気功剣①
江戸城では、家康と跡継ぎである秀忠が、御庭番頭領の服部半蔵などから、蓮之助に放たれた刺客の首尾を聞いていた。
「それで、武蔵と蓮之助の勝負はどうなったのじゃ?」
家康が身を乗り出して、秀忠を扇子で指した。
「はあ、それが、引き分けにございます。一時も打ち合っておりましたが勝負がつかず、後日の対決を約して互いに引いたようです。それは凄まじい試合だったと聞きました」
「うむ、そうであろう。当代の剣豪二人の戦いが見えるようじゃ。次の戦いは余の前で打ち合ってもらいたいものじゃのう」
家康は、嬉しそうに目を細めた。
「それで……、第三の刺客の件ですが、我が伊賀の忍び軍団をもってしても、討ち果たす事が出来ませんでした。誠に面目次第もござりませぬ!」
服部半蔵が、言いにくそうに切り出し、畳に頭を擦り付け、ひれ伏した。
「おお、その事よ。聞けば蝦夷地からヒグマまで運んで襲わせ、闇討ちしたそうではないか。まったく、武士の風上にも置けぬ所業じゃ。これが広まれば徳川宗家は世の物笑いぞ!」
家康は、傍にいる秀忠を鋭い目で睨みつけた。
「も、申し訳ございませぬ。影には影のやり方がござりますれば……」
秀忠は、やや狼狽しながら言い繕った。
「ふん、武士が誇りを捨てたら徳川の行く末も危ういわ。それで蓮之助はどうなったのじゃ」
家康が、その鋭い目を半蔵に向けた。
「クマに背中を裂かれ、深手を負ったそうにございます」
「何! 深手を負いながら、一人で百人の忍びを蹴散らしたと申すか!」
「いえ、それが……、蓮之助の妻と名乗る女子に後れを取りましてございます!」
「伊賀の忍びの手練れを百人も揃えておいて、たった一人の女子に負けたじゃと!?」
流石の家康も、開いた口が塞がらないと言った表情である。
「はっ、しかしながら、その女子はただ者ではありませぬ。蓮之助よりも強いのではと申す者もあるほどで……」
半蔵は、顔を伏せたまま上げる事が出来ない。
「相手が悪かったというしかないか、それで伊賀者は全滅したのか」
「いえ、死んだのは頭領の一人だけで、あとの者は深手を負っているものの、命に別状は無いと聞いております」
「手練れの伊賀者相手に、まだ殺さぬ余裕があったというのか……。それほどの女子を嫁にするとは、蓮之助も運のいい奴よ。ふふ、面白うなって来たの」
家康は、蓮之助に強い伴侶が出来たと聞いて、何故か機嫌を直していた。
家康は蓮之助と初めてあった時、この男は徳川の為、天下の為に何かを成せる男だと直感していた。だから、千尋の谷に突き落として試しているのである。夫婦は一心同体、二人して早く上がってこいと、家康の期待は膨らんだ。
季節が、初夏へと移っていた山には、白地に黄色い筋と赤い斑点の、美しい山百合が蓮之助たちを迎えてくれた。
「いい匂い」
山百合の匂いを嗅いでウットリとしている華は、無邪気で、まだあどけなさがあった。蓮之助は、修羅となった時の彼女との落差を思いながら、華の美しい横顔に見とれていた。
山小屋に着くと、既に小屋は完成していた。それは、以前のものよりも一回り大きく頑丈に作られていて、最後の仕上げを指揮していた徳島藩の侍が、蓮之助を見つけて近寄って来た。
「蓮之助殿、怪我の方はもうよろしいのですか?」
「お陰様で、この通り元気になり申した。徳島藩の方々には、こうして小屋迄建てて頂いて、お礼の申しようもありませぬ。蜂須賀公に良しなにお伝えくだされ」
蓮之助は、深く頭を下げた。
「いえいえ、殿からは出来るだけのことをせよと仰せつかって参りました。藩を救って頂いたことを思えば、これくらい何でもありません、お気遣いは無用です」
藩士は恐縮しながらも、笑顔を残し作業に戻っていった。
やがて、作業が終わった彼らは、蓮之助達から労いの言葉をかけられ山を下りて行った。
「大三郎様達はどうされるのですか?」
華に聞かれた伊賀の大三郎は、小屋の右手にある一回り小さな小屋を指さした。
「暫くここで、ご厄介になるつもりです。今回のような事がまた起こらぬとも限りませんので」
「貴殿たちが、私を護るために来ていたとはな。これからも、宜しく頼みます」
蓮之助が、大三郎と福丸に頭を下げると、二人も恐縮して頭を下げた。
新しい小屋に入ると、右半分は裏戸まで土間が続いていて、右端には大きな水瓶が置いてあり、その奥には洗い場や竃が作られていた。
左半分の手前は囲炉裏を切った広い板間となっており、その奥には仕切られた小さな部屋が作られていた。
本来は二人の寝所のつもりで作ってくれたのだが、蓮之助たちは、客人である日光に使ってもらう事にした。
「日光様、お忙しいのにこんな所まで申し訳ありません。早速ですが、気の技を教えて頂きとうございます」
居住いを正した蓮之助と華が、日光に頭を下げた。
「いいでしょう。気とは、私達の心に備わった根本の力の事です。人は、日々無意識の内に気を使っているのですが、本来の力から見れば、ほんの一部しか使いきれていません。 これからやろうとするのは、この、気の力を開放するための修行です。さすれば、斬れない物が斬れ、動かぬものを動かせるようになるでしょう」
その時、二人の眼がキラリと光った。彼らは、生き延びる為に強くなろうと必死だった。そして、強くなる為の新しい武器を求めていたのである。
「あなた方は剣を取れば既に達人の域にある。そして、最悪の状況下に我が身を置いて全身全霊で活路を開こうとしておられる。その強き心こそ、気の技習得への必須条件なのです。期間は、ひと月としましょう」
日光は、二人を伴って近くの谷川へ下りてゆき、人の背丈ほどもある石の前に立って、華を促した。
「華殿、この石を斬ってください」
「……刀が折れてしまいます」
日光の真意が分からない華が、戸惑いの顔を見せる。
「では、私が斬ってみましょう。刀を貸してください」
日光は、華から刀を受け取り、石の前で構えると、刀に気を込めた。
「エイッ!!」
気合諸共振り下ろされた刀は、硬い石の中に吸い込まれたかと思うと、大石を真っ二つに斬り裂いたのである。
「なんと!!」
蓮之助と華が驚きの声を上げる。
「これが、気です。それが証拠に刀は刃こぼれ一つしていないでしょう」
返された刀の刃先を丹念に調べた華が、「何故?」と、日光を見つめた。
「華殿、貴女はこの修行をしてください。最初から刀を使うと勿体ないので、木剣を使いましょう。気で切るので、刀でなくても切れます」
華は、石の前に立って木剣を持ち、精神を集中して何度も挑戦してみたが、虚しく弾かれるばかりだった。
「まず、気を感じる事です。感じれば、心で動かせます」
華は、来る日も来る日も、谷へやって来ては石を打ち続けた。彼女の両手には包帯が巻かれ、それが血で真っ赤に染まった。木剣が折れて無くなると、山に生えている木を切って、一心不乱に打ち続けたのである。




