24.末路は呆気なく
意識が浮上する。
目に飛び込むのは、ネリーゼンの背中。
その先には、憎悪が膨らんだ風堕つる者。
「え……」
自分が持っていないはずの知識が流れ込んでくる。
『アラシ、大丈夫?』
大丈夫だ。意識ははっきりしてる。
ただ、未知の知識に戸惑っているだけ。
『成功したね! 知識共有はしばらく混乱するだろうけど我慢してね』
シルフィリアの声が、ダイレクトに響く。
『手を動かすね』
との一言で、オレの両手が上がる。
言葉通り、オレの意思に関係なく両腕がピンとオレの頭上まで伸びた。
そして次は手を前に翳す。
すると、横たわっていたシルフィリアの弓が、オレの手に収まる。
『私の意思でアラシの体も動かせるの』
なんだかオレがロボットか何かになった気分だな。
『ろぼっとって何かは分かんないけど』
ああ、この世界にはそんなもんはないんだった。
オレ、弓なんて使ったことないけど、大丈夫なのか?
『私がサポートするよ。創風の弓』
すると、ピンと張られた弦。
オレは弦を引いてみる。
コイツに魔力の矢を乗せるんだな。
だけどアイツに勝てるのか?
『勝てるよ! 凄いよ、アラシの霊力。外から触れたときもビックリだったけど、直接触れてみたら段違いに強いの』
そうなのか。
だったら、安心して戦える。
「ネリーゼン」
「! アラシかっ!」
「ああ」
ネリーゼンは疲れ切った顔を見せるも、オレを見て安堵したのか、強張った表情が和らいだ。
「無事に成功したようだの」
「そうシルフィリアはそう言ってるな」
「その姿で分かる」
と言われ、オレは自分の体を見回した。
服装は変わらないが、包む風の気が淡いエメラルドグリーンの光を放っている。
何よりも、両手には様々な術式が描かれた紋様が刻まれていた。
「精霊憑依、久方ぶりに見たの。シルフィリア様は初めてだったか」
そうなのか?
『そうなんだよー』
これは、誇っていいと思っておこう。
「で、状況は?」
「あまり芳しくないのぅ。リーズ様とファルスは風の精霊。
風堕つる者と同属性では、相性が悪すぎる」
向こうを凝視する。
三人が、風堕つる者へ連撃を食らわせているが、いまいちダメージの通りが悪い。
ゲイルさんの攻撃はある程度聞いているようだけど、決定打には程遠い。
風堕つる者の攻撃も風の精霊であるリーズとファルスには届かないので、暖簾に腕押し状態だ。
『援護に一発、いくよー!』
シルフィリアの声が響いた。
オレは弓を構える。
――風を司りし者の力 集いて象れ 愚かな者を 裁く一条の矢――
ダークネスマンバと初めて対峙したときに見た、シルフィリアの精霊術。
その詠唱が、文字として視界に流れた。
手に集まる風の奔流が、一本の矢へと凝縮していく。
「っ!? にーちゃん!」
「何だ、その力は……ッ!」
リーズは気づいた。
攻撃を続けながら、オレへと振り向くと、かなり驚いた顔を見せてきた。
ゲイルさんに至っては、攻撃をやめてしまう。
「あれはオレたち風の精霊が当たっても危険だな……!」
「ああ、タイミングを合わせて退避するぜ!?」
「了解だッ!」
三人は頷き、一斉に斬りかかり――
『いけぇー!』
オレは矢を放った。
猛烈な風が渦巻き、一直線に突き進んでいく矢。
「はあぁっ!? 威力おかしいから!」
「待て待て! あんなの、どうやって退避しろっていうんだ!?」
「予想外! とりあえず逃げるぞ!」
「外側の障壁が吹き飛ぶのう!」
皆驚いているけれど、オレなんかビビりすぎて体が震えているんだよ!
風堕つる者に近接していた三人はなんとか退避し、矢はヤツの体の一部を貫いた。
いや、貫くだけに留まらない。
風の矢本体の周りを渦巻いていた暴風が、傷口を抉っていたのだ。
もがき苦しむ魔物。
『これは普通の風の精霊の力が馴染まないのも納得だよ!』
まさかオレにもこんな力があるなんて思っていなかったぞ。
オレ強ぇ!
「よし! にーちゃんのその力があれば勝てる!」
リーズはオレの隣に立つ。
「この剣ににーちゃんの力を乗せてくれ!」
深緑色の美しい剣を差し出すリーズ。
どうやって力を乗せるのか分からない。
『任せて』
シルフィリアの意思が、剣に手を翳して力を送り込む。
すると色が変わり、オレの体に描かれる紋様と同じエメラルドグリーンに染まった。
「これが、にーちゃんの霊力。やばいなぁ、これ――」
リーズは笑う。
「負ける気が、しないんだぜ!」
と叫び捨てて、オレの目の前からリーズが掻き消えた。
グオオオオオオッ!
獣の苦しみの叫び声が響く。
四肢のうちの一つが、プロペラのように回りながら空を飛び、ボトリと落ちていった。
「凄い――」
ただ一言、ポツリと零したのは誰だったか。
そこから、一方的な蹂躙が始まる。
リーズを押しつぶそうとする巨体の前足。
リーズは笑みを浮かべたまま、手に持った剣を振るった。
また一つ、四肢が吹き飛ぶ。
「これ、オレたちの出番なくねえか?」
「いや――」
吹き飛んだ四肢が蠢いた。
そしてそれは生まれる。
「マズイ!」
ブワッ!
強烈な闇の波動が、オレたちを襲う。
ネリーゼンは錫杖を振るった。
「ヴォイドガード!」
術が発動する。
空間の隔たりを生み、そこに触れた波動をなかったことにした。
「はぁ、はぁ――すまぬ、我はもう限界だのう……」
錫杖に凭れ掛かり、肩で息をしながら言うネリーゼンはオレの隣で呟いた。
波動を生み出した、四肢だったものをファルスとゲイルさんが斬り伏せていた。
強力な攻撃を放つ可能性を、傷ついた風堕つる者は持っている。
『次の一撃で決めないとだね』
シルフィリアの声に、オレは同意した。
弓を構え、矢を生み出す。
二本、三本、四本と――
五本目の矢を番えて、オレの攻撃の準備は完了した。
指先に風の力が突き刺さって、痛みが走る。
『私がアラシに憑依できる時間はもうないよ!』
シルフィリアの叫び。
ヤツに怒涛の斬撃を与え続けていたリーズにも伝わっただろうか。
彼が頷いたようにも見えた。
リーズはヤツの体の大部分を斬り刻んだ。
落ちた部位から生まれた、波動を生み出すなにかはファルスたちが潰していく。
残ったのは、頭だけ。
「にーちゃん、いけ!」
リーズの声にオレは頷いた。
矢を引き絞る右手の力をゆっくりと抜いていく。
「これで、終わりだっ!」
五本の矢が放たれ、ヤツの頭へと突き進む。
ヤツの口から、エネルギーの塊が放たれ、矢を防ごうとする。
一本、二本、三本と矢は消え、四本目も消えようとしていく。
だが、五本目にエネルギーが当たる前に、エネルギーの塊が音もなく消滅した。
ネリーゼンだ。
最後の一筋の矢は、ヤツの頭を捉え突き刺さった。
強烈な竜巻がヤツを巻き込み、そして収まっていく。
「――やったか?」
ヤツという存在を刻みながら、風はゆっくりと空気に溶けていった。
風堕つる者の姿は消え、そこにはアギーマスだけが残されていたのだった。
彼はまだ生きていた。
身をまとっていたローブと衣服はボロボロに朽ち、体温を失ったように血の気のない肌が顕になる。
「――キュフ、キュフフ……これが、精霊の力に――いえ、霊力という力に溺れた者の末路なのですか」
力ない笑みを浮かべ語るアギーマス。
「私は――霊力を如何に強力に出来るかの研究をしてきました。人間、動物、魔物、そして精霊……
あらゆるものを実験道具としていると、デグラゼリンの魔道王に言われた……
お前の研究は危険だ。よってお前を追放する。と。
私は魔道士の未来のためにやっていただけなのに、王は私を不要と切り捨てたのです。
そのときに決めたのです。
私の研究は必ず必要になる、それを知った王の顔を必ず拝む、と。
そして私は墜落した魔道士になったのですよ」
オレはソイツを見下ろして言う。
「そんなことのために、彼らを、シルフィを利用しようとしたのかよ」
「キュフフフフ。いずれにしても私は研究を成功させましたが、私の命はここまでですよ。この研究を世界に広められないのは残念ですがね」
「ふざけるなよ。お前がもし生きていたとしても、精霊たちをお前達魔道士の道具になど絶対にさせねぇよ!」
オレの声が聞こえていないのだろう。
自分の世界に入り浸り、自分の悦に酔いしれているかのようだった。
独り言だけを呟き、オレの心を苛立たせる。
ハラリハラリ――
アギーマスの体が、少しずつ崩れていく。
「まあ、私のように他の墜落した魔道士たちは沢山いますよ。
人間を、精霊をただの道具と思う者達が。
きっと彼らが、私をこのような目に遭わせた者達を滅ぼしてくれるでしょう」
そう言うと、ゲイルが言う。
「オレたちがソイツらを探し出し、必ず討ってやる!」
だが、その声はヤツに届かない。
「そう言えば勇者の一人がいましたねぇ――キュフフフフ、魔道王も……いえ、あれも結局は堕ちた魔道士と同じ。我らのような魔道士を殺さず放逐したのですから」
ボロボロと煙となって朽ちていくアギーマスは、笑いながら消えようとしていた。
「私は地獄で、魔動王がやってくるのを待ちましょう。そして私が正しかったと証明するのです。キュフフフ……」
そう言い残し、煙は風に流されていった――
後味悪い終わり方だった。
ヤツは消えたが、ヤツが残した怒りは消えない。
だが、今回の事件は終わったのだ。
納得は出来ないけど。
地下から地上へと戻り、屋敷から出る手前。
リーズはゲイルの前に立った。
「ゲイル。今回の件、ちゃんと説明してもらおうか!」
「ああ。そういう約束だったな」
ゲイルは懐に手をやり、中から一枚の紙を取り出して話を始めたのだった




