あかちゃん
出海ことみは市民会館へ向かっていた。
新館が倒壊してしてしまった図書館は、一時的に市民会館に分館のようなものをつくり、そちらで本の貸し借りができるようになっている。
ことみは怪奇小説のシリーズをかりていて、それを返し、続きをかりるつもりだった。
そのあとは佐伯積と合流し、近くの喫茶店でその内容について語り合う。ことみがかりようと思っている本は、積にすすめられたものなのだ。
ことみの家から市民会館は目と鼻の先で、だからことみは自転車ではなく歩きで移動していた。
自転車だったら簡単に通りすぎていただろう。ことみはふっと、泣き声を聴いた気がして立ち停まった。
坂道の途中だ。左には柵があり、その向こうには藪がひろがっている。山茱萸が見えた。
みゃあみゃあ、と聴こえる。
「猫か」
そう云ったものの、ことみはなんとなく気になって、柵に切れ目がないかをきょろきょろとさがす。
切れ目はあった。その奥に急な階段がある。ことみは鞄を背負いなおし、そちらへ向かう。
階段には苔がつき、アイビーが這っていて、踏むと水分で滑った。下は藪だが、なんの為にこの階段があるのか、そしておりた先がなんの為の空間なのか、ことみにはわからない。墓石や碑でも見えたら納得したのだが、人工的に見えるものはひとつもなかった。
ことみは数段、下へおり、はっとした。
おくるみにくるまった赤ん坊が、藪のうえに寝かされている。ことみは慌ててケータイをとりだし、一・一・九、とタップした。
赤ん坊が目を開ける。はなれているのにはっきり見えた。赤ん坊が泣きはじめる。ことみはどうしたらいいかわからず、消防署員にまくしたてる。「あかちゃんが、あの、美田の、市民会館のすぐ下の坂の途中の、藪のなかに」
赤ん坊の声はどんどん大きくなっていき、電話の向こうで消防署員がなにか云うのだが聴こえなかった。
赤ん坊が不意にとびあがった。
ことみは気付くと、息を切らして市民会館の前に立っていた。体が汗でどろどろだ。右手にはしっかり、ケータイを握りしめていたが、通話は切れていた。
走って逃げたのだろうが、記憶はない。
「ことみ?」
「……つみくん」
ことみが来るのを待っていたのか、積が市民会館のなかから出てきて苦笑いになった。「あー、今日は帰ったほうがいいね。送るよ」
積と、あの坂とは反対のルートで家へ向かう前に、ことみはあらためて消防署に電話し、赤ん坊のことを伝えた。消防署員はああ、とあまりやる気のない声で、一応向かいます、と云った。