家康警護②
蓮之助たちが二条城に着くと、家康が満面の笑みで出迎えてくれた。齢七十を越えて、その風貌に老いは感じられたが、徳川の万代の礎を築く為、長年の憂いだった豊臣との決着を付けるまではと、その気迫は衰えていなかった。
「蓮之助、華、よう来てくれた。お前達が来てくれれば百人力じゃ。この度の合戦は是が非でも勝たねばならん。頼りにしておるぞ」
「家康様、此度の戦は、数の上でも兵の士気にしても、徳川の勝ちは揺るぎませぬ。それ故、彼らが家康様の命を狙いに来るは必定、くれぐれもご用心なされませ。本日より、妻の華が警護に付かせて頂きます」
傍に控えていた華が、静に頭を下げた。
「うむ、華、宜しく頼むぞ。……そうじゃ、そち達も合戦に行くのに鎧は必要じゃろう。動きやすい軽めの物を作らせよう」
華の出で立ちは、動きやすく仕立てられた着物だけの軽装だった。家康は、近習の者を呼んで、華たちの意向に沿った鎧を作るよう命じた。
蓮之助と華は、家康と側近達と警護の打ち合わせを半時ばかり行って、用意された部屋に入った。
「家康様も老いられた。だが、あれで合戦に行こうというのだから、豊臣打倒の執念は凄まじいものがある。いや、それだけで生きていると言っても過言ではあるまい」
蓮之助が、感慨深げに言った。
「家康様には、天下人ゆえの御苦労があるのですね」
「うむ、天下泰平の為にも、家康様を何としても護り切らねばならぬ。頼むぞ」
「はい!」
蓮之助夫婦は、家康警護の詳細を煮詰め、万全な体制をとっていった。
その日から、華は家康近くに控えて、警護の任に就いた。夜も、家康の寝所の隣の部屋で、刀を抱いて眠った。そんなある夜の事、
「出会え! 出会え!」
警護の者が叫ぶ声に、華が飛び起きて家康の寝所に入ると、
「華、曲者か!?」
家康は既に起きていた。
「そのように御座います。家康様は此処を動きませぬよう」
華は、共に警護の任に就いている大三郎と福丸に家康の警護を頼み、自分は様子を見て来ると部屋を出て行った。
華が本丸御殿を出ると、庭園で警護の者二十名ほどが、一人の曲者と斬り合っていた。曲者は、黒装束に身を包んだ忍びのようであったが、刀を持たぬのに、打ちかかる警護の者を次々と倒していた。
「気功剣!?」
華が思わず叫ぶと、曲者は、周りの者を薙ぎ倒して近づいて来た。
「下がってください!」
華は警護の者を下がらせ、曲者と対峙した。
目には見えない気功剣と戦うためには、相手の気を捉えなければならない。華は、目を閉じて心眼を開き、相手の気を捉えて戦闘態勢に入った。
相手が動くより早く、華は、目を閉じたまま剣を抜くと、気功神剣で相手の頭巾を吹き飛ばした。すると、曲者の素顔が晒され、白い能面のような女の顔が、月光に照らし出されたのである。
「?女!」
驚きの声が、華の口から洩れる。
曲者は、驚いて後方に飛び退いたが、次の瞬間、反撃に出た曲者の動きが、急激に加速されたかと思うと、その姿が五人に増えた。分身の術である。
華の心眼にもその速さは捉えきれなくて、五本の気功剣が襲ってくるように見える。
更に、曲者が一度に五本の気功剣を操り出すと、分身の効果で二十五本の気功剣となって華を攻め立てた。
華は下がりながらも、相手の気功剣の動きを見極め、二刀の気功神剣でそれらを悉く打ち返した。曲者は分が悪いと悟ったのか、フッと闇の中に姿を消していった。
華は、ふうと息を吐き、本丸御殿の家康のところに戻った。
「申し訳ありません。曲者はくノ一のようでしたが、逃がしてしまいました」
「くノ一がたった一人でこの儂に挑んで来たというのか?」
「はい、かなりの使い手で、私と互角に打ち合いました」
「ほう、華と太刀打ちできる奴がおったとは、世の中は広いの……。まあ良い、放っておいても向こうから又やって来よう。さて、寝直しじゃ、華も休むがよい」
次の日、家康の命で大坂の様子を探りに行っていた蓮之助が帰って来た。
「気功剣を操る猿飛佐助が、女だと?」
「月夜に照らされた顔は、私には女に見えました。佐助は五つの気功剣を一度に操り、分身の術でそれを倍加させることが出来ます。侮れぬ相手かと」
「そいつは厄介だな。次は、戦のどさくさに紛れて、家康様の命を取りに来るかも知れぬ……」
「家康様は、何としても私が護ります!」
華が顔を厳しくして意気を示したが、蓮之助は浮かぬ顔であった。
「華、お前の剣の事で一つ気掛かりがある。それは、お前が子を儲けて家庭を持った事で、心が優しくなりすぎてしまった事だ。言うまでもないが、戦いの中では優しさは時に命取りになる。たとえ力は勝っていても、最後の詰めが甘くなるのだ」
「その事は私も自覚しています。でも、その優しさが出るのは相手を殺す時だけです。人は殺さぬと決めていますので問題はありません」
「……だが、戦場では何が起きるか分からぬ。実力が拮抗している者が相手なら猶更だ。油断は禁物ぞ」
「肝に銘じます」
蓮之助の苦言は、愛する華をどんなことがあっても死なせないとの、強い思いから出たものだった。華は、心から心配してくれる夫の気遣いが嬉しかった。
時は満ちて、いよいよ大坂へ出陣の時が来た。五月五日、徳川軍の本体八万は、京を発って奈良から大坂城を目指した。
五月六日には、道明寺で伊達政宗らが豊臣軍と交戦し、これを打ち破ると、五月七日には、天王寺・岡山にて最終決戦が行われた。
家康は、兵一万五千と共に、後方に本陣を置いて指揮を取った。
蓮之助と華は、鉄の兜に胴丸、すね当て、籠手など、動きやすさを重視した特別製の鎧を身に着けて、家康の傍で警護の任に就いていた。特に、朱一色の華の鎧は人目を引いた。
その頃、真田幸村と毛利の豊臣軍は、徳川軍の隙を突いて、家康の本陣目指して疾走していた。
その先頭には、鬼人のごとく気功剣を振りかざした猿飛佐助が、徳川軍を薙ぎ倒して突破口を開いていたのだ。
「ご、御注進! 真田軍の奇襲にござるーッ!!」
矢を受けながらも、伝令の役目を果たした兵士がそのまま事切れると、時を置かずして、真田軍が家康の本陣に雪崩れ込んで来た。
「家康様を駕籠へ! 警護兵は駕籠を囲め! 華、家康様を頼んだぞ!」
蓮之助はそう叫ぶと、真田軍の勢いに逃げ出そうとする徳川軍を鼓舞しながら、真田軍のど真ん中へと斬り込んでいった。




