後編
4000字程度です。
「む、む、無理だよ! サラと、ね、寝るだなんて!」
「無理も糞も、そうするしかないじゃないか。このままいけば、どちらにせよ君は地球に送り返されるだけだ。それでいいのか? やすやすとそうなるくらいなら、彼女を篭絡するしかないんだ。そしたら、ついでに君は童貞を捨てることができるじゃないか。一石二鳥だ」
ついでに宇宙空間でのおっぱいがどういったものなのか、一つ感想を聞くこともできるし。一石三鳥だ。
「サ、サラは無理だよ!」
「どうして無理なんだ?」
「む、む、無理なものは無理なんだ! 彼女はと、とても厳しいし、それに……」
「それに?」
「ぼ、僕のタイプじゃない!」
フィリップは顔を赤らめて言った。
俺はフィリップの肩に手を置き、ため息をついた。
「フィリップ……」
「サラは確かに美人だけど、僕より一回りは年上だし、肌は浅黒くて、なんというか、ご、ごつい。ぼ、僕はお淑やかな人が好みなんだ! 体つきも細い方がいいし、なにより、ジャ、ジャズの話ができないと!」
「フィリップ!」
「ひいっ」
俺は彼のぶよぶよとした頬を掴み、強引に目を合わせた。
「いいか、フィリップ。君のそういうところが問題なんだ」
「な、な、な」
「そうやって、ぶよぶよと浮かんでいたら、どこかから可愛い女の子が飛んでくるとでも思っているのか? 違うだろう? 君が行動しないから、君は童貞なんだ。だいたい、君は選ぶことができる立場か? 君は選んでもらう側の人間だろ? そのための努力もしないで、偉そうな口を聞くんじゃない」
「で、で、でも」
「でももだってもないんだ。いいか? 君は窮地に立っているんだ。女性を口説いて、それを成功させなければ君は死ぬんだ」
俺が死という言葉を持ち出すと、フィリップは体を硬直させた。まるで体中の脂肪が蝋に変わってしまったかのように。
「やるか、やらないかじゃないんだ。いかにうまくやるか。それだけを考えるんだ。できるな?」
「……」
「できるな⁉」
「あ、ああ!」
「よし、作戦を練るぞ」
もうどうにでもなれ、と言う顔でフィリップは叫んだ。
☟☟☟
次の日の夕食時、俺は一人で食事を貰うための列に並んでいた。
いつもの食事係の女の子が俺に気が付き、ため息をついた。
「やあ」
「……どうも」
「例の件、考えてくれた?」
俺が訊ねると、彼女は顎でメニュー表を示した。
『チキン南蛮風 コンソメスープ風 シーザーサラダ風』とメニューには書かれてある。
俺は驚いて彼女を見た。以前までなら、『風』などという曖昧な表現は存在しなかった。多彩な色合のゲルは、どこまでも独裁的に料理の名前を冠していたのだ。
「誰かさんがあんまりにもうるさいからね」
「素晴らしい。だけど、ゲルが足りない」
「そんなこと書いたら食欲がなくなるでしょ」
彼女は微笑みながら言った。
俺はトレーを受け取りながら礼を言って、空いている席に着いた。そして、サラを観察した。
しっかりと見るのは初めてのことだったが、確かに、フィリップの理想からは程遠いことはすぐにわかった。
浅黒い肌に、タンクトップと迷彩柄のミリタリーズボンを着ている。少しパサついた髪は後ろで一つに纏められている。四肢には確かな筋肉がついていて、かなりしっかりと鍛えられているのがわかる。
化粧っ気が全くないにも関わらず、彼女は美人と形容してもなんら問題ない見た目をしていた。加齢による皺の出現自体はあるものの、逆に言えば、それくらいしか彼女の年齢を示唆する特徴は見受けられなかった。
彼女は一人で食事を摂っていた。殺人的なまでに混雑している食堂にもかかわらず、彼女の周囲にはたっぷりとスペースがあった。
彼女は特にそれを気にするようでもなく、黙々と食事をしていた。
そこに、彼は現れた。
彼は遠くから見ると、意地の悪い芸術家の拵えた不格好なオブジェのようだった。
フィリップがサラに声を掛けると、一瞬、周囲の喧騒が静まった。
サラは宇宙人を見たかのように目を見開いていたが、すぐに元の固い表情に戻り、肯いた。
フィリップは彼女の正面に座った。彼は二言三言彼女に話しかけた。悪くない感じだった。気負っている感じでも無く、気さくに世間話を振っている。
しかしサラの方はと言うと、明らかに気のない様子で、ごく短い返事をし、さっさと立ち上がって行ってしまった。
「や、や、やっぱり無理だよ、リョージ! 僕にはこれ以上は無理だ。彼女の反応を見たろ?まるで、宇宙人を見つけたみたいだった。それにみ、み、みんな僕らの方を見てた。僕が、サラを狙ってるって、気付いたに違いない」
部屋に戻るなり、フィリップは涎と一緒に弱音を吐いた。
「それの何が問題なんだ? 事実、お前はサラを狙ってるんだぜ?」
「でも、でも――」
「でもはなしだ。明日からも頑張ろう」
俺はフィリップを丸め込み、それ以上苦情を受け付けないためにも布団に丸まって眠った。
翌日からもフィリップは毎食サラと共に食事を行った。
サラは一貫して冷たい態度だった。フィリップは何度も挫けそうになったが、それでも辞めることはしなかった。
変化が生じたのは、四日目のことだった。
サラがフィリップの世間話に応じ、それなりに長時間話し込むことができたのだ。
「彼女も、さ、サンフランシスコの出身だった。僕と同じハイスクールに通っていた。だ、だから話が盛り上がった」
「なるほど」
「か、彼女の父親はトラック運転手だったが、早くに亡くなった。彼女の母親はドラッグストアでレジを打ってる。彼女はずっと地球と宇宙とを往復して、実家にお金を入れ続けているらしい」
フィリップが得意げに戦果を報告している間、俺はメニュー表について考えていた。メニューには『風』がついていた。彼女はゲルが付くことはないと言ったが、しかし明日には考えが変わっているかもしれない。そしてその変化は、俺と彼女の関係の変化そのものだと、俺は確信していた。
「リョージ、き、聞いているか?」
「もちろん」
俺は肯き、計画を最終段階へと移すことを告げた。
「今日、サラの部屋に行く約束を取り付けるんだ」
「ど、どうやって?」
「試験のことで相談があるって言えばいいだろう。業務が終ったら、部屋を窺っていいですかと訊ねるんだ。なるだけ深刻そうにな」
「わ、わ、わかった。そ、その後は?」
「これの力を借りる」
俺は自分のベッドの下から、小型のウィスキーボトルを取り出した。フィリップは驚いて言った。
「お、お酒かい? 宇宙船への酒の持ち込みは禁止されているはずだ。み、み、見つかれば――」
「細かいことをきにするんじゃない。とにかく、彼女にこれを飲ませる、そして後は成り行きに任せるんだ」
「か、か、彼女が飲むかい? これを?」
「飲むさ」
「ど、ど、どうして、断言できるんだ?」
俺は手元のタブレットに目を落とした。
彼女が飲まなかったら?
君の人生が終わるだけだ。そう言っても良かったが、いちいち水を差す必要もない気がしたので黙っていた。
フィリップはまだ疑問が潰えたわけではなさそうだったが、しかし腹を決めたようで、今度はそのウィスキーの瓶を抱えてぶよぶよと浮かんでいた。
☟☟☟
「じゃ、じゃあ……行ってくるよ」
「ああ」
フィリップはドアの前に立ち、俺に向かってそう宣言した。
彼は上手い事やった。たっぷりと意味ありげな様子で、彼女に二人きりで話がしたいと持ち掛けた。
サラはその演技に、随分と心を動かされたようだった。そして彼の提案を承諾した。
フィリップの顔は緊張でカチカチになっていた。俺は立ち上がり、ムダ毛がないかを確認した。
「酒は持ったか?」
「あ、あ、ああ。ここに」
フィリップは懐を叩いた。俺は肯いた。
「いいか、お前は確かに相談しに行くんだ。だが、仮にセックスが始まったら、あるいはそのような雰囲気になったら、決して不安そうな顔をするな。いいな? うまくできなくてもだ」
フィリップは神妙に肯いた。
「検討を祈る」
「う、うん。リョ、リョージ」
「なんだ?」
「ありがとう。ぼ、ぼ、僕はこれまで、あまり友人が多くなかったが、き、君には友情のようなものを感じる」
「……そうか」
「うん……。じゃあ」
そう言ってフィリップは出て行った。それが我々が交わした、最後のまともな会話だった。
☟☟☟
「それでどうなったの?」
「どうなった、とは?」
「だからその、フィリップくんのこと」
窓から外を眺める俺の背中に張り付いたまま、彼女は訊ねた。窓からは、我らが故郷の地球が、確かに青く見えた。
「よくわからないんだ」と俺は言った。
「よくわからない?」と彼女は言った。
「結局、彼はその日は帰ってこなかった。帰って来たのは次の日の早朝だった。俺はきっとうまくいったんだと思った。だけど、彼は帰ってくるなり――あるいはサラの部屋にいたときからかもしれないが――号泣していた」
「泣いていたの?」
「それも尋常でないくらいに」
フィリップはとにかく泣いていた。それも、ジャズの話をして泣く時とは違って(そういうときの泣き方はスコールに似ている)、一一月の雨みたいに、やむにやまれず、といったように泣いていた。
俺はその訳を訊ねたが、彼は首を振るばかりで、何も教えてはくれなかった。
「でも、とにかく、色仕掛けは成功したんでしょ? 彼は試験に合格したわけだから」
「それもわからないんだ」
俺は答えた。
「フィリップはとにかく泣き続けていた。けど、泣きながら彼は試験のための勉強を始めた。試験までのおよそ二週間、彼はほとんど一睡もせず、食事もとらず、ひたすらに勉強した。鬼気迫るものがあった。そしてそれは確かに身を結んでいるようだった。俺が質問すると、彼はすらすらと答えることができたから」
「つまり、もしかすると自力で合格したかもしれないってこと?」
俺はパックに入ったコーヒーを啜った。都会の泥水を煮詰めたような味がした。
「結局、彼は俺に何も教えてくれなかった。ただ、このレコードを俺にくれた」
俺はベッドの下からそれを取り出した。
レコードを渡すときも、彼は特に何も言ってはくれなかった。それを部屋に浮かばせておいただけだ。そして無言で出て行った。もしかすると、俺にくれたわけではなく、単に捨てていっただけなのかもしれない。
だが、それは彼の好意だと思えた。少なくとも俺にはそう感じられた。
彼女はしばらく納得がいかないという風に唸っていたが、やがて俺の背中から離れた。
「そろそろ仕事に行かなくちゃ」
「なあ、あのゲルはいったいどんな風に作られるんだ?」
「今は内緒。地球に帰ったら教えてあげる」
彼女はそう言った。俺はドア前に立ち、出て行こうとしている彼女の方に移動した。そしてさりげなく、彼女の胸に触れた。
「ちょっと」と言って、彼女は俺の手を振り払いそのまま出て行った。
俺は一人でふわふわと浮かびながら、残った感触をなぞるように手を動かしてみた。しかし、そこには何の感触もなかった。感動もなかった。喜びも無かった。
俺は無性に泣きたくなった。
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