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三題噺 短編集

世界で初めてのバレンタイン

作者: 稲辺のびる

三題噺

テーマ:「バレンタイン」「壁」「昇級」

 疲れた体を引きずりながら、ヴァレンは寮の廊下を歩いていた。壁の穴にはめられた松明に照らされた顔や体には、その所々に泥がついている。着ている鎧下は汗が染みこみ、くすんだ灰色をしていた。ゆっくりとした歩みで松明をいくつか過ぎた後、自室の扉の前まで来て立ち止まった。ポケットの中をまさぐると、金属製のカギを取り出し、鍵穴に差し込む。無人の廊下に響いた小さな音とカギに伝わった手ごたえを確認すると、扉を部屋の中へと押し開いた。

 廊下からのかすかな明かりを頼りに扉のすぐ近くにある机の上の火打石を手に取り、ランプに火をつける。無事に火が付いたことを確認し、扉をバタリと閉めると、ヴァレンは一直線にベッドの上へと倒れこんだ。明日の朝は久々に風呂屋に行こう。とりあえず、汗のしみ込んだこの服は着替えよう。頭の中ではそう考えていたものの、彼の体は動くことを拒否していた。ここ数日の間、ずっと張りつめていた緊張の糸が切れ、疲れがどっと押し寄せてきていた。

 今日は一週間行われていた昇級試験の最終日であった。見習い兵士として訓練をしてきた1年間の成果を出し切り、今日の午後の模擬試合で延長戦の末に勝ち、見事に兵士への昇級を果たしたのであった。試合後に同期の仲間たちと喜びを分かち合いながら装備の点検をし、武器庫へと装備一式を預けた後、自室へと帰ってきたのであった。

 一週間の試験を思い返しながらベッドの上でまどろんでいたヴァレンの耳に、コンコンという控えめなノックの音が聞こえてきた。首だけを動かし扉の方へと顔を向けると、今度は少し強めにノックがされる。同期の誰かが食事にでも誘いに来たのだろうと、倒れこんでいた体をゆっくりと起こす。久々のゆったりとした時間を邪魔されたことにため息をつきながら、扉を開く。同期の顔を何人か頭に浮かべながら文句の一つでも言ってやろうと思っていたヴァレンは、扉の前にいた人物を見て目を見開いた。

「えへへ、来ちゃった」

 照れくさそうに笑っている目の前の人物に驚いて思考が止まったヴァレンは、少しかすれた声でその名前を口にする。

「ティナ……」

「やぁやぁヴァレン君。お疲れのようだね!」

 少し偉ぶった口調で話す少女の顔を、ヴァレンはまじまじと見つめた。腰に手を当ててふんぞり返っている少女は、2週間ほど前に会った時と何ら変わりがなかった。お忍びの為か藍色のキャップをかぶり、赤い外套を身にまとっている。

「そんなに驚かなくてもいいのに。とりあえずちょっと寒いから部屋の中に入れてくれると助かるんだけど」

 一言も発さずに驚くヴァレンに不満げにそう口にしたティナは、少しつま先立ちになるとヴァレンの肩越しに部屋の中を覗き込みながらそう言った。ヴァレンは勢いに流されるままに「とりあえず入りなよ」と言って彼女を自室へと招き入れた。

 外套を扉の脇の出っ張りに掛けたティナは、興味深そうに部屋を見渡す。銀色のコルサージュをベルトで締めた彼女は、安っぽいヴァレンの寮室には不釣り合いに感じられた。部屋の中の色々なものを楽し気に見ながら手袋を外すと、かぶっていた藍色のキャップを脱ぐ。正体を隠すためかキャップの中に収められていた金色の髪が、キャップの下からあふれ出して来た。鬱陶し気に頭を振り髪をほどいているティナを横目に、ヴァレンは来客用の丸椅子を部屋の隅から持ってくると部屋の中央に置く。先ほどまで汗だくのままの自分が寝ころんでいたベッドに彼女を据わらせるのは、彼にははばかられた。誘導のままに丸椅子に座るティナを見て自分はベッドに腰かけると、ヴァレンは状況を整理するために口を開いた。

「なんでこんなとこに来てるの」

「えー、最近忙しそうにしていた幼馴染の顔を見に来たんだよ」

 ヴァレンの質問にニコニコ顔で答えるティナ。足をぶらぶらと揺らしながらとぼける彼女に、ヴァレンはわざとらしくため息をつく。

「そういうことを聞いてるんじゃないのは分かってるでしょ? 仕事の方は大丈夫なの?」

「今日の午後はずっと非番だから大丈夫!」

 得意げにそういって胸を張る彼女に、ヴァレンは再度ため息をついた。

「非番だからって……見習いの寮に一体何の用があって来たのさ」

「だから、幼馴染の顔を見に来たんだってば! 今日、試験だったんでしょ? どうだった?」

「どうだったって……一応昇級はできたよ」

 皮肉交じりの問いかけに勢いよく答えた後、瞳を輝かせながらヴァレンの顔をじっと見ていたティナは、彼の言葉を聞くと、「やったー!」と自分の事のように喜ぶ。幼い頃から何ら変わらない、感情を隠さず表に出す幼馴染の姿に、ヴァレンはくすりとほほ笑んだ。


 ヴァレンとティナは幼馴染であった。ヴァレンの両親は街の北側で食事処を営んでおり、漁師をしていたティナの父と仲良くしていた。ティナの父親が漁に出ている間、ティナやティナの母親がヴァレンの家に夕食を食べに来ることも多く、2人は自然と仲良くなっていった。ティナの方が2歳年上であったためか、ティナが世話を焼き、ヴァレンが照れくさそうにしながら彼女を話す、そんな光景が毎日のように繰り広げられていた。ティナは直情的で幼い面があり、時にヴァレンが兄でティナが妹であるかのようなやり取りをすることもあった。

 しかし、ティナの7歳の誕生日に彼らの関係性は大きく変わることになる。その日ヴァレンの両親の店で行われる誕生日パーティーに参加するために、ティナ一家は道を歩いていた。早く行こうと手を引くティナを母親は笑いながらたしなめ、父親は口を大きく開けて笑う。そんな風に家族仲良く歩いていた彼らの後ろから、突然悲鳴が上がった。何事かと思い後ろを振り返ると、2頭の馬が馬車を引きずりながら道を暴走し、こちらへと駆けてくるのが見えた。道端の樽を破壊し、人を撥ね飛ばしながら迫る馬車はものすごい勢いでティナ一家に向かって突っ込んできていた。突然の事にティナの母親は硬直し、父親は家族を守るためにとっさに覆いかぶさり、ティナは悲鳴を上げて目を閉じた。

 次の瞬間、轟音が道に響き渡った。

 目を閉じて震えていたティナは想像していた痛みも衝撃も来ないことに気づき、ゆっくりと目を見開いた。壊れた馬車と首がねじれた馬の死骸が前に転がっており、彼らとその死骸の間には薄緑色の透明な壁があった。茫然とする両親、恐怖と安堵から泣きじゃくるティナ、遠巻きに見る周囲の人々。巡回の兵士たちが来るまで、その場の混乱は収まらなかった。


 百年程前から野生の動物たちが凶暴になり、その容姿も禍々しいものへと変化した。大半の動物は爪が長くなったり、牙が生えたり、体が大きくなったりと元の生き物からそれほど離れていない容姿であったものの、凶暴化した動物たちから身を守る術を持たない人々にとっては脅威であった。人々は自然と集住するようになり、各地で壁に囲まれた城郭都市が生まれた。そのうちの一つがヴァレンやティナの住む街、スロエであった。農地や牧場などを簡素な石の塀で囲い、街の周りを堀と堅固な石壁で守っているこの街には多くの住民たちが住んでいる。

 野生動物の変化がみられるようになって数年後、子どもが特殊な能力を突然発現させる事例が相次いだ。魔物たちの変化が生まれた年に生まれた子供の内の何人かが、火を出したり、足を速くしたり、空に浮かんだりする能力を発動することができるようになった。能力はそこまで強くはなく、発動時間が短かったり、出力が弱かったりしたものの、時に有用な能力を発現する子供もいた。ティナはそんな子供の一人だった。彼女の発言した能力は壁を生み出す能力で、1日3回の回数制限と、30秒という時間制限はあったものの、耐久力や発生速度はとても優秀であった。事件を処理した兵士の報告が団長の目に留まり、領主へと彼女の存在が伝えられた。3年前に娘が生まれたばかりであった領主は娘の世話係兼護衛として年の近い女子を探していたため、その知らせはまさに渡りに船であった。斯くして、ティナは能力が発現してから間もなくして、領主の娘の従者兼世話係として出仕することになった。領主の館に住み込みで働くことになったティナは、護衛としての訓練と世話係になるための教育で忙しくなり、実家に顔を出すこともできず、ヴァレンとは疎遠になっていった。

 幼いヴァレンにはそのような事情が理解できなかった。幼馴染が事故に遭ったと聞き心配していたところ、突然ティナが領主の館で働くことが決まったという知らせを聞いたのであった。ヴァレンは何とかしてティナ本人から事情を聞こうとしたものの、勤め始めで大変だったティナとは話す機会が持てず、ろくに話すこともできないまま別れることになってしまったのであった。

 ヴァレンは何も言わずに自分の前から姿を消したティナに寂しさと怒りを抱えたまま塞ぎこんでいた。ただの食事処の息子が領主館に入ることができるわけもなく、ヴァレンはティナにはもう会えないと思っていた。何に対してもやる気が出ずにただふらふらと街を歩いていた彼の目に、巡回する兵士たちが目に入った。

 これだ、とヴァレンは考えた。兵士たちは領主のマークが入った装備を身に着けていたため、ヴァレンは兵士になれば領主の館に自由に入れるのではないかと考えたのであった。ただの巡回兵や警備兵が領主館に自由に入ることなどできないのだが、まだ小さかったヴァレンはそのことを知らなかった。

 ヴァレンはその日から体を鍛え始めた。朝起きたら店の準備を積極的に手伝い、買い出しの際には重い荷物を率先して持った。仕事の無い時には筋トレをしたり棒切れを振ったりして体力をつけた。両親たちも塞ぎこんでいた息子が夢中になれるものを見つけたと喜び、彼のそんな生活を支えていった。

 ヴァレンは棒切れを振りながらティナの事を考えていた。ティナと別れる前までは、家族に対する親愛や尊敬の念だと感じていた恋心を自覚し、将来立派な兵士となった自分がティナに会いに行くことを想像し、それを活力にして日々のトレーニングに打ち込んだ。彼にとっての人生の目標が、立派な兵士になりティナを迎えに行くことになったのはこの頃の事であった。


 なお、領主の娘の従者とはいえ、一切休みがないなんてことは無く、ティナは従者としての一通りの教育と訓練が終わった1年後には月に数回顔を出すことができるようになり、ヴァレンとティナの仲もゆっくりと修復されていくことになった。ヴァレンはもう何年か先まで会えないと思っており、再開した際には号泣して抱き着いた。ティナはそんなヴァレンの様子に驚き、目じりに涙をにじませながらヴァレンを抱きしめながら頭を撫でた。結果として兵士になる前に思いのほか早くティナに会うことはできたものの、ヴァレンは立派な兵士になるという目標は変えず、努力を続けたのであった。そんなヴァレンをティナは応援し、時に今回のようにお忍びで会いに来ては二人で談笑するのであった。


「それでそれで? 配属はどこになったの?」

 ティナの声に、昔を懐かしんでいたヴァレンは現実に戻って来る。

「騎士になって1年目の人間はとりあえず農地の巡回任務に当たることになるってさ」

「そっかー……それじゃあこれからまた大変だね」

「ここ数年は塀を超えてくる動物だって少ないし、大丈夫でしょ」

「心配なものは心配なの!もうっ……」

 笑って答えるヴァレンに、少しすねたようにティナが言う。彼女を安心させようと、「大丈夫だって」と答えるヴァレンに対してティナはため息をわざとらしくつくと、ヴァレンの方へと向きなおる。

「まあ、とりあえず昇級おめでとう。はい、これ」

 ティナはそう言いながら、ベルトにつけた小さな袋からさらに小さな包みを取り出し、ヴァレンへと差し出した。

「ん? この包みは何?」

 そういいながらヴァレンが包みを開けると、中から茶色の薄い円形の物体が数枚出てきた。

「なにこれ、食べ物か何か?」

「そうそう、最近館で人気のお菓子なんだ。せっかくだからヴァレンにも分けてあげようと思って持ってきた! 食べてみてよ!」

 見たことない見た目にヴァレンが驚くのを見て、サプライズが成功したとニヤニヤしながら説明するティナ。興味深そうにその菓子を見つめていたヴァレンだったが、ティナの催促もあってか、一つを手に取るとポイっと口に投げ込んだ。

「……おいしい」

「本当に! 良かった~」

 ぽつりとヴァレンが感想を零すとティナは嬉しそうにそう答える。サクサクとした触感とほのかな甘みがヴァレンの好みには合っていた。試験の後ということもあっておなかがすいていたのか、2個、3個と口にするヴァレンを見ながらその笑みを深めていくティナ。結局すべて食べてしまったヴァレンは、その余韻に浸りながらティナに話しかける。

「これ、何て名前なの?」

「”チョコ”って言うんだって。ワッフルとほとんど同じ材料でできるんだけど、オカカの実が入ってるから、少し甘みが出るんだよ!」

 ヴァレンの質問に早口で楽しそうに返すティナ。その様子はいつもにもまして元気に見えた。

「へえ、領主の館だとこういう美味しいのが食べられるんだ。羨ましいな」

「えへへ……そんなに美味しかったんだ。……それじゃあ、また昇級試験に合格したら持ってきてあげる」

「次の試験って中級兵士への昇級試験だろ。何年かかることやら」

「ヴァレンならすぐだって!」

 おどけたように昇級試験の話をするヴァレンに、ティナはまっすぐ答えた。ヴァレンは少し驚いた表情をした後、照れくさそうに後頭部を掻いた。

「ティナがそう言ってくれるなら心強いな。お菓子楽しみにしてるね」

「うん!」

 ヴァレンとティナはお互いの顔を見つめ合い、笑う。忙しくてなかなか会えなかったこともあってか、彼らの会話はそれからもしばらく続いた。ヴァレンは試験の疲れを忘れて話し込み、ティナもまたそんな彼との時間を楽しんだのであった。



 後年、おしどり夫婦として知られる二人への新聞社へのインタビューによって、このエピソードが知られることとなった。その後、スロエの街の兵士とその恋人の間で、昇級試験のお祝いに恋人が手作りの”チョコ”を贈るという行為が流行った。この行為はだんだんと広がっていき、Valentine dayとして恋人たちのイベントとして広まっていったのであった。

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