島崎父娘との出会い
蓮之助は夜通し馬を飛ばして、一気に山城国の淀藩に足を踏み入れていた。彼は、走りながら自分も傷を負っている事に気付いた。体のあちこちが痛み、血が滴り落ちていたのだ。
何処か休める所をと彷徨っている内、意識が朦朧としてきた蓮之助は、たまらず馬から転げ落ちた。
どれくらいの時間が経ったか、蓮之助が目覚めると天井の板目が目に入った。彼はガバッと起き上がり、痛む身体で刀を引き寄せ辺りを伺う。そこは、農家の大きな屋敷のようで、彼は、囲炉裏のある広間の奥の部屋に寝かされていた。
「お侍さん、目が覚めたかね?」
声のする方を見ると、野良着姿の娘が部屋を覗きこんで屈託のない笑顔を見せていた。
「ここは何処だ?」
「庄屋様の家だよ。お侍さん、おらの家の前で倒れていたんだ。十か所も斬られていたんだよ。先生の話だと二、三日は動けねえとさ」
十か所と聞いて、蓮之助は、昨日の騎馬軍団との闘いを思い出していた。彼らも一角の武士。知らぬ間に斬り返されていたのだと、今更ながら気づいたのである。彼の身体には、そこかしこに包帯が巻かれていた。
「薬師まで呼んでくれたのか。かたじけない」
「あまり動くと傷に障るよ。心配いらねえから寝るだ」
蓮之助は、娘の介添えを受けて身体を横たえ、再び眠りについた。夕方近くに目を覚ますと、主が帰っていた。
「目が覚めましたか。馬は、裏に隠してありますので心配いりません。何日でも御逗留下され」
笑顔を見せる年配の主は、起き上がろうとする蓮之助を制して、枕元にやって来た。
「お主、儂のことを知っているのか?」
「柳生様ですね。怪我が治るまで、匿わさせて頂きます。手前、庄屋の彦左衛門にございます」
全てを知った上で、面倒を見てくれるという庄屋の目は優しく澄んでいた。蓮之助は、この人は信用できると直感的に感じ、頭を垂れた。
「かたじけない。お主に命を預けよう」
蓮之助は、七日ほどで動けるようになると、彦左衛門に付いて野良仕事を手伝ったりして、身体の回復に努めていた。
そんなある夜の事、武士の親子が、一夜の宿をと訪れたのである。
「ささ、どうぞ。こんなむさ苦しい所でよろしければお泊り下され」
彦左衛門は、二人にすすぎを与え板間に上げた。
「拙者、島崎右近と申す。これは、娘の華にござる。世話になります」
右近は、四十過ぎの温厚そうな武士だったが、どこか落ち着かない風に蓮之助には見えた。まだ幼さが残るその娘も、蓮之助と目が合うと、仇でも見るようにキッと睨んで目を離さなかった。
「気の強い娘御ですな」
蓮之助が、右近に笑いかけた。
「申し訳ござらん。もうじき十六になろうというのに、三度の飯より剣の稽古が好きだという、じゃじゃ馬でござる。お手前は?」
「柳生蓮之助と申します」
彼は、正直そうな右近に、本名を名乗った。
「柳生? あの新陰流の……」
「左様。だが、今は一介の浪人です。先般、藩主の倅を叩き斬って、刺客に追われる日々でござる」
「なんと! そこもとが、あの蓮之助殿か……」
右近は、驚いたように蓮之助を見た。
「やれやれ、どうやら世間では、この蓮之助を知らん者はいないようですな。島崎殿はどちらへ行かれるので?」
「故あって、江戸から徳島藩への旅の途中です……」
言葉を濁す右近の様子から、よほどの大事を秘めているなと、蓮之助は察した。
「左様ですか。力になってやりたいが、我が身も危ういので許されよ」
「滅相もございません」
蓮之助は、人の心配をしている場合ではないと、島崎親子のことをそれ以上聞かなかった。
お互いの苦境を知った二人は、意気投合して、その夜は遅くまで語り合った。
次の日の早朝、右近と娘の華は早々と旅立った。
「華殿、肩に力が入りすぎだ。それでは、いざと言う時自在に動けんぞ。息災でな」
華は、ハッとした顔をしてお辞儀をすると、踝を返して、父と二人街道の人となった。
「彦左衛門殿、長らく世話になりもうした。拙者もお暇するとしよう」
「あの二人が気がかりなのですね?」
「……あの娘の必死さが、何やら胸騒ぎを誘うのでな。人の心配をしている場合ではないんだが、性分なのだ」
「ご武運を」
何もかもお見通しの、彦左衛門の笑顔に送られて、蓮之助は久しぶりの旅空を仰いだ。彼は、早足で島崎親子を追ったが、なかなか追いつけなかった。
蓮之助が摂津の国、高槻藩に入った時、旅の親子が何者かに襲われたという噂を耳にした。彼が、その旅人を捕まえて詳細を聞くと、深手を負った二人は薬師の家に担ぎ込まれたことが分かった。
蓮之助は、急いで薬師の家に駆け込んだが、右近は既に息を引き取った後だった。
華は血に染まった着物のまま、父の遺骸の前で放心状態で佇んでいて、蓮之助が話しかけても返事はなかった。
「お手前は、知り合いでござるか?」
近くにいた同心が、蓮之助に近付いて来た。
「先日、宿で知り合いになって意気投合しましてな……。それで、下手人は分かっているのですか?」
「見ていた者によると、十人余りの黒装束の侍達で、八人までがこの二人に斬られました。後の数人は逃げたのですが、仲間の止めを刺していったようです。正体が明かされる事を恐れたのでしょう。
それにしても、あの娘ただ者ではありません。武士を相手に、六人を斬ったようです」
「そうですか、あの歳で人を斬らねばならぬとは不憫なことだ……。娘に怪我は?」
「あれは返り血で、怪我は無いようです」
「それは何より。すまんが、父親を荼毘に付してやりたいのだが」
「手配しましょう」
その日の夕刻近く、右近の遺体は河原で荼毘に付された。
蓮之助には、一夜限りの縁だった右近の笑顔が炎の中に浮かんでいて、この炎は、明日の我が身を焼くかもしれないなどと思うのだった。
残された娘、華は、虚ろな目で燃えたつ炎に照らされていた。




