第十八話 謀反と和睦
美濃から撤退した法師はそのまま居城である那古野へ逃げ帰っていた。
「吉法師様大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。」
それから三日後、美濃から帰って来た信秀に呼び出された吉法師と法師は評定の間に来ていた。
吉法師はゆっくりと頭を上げ発言した。
「父上お呼びで」
すると信秀は青筋を立てて形相の顔になっていた。
「吉法師!戦場に何故入ってきた!法師が居なければ今頃死んでいたかも知れんのだぞ!政秀!貴様も何故止めなかった!」
「政秀、この場にてお詫び致します。」
「政秀!そちは謝るな!吉法師お前だ!」
評定の間にて叱られていると、小姓が慌てて入ってきた。
「お話の所申し訳ございません。緊急の報告が有ります。」
信秀が続きを促さすと報告に来た小姓は続きを話始めた。
「犬山城主・織田信清様と楽田城主・織田寛貞様がご謀反」
そして報告を終えると小姓は外へ出ていった。
信秀は話を聞くと直ぐに戦支度をするように政秀と近くの小姓に言うと二日後には出陣した。
吉法師と法師は謹慎を言い渡され監視の元暮らしていた。
それから信秀率いる軍勢は野戦にて織田信清、織田寛貞を撃ち破るとまず犬山城を包囲した。
連絡をたった楽田城も包囲した。
そして、織田信清、織田寛貞らは従属という形で城を開城して和平を結んだ。
数ヶ月後に大垣城の奪還の為に攻めよせた斎藤勢と戦闘及び織田信辰救援のため信秀は出陣した。
信秀は前の戦にて斎藤勢に一杯食わされたので、警戒しながら遠回りに木曽川・飛騨川を渡り、斎藤軍の背後を突く為、行動を起こした。
それを察知したのか斎藤勢は反転して稲葉山城へ撤退した。
このときは信秀は織田方の勝利に見えたが、尾張半国の守護代である織田信友に居城古渡城へ攻撃をした。
信秀は慌てて軍を尾張へと返して織田大和守家とも戦争状態に入った。
信秀勢が美濃から出て行くと斎藤勢は大垣城を再度攻撃して落城した。
古渡城をなんとか守りきった信秀は一旦入城して休息を取り、後日報復を仕掛けた。
だが、一進一退を繰り広げそろそろ和睦ということで政秀に和睦の使者となり信友側の家老などに接触して和睦交渉するも難航し、一年あまりにもかかり双方納得のできる和睦案になったため和平を結んだ。
吉法師が元服し信長と名乗り尾張統一するまで信友ら率いる清洲衆、信清ら率いる犬山衆など戦いを繰り広げるのであった。
~謹慎中と謹慎後の後日談~
謹慎が解けた吉法師はいままでの動いていなかった為、毎朝晩遠駆けなどの馬術、武術、水泳などをして現代で言うところのイケメン細マッチになっていた。
法師は吉法師に付いていた為、体力が付いたがやはり運動は苦手な為、勉学にも励んでいた。




