徳川宗家の危機①
ある夜の事、蓮之助は、藩主頼宣からの緊急な呼び出しがあり登城した。
(こんな夜中に、何事だ)
彼は胸騒ぎを覚えながら、拝謁の間へと急いだ。
蓮之助が部屋に入り着座すると、時をおかずして襖が開き、頼宣が大股で入って来た。彼は、蓮之助の前までやって来て腰を下ろすと、声を押さえて話しだした。
「蓮之助、遅くにすまぬな。早速だが、先ほど上様より密書が届いたのだ。それには、三代将軍をめぐって、お家騒動が起こりつつあると書いてあった」
頼宣の顔は、少し青ざめて見えた。
「しかし、将軍家の跡継ぎは、神君家康公より家光様と定められているでは御座いませんか、それを覆す事など出来ないのでは?」
「それがじゃ、先日、家光の夕餉に毒が盛られたのだ。お毒見役の機転で、事なきを得たようなのだが……」
「家光様暗殺ですと!? ……して、下手人は捕まったのですか」
目を見開いた蓮之助が、ズズッと頼宣との間を詰めた。
「それが、未だ分かってはおらんのだ。下手に幕府が動くと、大名たちも動揺して大騒ぎになりかねん。そこで、上様より、そちにこの件を探ってほしいと密命が下ったのじゃ」
「承知しました。この件は徳川家の存続を脅かし、世の乱れにも繋がるかもしれませぬ。我が手の者を総動員して、早急に手を打ちます。
暫く紀州を留守にしますが、後のことは大三郎が取り仕切ります故、よろしくお願い致します」
降って湧いた徳川の一大事に、城から家路を急ぐ蓮之助の気持ちは高ぶっていた。
彼は城から戻るなり、家臣の中でも信頼のおける二十名を選抜し、緊急招集を掛けた。
「今回は密命じゃ。他言する事は相ならぬ故、そう心得よ」
蓮之助は、そう前置きして話を続けた。
「実は、大事には至らなかったが、次期将軍である家光様に毒を盛った奴がおるのだ。我らは江戸へ出向き、その下手人を探索するのだが、今回の事は三代将軍をめぐっての跡目争いの可能性が高い。その裏で、暗躍している黒幕が必ず居るはずだ。そやつを探し出して禍根を絶つのが我らが使命ぞ。各々一世一代の役目と思うて精進してもらいたい。良いか?!」
「「ははっ!」」
何時にない緊迫感のこもった蓮之助の話を、家臣たちは身を固くして聞いていた。
続いて、大三郎から各隊の組分けが発表された。
「大奥には、静に潜入してもらう。春日局様に話は通してあるのでよろしく頼む。
次に江戸城には蓮之助様が入られ、宗矩様と力を合わせて指揮を取られる。
福丸の部隊は、以前に家光様と次期将軍を争った、弟君の忠長様に付いた大名や家老達を徹底して調べてもらいたい。
江戸には一軒家を借り、そこを拠点にして動こうと思っておる。そこには、華様に詰めて頂く。それから、家光様警護の為、家法様が小姓として就く事になった。以上だ。皆、心して掛かってくれ」
次の日から、彼らは隊毎に江戸へと出発していった。
華が旅支度をしていると、妙が自分も行きたいと言い出した。大人たちの何時にない緊張感を感じていた妙は、両親までもが江戸へ向かうと訊いて、何か大事があったと察したようだ。
「私だけ、おばば様と留守番は嫌です。母上、私も、何かのお役に立ちたいのです。何故連れて行ってくださらないのですか」
「今回のお役目は、とても危険なのです。あなたが行けば、足手まといになるのが分からないのですか!」
華が、厳しい口調で突っぱねたが、妙も負けずに母を睨んだ。その時、奥の部屋で話を聞いていた蓮之助が顔を見せた。
「儂達が下手人探索に動き出す事は、敵も先刻承知だ。剣で敵わぬ彼らは、儂の命よりも大事な、家族を狙って来るに違いない。
華は論外として、母上には大三郎が付いているから心配はない。そうなると妙が心配じゃ。華も少し動きにくくなるが、妙を傍に置く方が護りやすいのではないか?」
「……分かりました。妙、準備をなさい、すぐに出発しますよ」
「はい、母上!」
妙の顔がほころび、一目散に自分の部屋に駆け込んでいった。
二日後、堺からの大型船に丸一日ゆられた蓮之助達は、江戸の町に着いていた。
蓮之助と静は、そのまま江戸城へ向かい、華と妙は、隠れ家である江戸城近くの一軒家に向かった。
蓮之助は登城すると、叔父の柳生宗矩と打ち合わせをした後、大奥の春日局に静を合わせた。静は、春日局の側近として大奥に入り、側室たちの中に不審な者がいないかを探る事になっていた。
「惜しいのー。もう少し若ければ、そなたの美形なら上様の側室にも成れたものを……」
春日局は、静の顔から身体へと視線を巡らしながら唸った。
「滅相もございません。私はただの忍びに御座います」
静が恥じらいの顔を伏せた。
「そうじゃったの。お主には、大奥の何処でも出入り自由と致す故、くれぐれも用心して探索いたせ。家光様を亡き者にしようとした者どもを一網打尽にせねば、この春日の気が収まらぬ。頼んだぞ!」
家光を、我が子のように溺愛している春日局は、憤怒の顔を静に見せた。
続いて、蓮之助は将軍秀忠に拝謁した。
「待っておったぞ蓮之助。今回の事は、家光を廃して幕府を自分のものにしようとする者の仕業に違いない。家光を失っては、今までやって来た事が全て無駄になり、徳川幕府の崩壊につながりかねん。儂の代での最後の試練になるやも知れんが、其方が来てくれれば安心じゃ。
家光が住む二の丸御殿の警備は厳重にしておるが、其方に、警護と黒幕の探索に当たってもらいたいのじゃ、万事宜しく頼む」
秀忠は、蓮之助と同い年の四十三歳だが、家康亡き後、孤軍奮闘してきた為か、年の割には老けて見えた。
「畏まりました。必ずや家光様をお護りし、黒幕を探し出して成敗して見せまする」
蓮之助は、秀忠と暫し話した後、その足で二の丸御殿に入り、家光に拝謁した。
「家光様、柳生蓮之助に御座います。本日より警護の任に就かせて頂きます」
「蓮之助、そちの噂は父上からも訊いておる。大儀である。それにしても、外へ出してもらえず閉口しておる。早う事件を解決してくれ、頼むぞ」
家光は、今年十八になったばかり、多感な年頃故、室内に閉じ込められてばかりの生活に、嫌気がさしているのが蓮之助にも見て取れた。
「家光様。それでは、今日は天気もよろしいので城内を散歩いたしましょう」
「おお、それは良い。ついでに、お前の剣術指南も受けてみたい」
「承知しました」
家光と蓮之助は、周りの者が止めるのも聞かず、外へ出て庭園を散歩したあと、剣術の稽古に汗を流した。
久しぶりに、存分に体を動かした家光は、生き返ったように元気になった。




