雨に濡れる日もあるさ
土砂降りの新宿の街を僕は傘をささずに歩いていた。
別に濡れて困るものなど持っていない。
会社に辞表を提出して飛び出してきた僕は、肩書きや責任から解放された。
空っぽの僕に降りそそぐ、雨・雨・雨。
僕は中央線に乗って、国立の彼女の家に向かった。
国立駅から徒歩5分。閑静な住宅街にあるアパートの3階に彼女の部屋がある。チャイムを鳴らすと、部屋着のTシャツを来た彼女がドアを開けた。
「ちょっと、吉野くん?どうしたの、びしょ濡れじゃない?」と、彼女は目を丸くした。
「村上さん、ごめん。少しだけ、休ませて欲しいんだ」
「いいよ。おいで。あっ、服はびしょ濡れだから、そこで脱いで。私のTシャツ貸すから、ちょっと待ってね」
彼女は、僕にバスタオルと着替えを持ってきてくれた。僕は、無言でそれを受け取ると、バスタオルで身体を拭き、彼女のTシャツに着替えた。Tシャツは少しサイズが小さかった。
「はい、ココア。あったまるよ」
彼女はそう言うと、スターウォーズのマグカップにいっぱいのココアを出してくれた。
一口すすると身体が温まった。
二口すすると心が温まった。
彼女は何も言わずに僕の隣に座り、読みかけの文庫本をめくっている。
「あのさ」と、僕は言う。「さっき、会社を辞めてきたんだ」
「そうだったんだ。じゃあ、しばらく自由だね」彼女はこともなげにそう言った。
「理由とか、聞かないんだ。これからどうするのとか」僕はココアをすすりながら呟いた。
「聞いて欲しかったの?」彼女は猫のような大きな目を僕に向けた。
「いや」と、僕は首を横に振る。「聞いて欲しくなかった。ただ、そうやって僕のそばにいて欲しかった」
彼女はにこりと微笑み、僕の肩をぽんと叩いた。
「わたしは吉野くんのそばにいるよ。きっと、これからもずっと」
彼女の笑顔は、春先の淡い日向のようだった。
「ありがとう。僕は村上さんがいるだけで、なんとか生きていけそうな気がするよ」そう言う僕の声はみっともないくらいに震えていて、気付けば、僕は泣いていた。涙を流すのは何年ぶりだろう。
「雨に濡れる日もあるさ」
村上さんはそう言うと、静かに文庫本の続きを読み始めた。
ふと、窓の外に目をやった。
雨はまだ降り止まない。