最後の風魔①
『これで終わりだと思うな!』神太郎の断末魔の叫びが気になっていた蓮之助は、徳川軍の本陣に戻るなり、総大将である井伊直政を訪ねた。
「蓮之助、華。秀忠様も無事に戻られた。皆、そなたたちのお陰じゃ、礼の言葉もない」
左手を負傷している蓮之助と、両目に包帯をした華の様子から、戦いの激しさを知った井伊直政は、秀忠救出の立役者である彼らに深々と頭を下げた。
「伊賀の衆や、徳川軍の応援があったればこそです。此方こそ助けられました」
井伊直政の礼に、蓮之助も謙虚で答えた。
「それで、火急の用とは?」
直政は、将軍秀忠の件が落着したはずなのにと、怪訝な顔を蓮之助に向けた。蓮之助は、神太郎の最後の言葉を伝えて、更に続けた。
「これは私の勘なのですが、神太郎の命を受けた風魔の残党が、駿府に向かっているかも知れないのです」
「何じゃと! 風魔の残党が大御所様を狙っていると申すのか?!」
直政の顔からサッと血の気が引いた。
「はい、神太郎が最後に狙うとすれば大御所様しかいません。取りあえず、我ら四人で駿府に向かいます故、伝令の為に各宿場に配置された、馬を借して頂きたいのです」
「分かった、お前の勘を信じよう。だが、その身体で大丈夫なのか?」
顔を曇らせる直政の耳に、蓮之助の気迫の声が響いた。
「心配は要りませぬ。この身体で風魔と戦いました。まだまだ戦えます!」
「……相分かった。これ、蓮之助たちに早馬の用意じゃ、急げ!」
陣営は俄かに騒がしくなり、暫くして、蓮之助達四人の早馬が駿府に向かった。駿府までは四十里、早馬を乗り継いでも二時半【五時間】はかかる道程だ。
(間に合ってくれ!)
蓮之助たちの乗った馬は、足も折れよと街道を疾走していった。
井伊直政は、意識を取り戻した秀忠を、兵二千に護らせ江戸城へ向かわせた。そして、自分は残りの二千の兵を率いて、蓮之助たちの後を追ったのである。
その頃、家康の住む駿府城の門前に、賑やかな幟を靡かせ、荷車に溢れるほどの荷を積んだ旅の一座が到着していた。
彼らは、『かぶき踊り』で有名な出雲阿国一座であった。辛労続きの家康を慰めようと、側近たちが招いたのである。
「大御所様、『かぶき踊り』の、出雲の阿国一座が参りまして御座います」
家老の酒井忠次が、浮かぬ顔の家康に告げに来た。
「踊りじゃと、秀忠の消息も分からぬ時に、見る気にもなれぬわ!」
家康は吐き捨てるように言って、横を向いた。この時、秀忠奪還の報は、まだ駿府には届いていなかったのだ。
「風魔の里には、あの柳生蓮之助も向かったと聞いております。必ず秀忠様を救い出してくれましょう」
家老の忠次は、何とか家康の機嫌を直したいと、蓮之助の話を持ち出した。家康は、何時も蓮之助の話をすると、機嫌がよかったからだ。
「うむ、そうじゃった。蓮之助たちなら活路を開いてくれよう。彼らなら……」
家康は、蓮之助たちを思って安堵している自分に驚いていた。
「それにしましても、刺客を送り続けた徳川に手を貸してくれるとは。蓮之助という男がよく分かりませぬ」
忠次が、首をひねる。
「お前には、あの男の器量は測れまいのう……。良いか忠次、蓮之助にとっては徳川の事など、どうでもいい事なのじゃ。じゃが、徳川が崩れれば再び戦乱の世に戻り、民の苦しみが始まる事を奴は知っておる。だから今は徳川を護ろうとしているのじゃ。命惜しさに徳川に尻尾を振っているなどと思ったら大間違いぞ!」
家康の鋭い目が、酒井忠次を睨んだ。
「……」
二の丸御殿の大広間前の庭には、踊りの舞台があって、その中央で座長の阿国が、伏して家康の登場を待っていた。
そこへ、家康が不機嫌そうな顔で現れ、阿国に面を上げさせた。
「大御所様、此度はお招き頂きありがとう御座います。不束な舞ですが一生懸命務めさせて頂きます」
阿国の声は緊張の為か少し震えていた。
「うむ、見せてもらおう」
家康の言葉に応えるように、三味と太鼓の囃子が鳴り出すと、右手に扇子、左手に刀を持った阿国が静かに舞い始めた。
一座の者は男が女装、女が男装していて、後ろで、阿国の踊りを盛り立てている。阿国の白い腕が、なまめかしく動き、男達の欲情をそそる。時に優雅に、時に淫らに、時に歌いながら物語を舞っていく――。
その妖艶な舞は見る者を魅了し、不思議世界へと引き込んでいった。
最後の三味が掻き鳴らされ、阿国が膝をつくと、家康は我に返った。
「阿国とやら、見事な舞じゃ。さすがは天下に名を轟かすだけの事はある。大儀!」
家康が、立とうとしたその時、舞台の中央で伏していた阿国の姿が、陽炎のように揺れたかと思うと、真っ黒な鋼鉄の鎧を纏った怪人へと姿を変えた。背丈は六尺、般若の仮面の兜を被った怪人は、左手に機関銃のようなものを持っていて、背中には大きな容器を背負っていた。
「「何奴!!」」
突然現れた異様な鋼鉄の怪人に、阿国一座の者は悲鳴を上げて逃げ去り、家康の周りを固めていた侍達が、刀の柄に手を添えて立ち上がった。




