家出したクダギツネ
今では見られなくなりましたが、昔は「歩き巫女」と呼ばれる巫女さん達がいらっしゃいました。
御祓いや御祈祷をしながら、日本各地を旅して回っていたそうです。
見伏一族という人々も歩き巫女でしたが、彼女達は管狐を使役する飯綱使いとしての不思議な力を持っていたので、迫害される事も少なくありませんでした。
疎まれるのを嫌って還俗した人も少なくなく、管狐の術を使って歩き巫女を続けているのは、ババ様と呼ばれる老婆を除けば、その孫娘である幼い久美穂を残すだけになりました。
和泉や堺といった西国を中心とする2人旅。
優れた祈祷の才を持つババ様と、管狐を用いた占いに長けて愛らしい久美穂は、何処の国でも歓迎されました。
しかし旅の途中、京の都に近い村でババ様が倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。
孫娘の久美穂は大いに悲しみましたが、管狐達が慰めてくれました。
1人になった久美穂は、管狐の術を独学で会得しようと懸命に頑張りました。
幼体の頃から久美穂が育てた管狐達は、とっても素直でした。
しかしババ様の死後に引き継いだ管狐達は、なかなか一筋縄ではいきません。
特に強情だったのは、源九郎という古株の管狐。
ババ様の娘時代からの相棒で、未熟な久美穂の指示をなかなか聞きません。
それに味にうるさい管狐の中でも、源九郎は輪を掛けた食い道楽でした。
久美穂の僅かな占いの稼ぎで贖う粗末な食事では、満足出来ないのです。
ある日の朝。
親切な宮司さんの御好意で古びた社に寝起きしていた久美穂は、管狐の源九郎がいなくなっているのに気付いたのです。
ババ様から貰った大切な竹筒は、蛻の殻です。
「みんな、源九郎を知らない?」
焦りを抑えながらも、久美穂は残る管狐達を呼び出して問いかけました。
「ご飯がひもじくてやってられない。そう言って出てったんだ…」
百郎太という子供の管狐が、恐る恐る報告しました。
久美穂と一番仲の良い、末っ子の管狐です。
「僕達は止めたんだけど…」
「探せるなら探してみろ。そう言い残して飛び出しちゃって…」
九十八と九十九という双子の兄弟が、息を合わせて呟くのです。
彼らも久美穂と仲良しな管狐です。
「源九郎も私達の大切な仲間よ。探さなくちゃ!」
「任せて、久美穂!」
「僕達がついてるよ!」
久美穂の呼び掛けに、管狐の子供達は直ちに応じました。
「行きたきゃ行かせてやれよ。」
「先代様だったら、素直に従えたんだけどね…」
古株の管狐の中には、このような事を言う者も混ざっていました。
ババ様との付き合いの方が長い彼らは、源九郎に同情的だったのです。
ところが、捨てる神あれば拾う神あり。
「そう言ったら、久美穂が可哀想じゃないか。ババ様に死なれて一番困ってるのは、久美穂だろう?」
「困ってる者を見捨てるなんて、まるで人間の所業じゃないか。そんな浅ましい振る舞いは、誇り高い管狐のやる真似じゃないよ。」
久美穂を孫のように可愛がっていた長老格の管狐達が取りなしてくれたお陰で、古株の管狐達も納得してくれたのです。
こうして、久美穂と管狐達による源九郎探しの旅が始まったのです。
アチコチに散った管狐達は、久美穂の目となり耳となって、色々な情報を持ってきてくれました。
街道や山道に設けられている御地蔵様や御社の御稲荷様とも、管狐達は御話が出来ます。
こうして集めた情報を元に、久美穂はババ様から習った尋ね人の占いを行い、ついに源九郎が嵐山に居る事を突き止めたのです。
尋ね人の占いを試みた次の日。
久美穂は御世話になった宮司様に別れを告げ、手甲と脚絆を付けた旅姿で出発したのです。
いくら同じ京の中とは言え、幼い子供の足では一苦労です。
占いで見た嵐山の竹林に辿り着いた頃には、久美穂はすっかりクタクタになってしまいました。
「ああ、あれは…」
杖に縋るのがやっとの久美穂が見たもの。
それは、季節の華をあしらった着物を纏い、艶やかな黒髪を腰まで延ばされた美しい御姉様と、彼女に親しげに寄り添う管狐の姿でした。
「源九郎…」
ヨロヨロと手を伸ばした瞬間、久美穂は膝から崩れてしまいました。
これまでの道中は、幼い彼女には過酷な旅だったのです。
「久美穂!」
「まあ…貴方の知り合いですか!」
思わず叫んだ源九郎に促され、巫女の御姉様が駆け寄ってきます。
久美穂の意識は、そこでプッツリ途切れてしまいました。
目を覚ました久美穂は、自分が暖かい布団に横たわっている事に気付きました。
起き上がると、そこは丁寧な掃除の行き届いた畳敷きの部屋。
優しそうな美しい巫女さん達が、心配そうに久美穂の顔を覗き込んでいます。
そして彼女達の上座には、竹林で見掛けた御姉様が泰然と鎮座していらっしゃるのです。
「具合は良さそうなようですね、久美穂さん。」
気品ある美貌に相応しい、鈴を鳴らすような心地良い御声でした。
「あの、源九郎は…?」
「貴女と同じく、健やかその物ですよ。ほら…」
形の良い前歯を出して小さく笑うと、黒髪の御姉様は竹管を手にして召還の術を行ったのです。
「心配かけたな、久美穂。」
「源九郎!」
その管狐は忘れもしない、懐かしい源九郎だったのです。
「管狐が術者を無視して飛び出すなどあってはならない事。そこで詳しく話を聞いてみれば、修行途中で師匠を亡くした飯綱使いが困り果てていたそうですね。」
御姉様の問い掛けで、久美穂は源九郎の真意に気づきました。
源九郎は粗食に耐えかねて飛び出したのではなく、ババ様を亡くした久美穂の親代わりになってくれる人を探していたのでした。
「いかがですか、久美穂さん。貴女も私達と同じ牙城大社の巫女となって、飯綱使いとしての正式の修行を積んでみては。」
久美穂より少しだけ年嵩な巫女装束姿の女の子が、親しげに語り掛けてきます。
聞けば彼女達は、帝のお膝元である京の町の平和を守る「京洛牙城衆」という一団との事でした。
久美穂が運び込まれた清潔な部屋も、京洛牙城衆の総本山である「牙城大社」という神社の一室だったそうです。
「私は京洛牙城衆の次期頭目である生駒桜と申します。私達が貴女の新しい家族となりましょう。」
上座に掛けた御姉様が久美穂に歩み寄り、静かに頭を撫でて下さるのです。
久美穂は喜んで京洛牙城衆の一員に加わり、管狐の術者になる為の正式な修行に励む事となったのです。
祝詞を練る為の滝行に低級悪霊との模擬戦など、その修行は過酷な物でしたが、久美穂は一言の弱音も吐きませんでした。
ババ様の名に恥じない立派な術者になる為、そして源九郎を始めとする管狐達に認めて貰う為。
そんな強い思いが、久美穂を支えました。
また、優しくも暖かい巫女のお姉さん達の励ましが、大きな力となりました。
仙術や忍術など、京洛牙城衆のお姉さん達は不思議な力に長けた人達ばかり。
飯綱使いを恐れる人は1人もなく、誰もが久美穂を温かく迎えてくれたのです。
そうして嵐山で健やかに育った久美穂は、牙城衆でも屈指の飯綱使いとして大成したそうです。
その頃には、あの源九郎も久美穂の力を認め、忠実な僕として仕えたそうな。
久美穂が世を去ってから、長い歳月が経ちました。
しかし、久美穂の学んだ管狐の術は、京洛牙城衆に今なお生き続けています。
竹林の美しい嵐山に位置する、風光明媚な牙城大社に行って御覧なさい。
管狐との厚い絆に結ばれた美しい巫女さん達が、あなたを笑顔で出迎えてくれますよ。