ひとりの場所で寝たかった。クラスメイトが居るところでぐっすり眠れない。
誰かが髪をひっぱっている。自分は廊下側を向いて寝ていた筈だ。後ろには、誰が居たっけ。
廊下へのドアを見ている筈。
灯。
電灯に、紐なんてついていた?
いや、ここの灯は、壁にスウィッチがあって、それで操作する。
じゃあそのスウィッチが光っているのか。
だったらどうして揺れているの。
灯が近付いてくる。
律は起きようとするが、体が動かない。
灯がぶつかり、腹部を蹴られた。
「ごめん……」
「ううん」
ことみは、クラスメイトで同室になった姉小路律に、廊下のウォーターサーバーの浄水を渡す。ここの建物にはどういう訳だか、いつでもつめたくておいしい水かお湯を飲める、大きなウォーターサーバーが置いてあるのだ。コップは持参したものだが、それをつかうことは禁じられてもいない。
ことみは律の悲鳴で目を覚まし、部屋の灯をつけた。不思議なことに、飛び起きてベッドからおり、うずくまって震えている律以外は、誰も起きていなかった。それで、ことみは律と一緒に廊下に出て、長椅子に腰掛け、水を飲んでいる。
廊下は一部を除いて灯が点されていて、くらくはない。夜にはトイレまでの廊下にかならず灯を点ける、というのが、宿舎の使用条件なのだそうだ。以前はくらくしていたが、その所為で転んで大怪我をした生徒が居たからだという。
「お、夜更かししてるね」
律がなにも喋らないので、ことみは困り、ケータイで佐伯積を呼び出した。臨海学校はケータイの持ち込みも使用も、宿谷内ならば自由だ。外での活動中はいけない。
積は寝間着にスリッパでぱたぱたやってきて、にかっと笑った。眼帯をきちんとつけていた。
律は項垂れる。積はそれを見て、小首を傾げた。「姉小路さん、変なもの見た?」
「……電灯」
「うん?」
「光」
律はぼそぼそと、揺れる灯が近寄ってきた、という話をした。そして、それがぶつかってきて、蹴られたような痛みを感じたのだ、と。
ことみは積を見る。積は一瞬、肩をすくめ、律を見た。
「姉小路さん、移動で疲れた?」
「え?」
律は顔を上げる。積はにこっとして、律のせなかを軽く叩いた。
「疲れてると脳がバグって、目が覚めてるのに体が動かない状態になるんだ。金縛りってやつ」
「……そうなの?」
「そう。姉小路さんが見たのは、凄くリアルな夢。おなかが痛いのも、ここの掃除とか草刈りで重いものを運んで、筋肉がつったんじゃないかな。こむら返りってやつ」
「ああ……」
律は納得したようだ。数回、深く頷いて、水をあおる。「……そっか。そうだよね」
「うん。水分不足だったかもね。熱中症でも、筋肉痛って起こるらしいし」
「ああ、わたし、食欲なくて、晩ご飯残しちゃった」
「それもよくないね。塩分が足りてないんだよ」
「そっか……」律は苦笑いになった。「ほんと、ごめんね、出海さん。みんなも疲れてて起きなかったのかあ」
「なんだろうなあ、これ」
律が先に部屋へ戻ると、積はぶつぶつとささやいた。「見たことない。まるくて、ぶよぶよしてて、角みたいなものがついてる」
「つみくん」
「ああ、大丈夫。ちょっと話してみたいから、もらっただけ。凄く悪いやつでもないみたいだよ」
積はビーチボールくらいのサイズのものを持っているらしい。ことみは横目で積を睨む。
「大丈夫なの」
「平気。ことみ、寝たほうがいい。ほんとに熱中症になる」
「でも」
「姉小路さんと一緒に居て」
そう云われたら断れない。ことみは渋々、部屋へ戻った。
翌朝、積はにやにやしていた。
「蛇だった」
「へび?」
「彼女、木を切る担当だったろ」
敷地内に若木があって、それは要らないものだと云うことで、たしかに数人がその木を切っていた。
「ほかのひと達は?」
「彼女に任せてたみたい。その木についてた蛇だよ。ウラミブシが酷かった。でも、好きな方向に投げてやるって云ったら、もう彼女を恨まないって」
「なげたの」
「なげたよ」
積はなんでもないみたいに云い、北の方角を示した。「あっち」
その日のレクリエーションはビーチバレーで、ことみは複雑な気分になった。