おふざけも大概に(ある養護教員の例)
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廊下にもところどころに物が置いてある。それは消火器が入っている箱だったり、今日の入学式のために簡易的に作られた場所を説明する置物だったりだ。そういった置いてあるものを隈なく確認していく。梅本ならこういうところに仕掛けそうだな、なんていやになることを考えながら、先に進む。
あいつは教室くらいしか仕掛けをしないと言っていたが、あれは嘘だ。いや、厳密に言えば嘘ではないが、少し、語弊がある。
教室に仕掛けることが多いが、追い打ちのために廊下に仕掛けていることも多々ある。
教室で仕掛け、パニックになりながら外に出てちょうど慌てている、パニックになっているところ、追い討ちをかけるように狙いすましたように廊下の仕掛けを発動させる。
だからこそ、廊下の仕掛けがないわけではないのだ。ただ、発動させる確率が少ないというそれだけの事。
では、なぜこれほどまでに俺が探すことに躍起になっているのか。単純だ。
俺がこの仕掛けに何度も泡を食う羽目になったから、個人的にうらみがある。それだけの事なのだ。竹本自身は忘れているのか、のんきなのか。それとも今までのそれに気づいていないのか。気にしている素振りが一切見られないが、何を考えているのやら。
前を歩く新入生の何人かと目が合った気がする。何人かはこちらをちらちらと見ているようだ。どうやら俺たちの悪名は中学部のほうにも通じているようだ。そんな怖い先輩を見るような目で見ないで、さすがの俺も精神的にくるものがあるから。心の中でつぶやきながら進む。
いくつかの施設を経て、馴染み深くも結構やらかした思い出がいっぱいの場所に着いた。
「さて、次は保健室です。ここは、まあ、皆さん分かりますよね。一応説明すると、体調不良の際にここを利用していただくことになっています。えっと、あ、そうだ。大切なことなので、聞いてくださいね。授業中や体調不良でここを利用したいときは一人でここまで来ないでください。絶対に保健委員もしくは、友達と一緒に来てくださいね。この学校ではないのですが、途中で倒れて、容体が急変したということがあるそうなのでよろしくお願いしますね」
一番前にいた、野球部の坊主頭はそんなことをすらすらと言う。確かに去年の今頃、俺たちも同じような説明を受けたのだが、すっかり忘れていた。大した記憶力だ。俺ならば、そんなことを覚えていられない。運動部の連中は心当たりがあるのか、うんうんと頷いている。
どうやら運動部の中では、共通の理解のあることらしい。
「へえ、そうなんだ」と新入生組の誰かがつぶやいた。
「遼は知ってたか?」ぽかんとした顔をしている遼に尋ねる。
「いや、あっ、去年そんなこと言われてたな。いま思い出した」
どうやら、こいつも俺と同様、今の今まで忘れていたようだ。
「それじゃあ、一応、保健室の先生に声かけておきますね。新入生の皆さん、覚えておいてください」
そう言いながら、坊主頭と一緒に先頭にいて説明を行っていた小柄な少年は保健室のドアを開けようと、取手に手を触れる。
触れて、開けようとする。
開けようとするが、開かない。
「え?」
保健室には在室しているという札が掛かっている。
次に、坊主頭が開けようと試みる。開かない。もう少し力を入れてみる。びくともしない。
「あれ?」
どうやら、保健室が開かないという事態のようだ。いつもならば何の抵抗もなく開くはずの場所が開かない。新入生のほうも、ざわつき始めた。保健室のドアに貼ってあるホワイトボードには在室の二文字。
「俺がやる。ちょっと待ってろ」
俺はそう言って、ポケットに入れていたカギを取り出す。会長と副会長に一応持って行けということで、マスターキーを借りていた。
備えあれば憂いなしというが、ここまで想定していたのであれば、凄いという言葉以外出てこない。
「うーし、開いた」
鍵穴にいれて、ガチャガチャといじると、ほんの数秒で開いた。
「えっと、それじゃあ、一応確認ということで、開けてみます」
俺は嫌な予感がしながら、保健室のドアに手をかける。横滑り式のそのドアはギイイと
普段ならばあげない音とともに開く。
開いた瞬間に中の様子が見えるはずなのだが、カーテンで仕切られているのか中が見え
ない。
「ちょっと待ってて。なんか変だから、俺が確認する」
どうも嫌な予感は当たりのようだ。それも大当たりのようだ。
新入生の中でも、附属から上がってきた生徒は察しがついたのか、「マジか」なんて声が
上がっている。
そうですよ。どうやら、その「マジか」が大当たりみたいですよ。
口にはしないが、心の内でそうつぶやく。まだあたふたしているのは、高校からの入学生組だろう。それが正しい反応です。だけどこれに慣れないと大変ですよとは口が裂けても言えない。俺自身がその慣れない変な状況を引き起こす一翼を担っているらしいから。
「ホント、いい加減にしろ!」
仕切ってあるカーテンを開けると、そこには大きな何かがありました。
暗闇の中からカーテンを開け放ったためかそれとも何かの仕掛けなのか光が直接目に入る。眩しさに目を細めたために何がそこにあったのか分からなかった。そして、俺が近すぎたために何がそこにあるのかはっきりと分からなかった。
その大きな何かは、俺に倒れ掛かってくる。
「うお、なんだこれ」
ゴムのような感触のそれは俺の身長より少しばかり大きい。ちょうど頭の隣辺りにくぼみがある。それが俺の肩の上に乗るような形になっている。どっかで見覚えがあるそれ。
「きゃああああああああああ」
それを見たせいか、俺が倒れてしまったからなのか。新入生の女子の誰かが叫び声をあげる。
うーん、たぶん梅本の予想通り結果になっているのだろう。今頃どこかで見ていて笑っているのだろう。想像すると少しばかりイラっと来た。
目が慣れてきたため改めてそれを見下ろす。見下ろすと言っても自分の上に横たわっているそれを見るだけ。そしてよけるだけなのだが。俺に倒れてきたそれは、保健室ならば絶対にあるそれ。
まあ、簡単に言うと人体模型君だ。うん、人体模型君。裸に内臓丸見えの恐怖対象物。
よく怪談では全力疾走で追いかけてくることで有名な彼だ。
それも随分とおめかしをしているようだ。前面のみを加工するならば、分かるがどうやら背中の部分まで血のりが付いている。乾いているだけありがたい。制服には一切ついていないようだ。それにしてもずいぶんと手が込んでいるようだ。梅本の本気具合、いや、ふざけ具合がよくわかる。顔にもLEDライトが付いてあるあたり恐怖を増幅させようといろいろと仕掛けたのだろう。
人体模型君を壊さないように体の上からどける。
改めて保健室の中を見回すが、カーテンで仕切ったくらいで特に何も変わったところはない。
「ヤッホー!お疲れ様」
ノリの軽い養護教諭がのんびりとしていた。まだ暗い保健室の奥でくつろいでいた。手元はどうやら手元灯で明るくしているようだ。手元にカップがあるのが見える。
「いやあ、うまくひっかかってくれたね。見ていて面白かったよ。うん、やっぱり梅本君と組むと面白いね」
白衣に長い髪をポニーテールのように束ねたそいつは足を組み直す。大人の女性のフェロモンってやつがムンムンとよく人は言うが、俺自身はこいつからは一切何も感じない。
顔が整っているのは認めるし、スタイルが良いのも認める。だが、こいつに関しては何と言うか絶対的に不足しているものがあるようにしか思えない。
パンツスーツを履いたそいつは、気分がいいのか鼻歌を歌いながら、カップに入っている紅茶を飲みながら、ティータイムを楽しんでいる。ずいぶんと優雅な放課後ティータイムだな。
「おっと、そっちにいるのは新入生の皆さんかな。はじめましての人もいるだろう。養護教諭としてこの学校で務めているものだ。以後お見知りおきを」
優雅に、本当に優雅に、まるでどこかの令嬢のような振る舞い。その癖、喋り方がどこかの劇団のように仰々しい。
新入生の複数人は「わあ」と声をあげている。その複数人はたぶん高校からの入学組だけだろう。
その証拠に共に来ている運動部軍団は顔を引きつらせている。
曰く苦笑い。失笑。中途半端に笑うしかない。その顔は中学から上がってきたメンバーにも伝染している。
同じ学校にいれば、彼女のことは分かっているだろう。
相当のぶっ飛んでる枠に入るということが。それも梅本とか俺たちとかと同類のという意味で。
立ち上がりながら、先生に近づく。同時に暗さの原因になっているカーテンやらなんやらも開ける。いたずらの仕込みは梅本君の大好きな人体模型君だけのようだ。
「えっと、先生?これはどうゆうことですかね?何で人体模型君がハロウィン仕様よろしくこんなに真っ赤っかなんですか?」
「あれえ? ちょっと顔が引きつってるよ。笑顔笑顔いつもの笑顔は?あれ?もしかして怒ってる?」
ふざけ半分でその養護教諭は俺に聞いてくる。
「もしかしなくてもかなりイラってきてますね。はい。先生が相当におバカであることを再確認しているところです」
「いつもだったら笑って許してくれるじゃない。今日はどうしたの。そんなに怒らせるようなことしちゃった?」
「いつももそんな風に許した記憶はないですがね。そうですね。ひとまず今日が何の日か分かってますよね?」
「入学式でしょ。そして今は新入生に学校案内しているところ。そんなの分かってるに決まってるじゃない」
自信ありげに豊満なその胸を張る。一部女子とほとんどの男子の目がそこに向かっているんだろうなと推測して後ろを振り向くとどうやら推測は当たっていたようだ。一部女子は視線を逸らして現実逃避していたり、手を自らのそれに向けていた。大丈夫、君たちにも希望は残っているから。それに貧乳の希少価値だから。
さて、視線をふんぞり返っているバカに戻すとしてと。
「いや、その学校案内で、何でこんな大掛かりなことをしたんですか?一切意図が見えないですが」
笑顔はやめないですよ。ええ、あまりにイラってきているからってそんな簡単に顔に出すわけないじゃないですか。
「ほら、ファーストコンタクトって大事じゃない。特に私なんて関わらない人は三年間ずっと関わらないことになっちゃうし。この際憶えてもらえたらなって」
どうやら、意図はあったらしいが、そのファーストコンタクトは失敗しているのではないですかね。ほら後ろからくる視線がどんどん冷めたものになっていくのを背中で感じていますし。先ほどまでの、ほんの数分前までまとっていた優雅さが今では優雅(笑)になっているのではないでしょうか。理由を口にするその言葉は、徐々に小さくなっていく。
先ほどまでの強気な姿勢はどこに行ったのでしょうかね。
なんということでしょう。あれほど優雅さを保っていたあの養護教諭は、今では見る影もないほどのおバカな弱気キャラに。
劇的ビフォーアフターですね。そうですね。
「あなたは馬鹿ですか。学校案内で梅本のバカがやらかさないかで気を張っている中、こんなことに、それも梅本のバカに手を貸しちゃうくらいのバカなんですか。それも優雅さを保とうとして、優雅にしてたけど、気が付いたらメッキが剥がれてバカっていうか残念養護教諭丸出しですか」
喋っている途中から彼女の眼尻に何か光るものが見えますが、汗ですよね。青春の汗ですね、断定です。冷や汗か何か。その程度でやめるつもりはありません。
「せっかくの学校案内の初っ端から残念キャラと相まみえるですか。これは面白いですね。新聞部になんか売り込んだらもっと面白そうですけど」
「ふぇ」
動物の鳴き声のような声を出しながら、涙になる二十代女性がそこにはおりました。優雅さとか令嬢っぽいとか妖艶とかそんな雰囲気は一切感じられません。まさに皆無。おいおい二十代。高校生に泣かされるなよ。よよよとか言いながら泣きまねくらいの腹芸憶えておけよ。
「えっと先輩、さすがに言い過ぎでは」
泣き出しそうになっている養護教諭(優雅笑)を見るに見かねてか新入生のというか、林田が割り込んできた。一緒にいたはずの竹本は後ろで苦笑いを浮かべている。苦笑いが何を示しているかは分からない。あいつのことだ。林田に説明よろしくとか、あとは任せたとかそんなことだろう。あとは、なんだろうな。また、あのバカな教諭が俺に絞られてるよって感じか。あいつが言いそうなことか、案外思いつかないな。
「ああ、林田は今まであんまり関わりなかったっけか。この先生とはよく一緒になってバカをやらかしてるからね。例えば、去年の焚火事件とか。これぐらい言わないと反省しないことも織り込み済み」
適当理論ではあるが、これで一応は納得してくれ……ていなかったようですね。
「焚火ってあれも先輩たちだったんですね」と呟くと呆れた風な表情を見せる。あれ?話してなかったっけ?
俺を見る目は、呆れも入っているのか怪しげな何かを見る目に変わる。
なんだよ。
怪しげな何かって。怪しげで何なのかわかってないのかよ。そりゃそんな闇鍋を覗くような顔になるよ。やったことあるけど、顔は見えなかったけど。そんなもんだろって顔だよ。
そんな顔をしている奴は無視して、なんかキャラが崩壊し始めている養護教諭を見る。毎度毎度のことなのでなんか慣れてきたな。ほら、後ろのメンバーっていうか、二年生
組の顔が引きつっておりますよ。あいつらにしてみても見慣れているからか、その顔は苦
笑いだったり、引きつったりしているけど。
さて、ここらで話をつけときますか。
「それで、先生。梅本がどこ行ったとか分かりますか?」
座ったまんまの先生の前にしゃがみ込む。相手が大人でなければ、小学生の子供を相手にしているようだ。気分は幼稚園の先生。せんせーこれ分かりませーん。はーい、ちょっと待ってね。それはさすがに幼稚すぎるか。
「え、っと。分からないわ。ほんと彼って神出鬼没よね」
予想通り過ぎる答えに溜息しか出ない。どこに向かったのかすら、足跡すら分からないっていうのは、もうなんかの特殊能力だろ。もうスパイなのかあいつ。
「はあ、分かりましたよ、分かりました。それと今回の事、一応校長に伝えておきますね。梅本とバカやってたって」
「エ?」
立ち上がった俺を下からの目線で見上げてくる。起動停止したロボットのようだ。かくかくと振動しながらぎこちなく俺の目とちょうど彼女の目があった。かくかくとした動きのあとは細かく震え始めた。どうしたのかな?
「それじゃあ、こってり絞られて雑巾みたいになってきてくださいね」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやちょっと待て、待ってよ」
「え、でも。さすがにこれは俺としてもなんとも言えないですよ。それも大の大人の悪ふざけが過ぎるのはねえ。責任取って怒られるのは筋じゃないですかね」
「そんな、お慈悲をこの私にお慈悲を」
「いやいや、お慈悲も何も悪いことをしたら怒られるのが筋じゃないですか」
「そ、そんな」
若干高校二年生の男の足に縋りつき、「それだけは、それだけはご勘弁を」と半泣きで懇願する二十代がそこにはいた。というかその光景を作り出した関係者。というか当事者です。ホント何やってんだか。
「ついでにあの人体模型君を洗うのは手伝いませんからね」
去り際に笑顔でそう言うと、先生は止まった。まるでスイッチがオフになったロボットみたいですね。ロボットよりも携帯電話と言った方がいいかもしれない。完全に電池切れしたみたいにうなだれている。