酷い匂い
出海ことみは、予約していた怪奇小説を本屋で買い求め、上機嫌で帰宅していた。
小雨が降っていて、転んだ時に自転車だと酷そうだと思い、合羽と長靴を身につけて歩いている。鞄はポリ袋で二重に包んだから、本が濡れる心配もない。
ことみは水溜まりを飛び越え、そこで笑みを消した。左を見る。なんだか酷い匂いがする。
ことみは霧雨のなかに、異様なものを見た。
人間の形……と覚しいのだけれど、色合いがおかしい。灰色、ところどころ緑や青、黄色。足はまっくろ。
匂いはそちらから漂ってくるようだった。その、人間にごく近い形状のものは、ついと片腕をあげる。それが腕だとすれば。
かすかに音をたてて、タクシーがその前に停まった。
唖然とすることみの前で、タクシーの後部ドアが開く。人間なのかそうでないのかわからないものは、するっとタクシーにのりこみ、ばたんと扉が閉まった。タクシーが走り去る。
……わたし、まずいもの見た?
「まずくないよ」
電話の向こうの積の声に、ことみはほっと息を吐く。
「ほんと? あれってなに?」
「幾つか可能性は考えられるけど。川からあがったばかりの河童とか」
「かっぱ?」
「居たらおかしい?」
ことみは口をぱくつかせるが、なにも云えない。
積は笑った。
「まあ、タクシーにはのらないね。多分、亡くなったひとだよ。見付けてもらおうとしてるんじゃないかな」
翌日の新聞に、「霧上川上流で遺体発見 三月から女性が不明」という記事が載った。