二の刺客、武蔵①
江戸城の天守閣では、秀忠、松平忠明、そして家康が顔を揃えていた。
忠明は亀姫【家康の長女】の子であるが、今は、家康の養子となって松平姓を名乗っている。
「忠明、蓮之助を打ち取る首尾はどうじゃ?」
家康が、息子の清道を殺された忠明に問うた。
「はっ、我が郡山藩の手練れ、槍の十三神なる騎馬隊を向かわせましたが、……打ち損じまして御座います」
「なんと、騎馬十三騎を一人で蹴散らしたと申すか!」
家康が、驚いたように言うと、
「面目次第もございませぬ……」
忠明は、家康の鋭い目から逃げるように頭を下げた。
「蓮之助め、なかなかやりおるな。秀忠、次は誰じゃ!?」
「はい、宮本武蔵を向かわせました」
「なに、武蔵とな。今を時めく剣豪ではないか、さぞかし凄まじい戦いとなろう。……見てみたいのう」
家康は残念そうな顔になって、天守から西の空を見つめた。
その頃、蓮之助は徳島の山中に籠って、日夜剣の修行に明け暮れていた。そして華は、約束通り七日ごとに山に登って来ては、蓮之助の教えを受けていた。
修行の日が来ると、華は早朝から押しかけ、朝餉の準備をするのが常だった。そんな時の彼女は、如何にも嬉しそうで生き生きとしていた。剣術の稽古にも精を出し、日没前まで蓮之助の世話をして、名残惜しそうに帰っていくのである。
蓮之助が山に籠って一月が経ったある日、華の修行の日にも拘らず、彼女は姿を見せなかった。
心配している蓮之助の前に二番目の刺客が現れた。その侍は浪人風で、六尺はあろうかと言う大男だった。
その侍の袖口に、血がべっとりと着いているのを蓮之助は見逃さなかった。
「お主、タヌキでも斬ったのか?」
胸騒ぎを覚えた蓮之助の顔色が変わった。
「いや、山の登り口で若い娘に出会ったのだが、貴公と戦う為に来たと言ったら、急に顔色を変えて斬りかかって来たのだ。斬らねばこちらがやられていたから斬った」
「何! 殺したのか?」
蓮之助の目が異様に光った。
「急所は外したつもりだ。たまたま通りかかった者に、薬師に見せるよう頼んで登って来たのだ。知り合いでござるか」
「あれは、儂の弟子だ。少し様子を見てくる故、暫し待たれよ」
蓮之助は、侍を残して一目散に山を駆け下りていった。
(万一、華が死ぬようなことがあったら……、右近殿に申し訳が立たぬ。やはり、島崎家の人間を近づけてはいけなかったんだ。そんなことは分かっていたのに……)
蓮之助は疾風の如く駆けながら、自分を攻めたが、今更どうなるものでもなかった。彼は、どうあれ命だけはと華の無事を祈った。
半時後、彼は息せき切って島崎家に駆けこんだ。
「千代殿! 華は、華の傷は大丈夫ですか!?」
蓮之助の必死の形相に、千代は目を丸くして対応した。
「蓮之助様、お上がり下さい。薬師の話では『深手ではあるが、命に別状はない』との事でした」
(良かった、生きていてくれた!)
蓮之助は、安心した途端に力が抜け、玄関の石畳に尻もちをついた。
彼が家に上がり、客間の前を通り過ぎようとすると、二人の侍が座っているのが見えた。
「華を連れて来て下さった方々です」
千代が、二人の武士を紹介した。
「伊賀の衆とお見受けする。華が世話になり申した、かたじけない」
蓮之助は、深々と頭を下げた。
「お見通しでござるか。拙者は、伊賀の大三郎、これは、福丸にござる」
蓮之助は、彼らが現れたタイミングと、その雰囲気から伊賀者だと感じたのである。彼は、大三郎たちと少し話してから、華の部屋へと入っていった。
華は、痛みを堪えるように顔をしかめていたが、蓮之助の顔を見ると涙が溢れだした。彼女が蓮之助に笑顔を向けようとした、その刹那、彼の叱責が部屋に轟いた。
「馬鹿な事をしてくれたな、命を落としていたら何とするのだ!!」
すると、華は失望の色を浮かべて顔をそむけた。
「儂の命を護ろうとしての事だろうが余計な事だ。お前に勝てる連中ではない。二度とせぬ事だ。もしも今度こんな事があったら儂は此処を去る。今後は山へ登ることを禁ずる、良いな!」
言う事を言って、さっさと帰ろうとする蓮之助を、千代が悲壮な顔で止めた。
「今度のお相手はそんなに強いのですか? 戦いを止めるわけにはいかないのでしょうか?」
「これは、我が運命。武士なれば前へ進まねばなりません。もしもの時は、経の一つも唱えて下され。御免!」
華の嗚咽を背中に聞きながら、蓮之助は、千代の脇をすり抜けて部屋を出ていった。
(優しい言葉の一つもかけてやればよかったか……)
彼は、そんな思いを振り切るように、廊下を大股で歩いていった。
「伊賀の衆、これから刺客との立ち合いに参る。同道されよ!」
蓮之助は、伊賀の二人と共に、武士の待つ山へと戻っていった。




