刺客万来①
夏が過ぎて秋となり、山の紅葉の赤がくすんで、冬の気配が感じられるようになった頃、一人の女武芸者が、蓮之助の小屋の前に立った。
「蓮之助は居ますか?」
蓮之助の名を親し気に呼ぶ美しい女剣士を、戸口に出た華が訝しそうに見つめた。
「貴方様は?」
「柳生茜と申します」
柳生と聞いて、華は一礼して彼女を招き入れた。
「蓮之助様、柳生茜様がおいでになりました」
華の声に、蓮之助が奥の部屋から姿を現した。
「おお、姉上! 久しぶりでござるな。こんな所まで何事です?」
思いもよらぬ客に、彼は目を丸くして迎えた。
茜は、三十路前の蓮之助の従姉で、共に石舟斎から剣を学んだ仲である。彼女は、今も嫁には行かず剣一筋に生きている、柳生一門の中でも一目置かれた存在だった。
「おじじ様はご壮健ですか?」
蓮之助が、石舟斎の顔を思い浮かべながら、懐かしげに訊いた。
「……蓮之助、おじじ様は、先月お亡くなりになったのです」
茜が顔を伏せて言った。
「亡くなった!? おじじ様が?」
固まった蓮之助の顔に、絶望の色が浮かんだ。
「二月ほど前から臥せっておいででしたが、先月、宗矩様に後事を託され、眠るように逝かれました。最後まで、あなたの事を気にかけておられましたよ」
「……一年前に柳生の里で別れた時、今生の別れになろうと仰っていたが、まさか、このように早く来ようとは……。徳川の刺客を蹴散らして、元気な姿を見せようと思っていたのに無念です。ううっ……」
蓮之助は、親代わりであり、剣の師でもあった石舟斎の慈顔が目に浮かぶと、男泣きに泣きだした。傍で華も目頭を押さえていた。彼女は石舟斎の顔さえ知らなかったが、蓮之助が、父とも慕う石舟斎のことを、よく話してくれていたのだ。石舟斎のことを語る蓮之助は、何時も嬉しそうだった。
「……貴方に、おじじ様からの遺言を言付かって参りました」
茜は、懐より一通の書状を取り出して、蓮之助に手渡した。蓮之助が、涙をぬぐいながらその書状を開いてみると、墨痕鮮やかな、懐かしい石舟斎の文字が躍っていた。
「こ、これは!」
蓮之助が書状を見て驚き、再び滂沱の涙が溢れだすのを見て、茜と華が彼の顔を見つめた。暫くして、蓮之助が顔を上げた。
「私が返した柳生新陰流の免許と、破門の赦免状です。私に生きよと仰ってくれているのです」
「これで天下に、堂々と柳生蓮之助と名乗れるのですね。よかった……」
華が袂で顔を覆うと、蓮之助が彼女の肩に優しく手を置いた。
石舟斎は、誰もが認める当代随一の剣豪だった。彼は、家康の剣の師となり、将軍家兵法指南役にと請われたが辞退し、息子の宗矩を推挙して柳生家の繁栄の礎を築いたのである。享年八十才であった。
暫く石舟斎を偲んで、沈黙が流れた。
「貴女も、剣が出来るようですね。蓮之助の弟子なのですか?」
茜が華に語り掛けた。
「はい、……」
華は、何か言おうとしたがそのまま口をつぐんだ。
「姉上。華は弟子で、我妻です!」
突然、蓮之助から妻と言われた華は、嬉しくて泣きだしそうな顔になっていた。伊賀忍軍との闘いの折、妻だと口づけされてからは、蓮之助が彼女の体に触れることも、夫婦の話をすることも無かったからだ。
「えっ、御免なさい、お若いから奥方とは思えなくて。でも、こんな状況で何故なのです?」
茜が訝しげに尋ねる。刺客に狙われる身で、嫁をとるなどあり得ない話だったからだ。
「話せば長いのですが、彼女は戦友です。剣を取れば、天才的な資質を持っていますし、苦難の道を共に歩む覚悟を決めてくれた、運命の伴侶だと思っています」
「そうなんですか。会った時から私と同じ匂いがしていると思っていました」
茜は、自分より一回りも若い華の顔を、じっと見つめた。
「茜様は、嫁がないのですか?」
茜のことを知らない華の不用意な言葉に、蓮之助があわてて彼女の袖を引いた。
「いいのよ。おじじ様にもよく言われましたが、私は剣に生きて来たから嫁ごうとは思いませんでした。それに、好きでしてる事ですから後悔などありません。華殿、剣士として貴女とお手合わせしたくなりました。是非、お相手を」
「分かりました。拙い剣ですが」
二人は、外に出ると剣を抜いて向き合った。蓮之助が心配そうに見つめる中、茜が正眼の構えに入ると、華は両の刀を交差させ、相手に向かって突き出す構えとなった。
二人はそのままの状態で、互いの太刀筋を予想し、いかに打ち返すかを頭の中でイメージしていた。
一瞬の後、一歩踏み出した茜の剣が、スッと華の喉元を突いて来た。華がそれを左へ躱しながら、両の剣で受けようとした刹那、迫って来ていた茜の剣の切っ先がフッと消えたかと思うと、次の瞬間には、華の脇腹を払って来たのだ。それは、突きと見せて引き、そのまま胴を払う、茜の変則攻撃だった。
「ガッ!」
その攻撃を、辛うじて右の剣で防いだ華が、同時に振り上げていた左の剣を茜の頭に打ち込もうとしたが、瞬時に身体を寄せて来た茜に、その刀の柄先を押さえられてしまった。
二人は、力で押し合っていたが、パッと分かれると、激しい打ち合いが始まった。
剣の速さは、やや華が勝っていたが、鍛え抜かれた身体から打ち下ろされる茜の剣は重く、自在に変化して彼女を追い詰めていった。
「本気を出しなさい!」
茜が一喝すると、押されていた華の眼がキラリと光った。すると、華の剣は命が宿ったように動きが加速され、的確な剣先がググっと茜の剣を圧倒した刹那、彼女の刀は弾かれ、大地に突き刺さっていた。
「参りました! 何という凄まじい剣なんでしょう。でも安心しました。貴方達なら、徳川宗家の刺客を斬り抜けられる気がします。蓮之助、華さんを大事になさい、また会いましょう」
柳生茜は、吹っ切れたような爽やかな表情になって、蓮之助たちに別れを告げ、山を下りて行った。




