定食屋さん
荒木道成は空腹だった。
彼は業務を終えて、いつも行く定食屋へ向かったのだが、臨時休業になってしまっていた。それで、空腹を抱えて、自宅アパートへの道をてくてく歩いているのだ。
ふと、見慣れぬお店を見付けた。
古ぼけた看板に「定食・なんぼく」とある。ただの木の板に墨で書いたような看板だ。その下には、これまた古くさい電灯が光っていた。
がたつく引き戸を開けると、奥から威勢のいい声がする。「いらっしゃい」
なかは昔ながらの食堂という感じで、カウンタ席とテーブルがみっつあった。無意味に多くのカレンダーが壁にぶら下がり、そのすきまに酒やなにかのポスターが貼り付けられ、もともとの壁の色もわからない。
テーブルには今時めずらしい、ほっかむりをしたおばあさんがふたり、向かい合って座っていた。それぞれ隣の椅子に肩紐のついたかごを置いている。なかには山菜らしいものやきのこがたっぷり詰まっていた。
道成がそれを眺めながらカウンタ席は座ると、冷たい水をたたえたグラスが出てきた。「なにします?」
「ひがわりで」
「あいよ」
カウンタの向こうには小太りで威勢のいい大将が居て、すぐに中華鍋を振り始めた。随分古めかしい雰囲気の店だな、でもいい匂いがする……。
「お兄さん、この辺のひと?」
後ろのテーブルから話しかけられて、道成は振り向いた。おばあさんふたりがこちらを見て笑っている。日によく焼け、皺だらけのそのふたりを見ていると、道成は幼い頃行った父の実家を思い出した。道成の父の実家は農業を営んでいて、祖父母は年中、日に焼けていた。
「見ない顔だね」
「あ、はい、赴任してきたばかりで」
「あら、学校の先生?」
「お客さん、ひがわり、どうぞ」
お膳が運ばれてきた。山盛りのご飯に実がたっぷりの味噌汁、山菜のおひたしにたくあん、肉野菜炒めだ。
道成はおいしい定食に舌鼓を打ちながら、おばあさん達ふたりの話を聴いた。ふたりはこの近くの山で山菜やきのこを採っているそうだ。
「うちに持ってきてもらってるんだよ。おひたしうまいだろ?」
「はい」
「ほんとの山の味だからね。こちらのお姫さま達が採ってきてくれるから」
「やだ、うまいこと云って」
「大将の腕がいいんだよ」
「でも最近は、いやなものがふえたからねえ」
「ほんとにねえ」
おばあさん達が揃って溜め息を吐いた。大将がそのテーブルまで、よく冷えたお水を運ぶ。「まあ、なんとかなるよ」
「そうだといいんだけど」
「みんな、山のことなんて関心を持たないからね」
「ああいうものをはいりこませてもらっちゃ困るんだけど」
「若いひと達は感心を持ってくれないからねえ」
道成は翌日もそこへ行こうとしたが、学校から家への間にそんな店はなかった。
ただし……今でもたまに、その店は姿をあらわすことがある。道成はそんな時、そこへ這入っておいしい料理を味わい、おばあさん達と楽しくお喋りする。
どうしてこの店はあったりなかったりするのか、なんてことは訊かない。訊いたら二度と、あの店に行けないような気がするからだ。




