1.フェスタジアへようこそ
オレたちが足を踏み入れたのは、見渡す限りの緑と茶色の世界。
鼻をくすぐる優しい木と土の匂いに包まれる。
ところがオレはいきなり新しい世界の洗礼に見舞われた。
「息苦しい……」
呼吸をするたびに胸が重く感じる。
そして何よりも空気が吸い辛い。
「多分それ、空気中の霊力に慣れてないからだね」
「大丈夫、次第に慣れていくはずだぜ!」
なるほど。
霊力というものがなかった世界にずっといたオレにとって、体が異物と捕えているのだろう。
人間にも適応能力ってものがあるから、そのうちこの症状も消えると信じたい。
流石にこんな息苦しさをずっと感じていたくないからな!
オレは気怠い体を叱咤して、辺りを見回した。
「……凄いな」
「ここはペルケッタ大森林のはずれで、オレたちの隠れ家のすぐ近くだ!」
「本当は直接あたしたちの街、スピリトに飛んで行きたかったんだけど、少し準備することがあるの! だからしばらくはここに滞在するの」
オレの視界に映るのは、大木群だ。
いや、大木なんて生易しいものじゃない。
遙か天にまで届きそうなほどの背高い巨木。
オレの腕だけでは到底足りないであろう太いそれが、大地を埋め尽くさんばかりに伸びているのだ。
オレの世界では見ることのない、歪に折れ曲がった根ですらも、ちょっとしたビルの高さほどある。
葉の大きさも、身長百八十センチのオレですらも容易く覆ってしまうほどだ。
これが! ファンタジー世界!
「まずはトレアばーちゃんに挨拶だな!」
リーズは嬉しそうに飛び去っていく。
おおお。凄い、飛んでいる! しかも速い!
あっという間にリーズの姿は向こう側へと消えていった。
「あ。リーズの羽がはっきりしてる」
目に止まったのは、リーズの背中にある羽だった。
境界線にいた時は朧気ながらにしか見えなかった薄い羽が、濃く見える。
しかも小さな体に似合わないほどの大きなものだ。
「羽は霊力の塊なの。境界線も少しだけ霊力があるけど、フェスタジアはもっと沢山の霊力があるからはっきり見えるようになるんだよ」
「そうなのか」
勿論シルフィの背中にも立派な羽が鎮座していた。
二人の羽の形は、まるで蝶。
同じ形ではないものの、そう形容しても差し支えはないだろう。
「リーズの後を追うよ!」
「え……こんな歩きにくそうな根の上を通っていくのか?」
二人は羽があるから空を飛べば事足りるだろうけど、オレは空を飛ぶ術がない。
リーズが進んだ先を見ると、幾つもの根が複雑に折り重なっていて、これらを登り降りしなければならないと思うと、億劫になる。
いや、体力に自身がないわけではない。
腐っても道場の一人息子だったんだぞ!
それに期待していたファンタジー世界だけど、流石にこれは骨が折れるどころの騒ぎではない――
「大丈夫だよ! あたしがちゃんと運んであげるよ!」
とシルフィは言ってくれるが……
大の大人が小さな女の子に運ばれる図……情けなく映ってしまう。
が、そんなプライド、この世界に今必要なものなのか!
「お願いします」
これっぽっちも必要ないだろうから捨ててやった。
「おおお! オレは、空を飛んでいるぞー!」
「アラシ! 少しうるさいの!」
まるで童心に返ったかのようにオレは興奮していた!
飛行機に乗って飛んでいるのとはわけが違う!
己の体に感じる風とスピード。
感動せずにはいられない!
プライドを捨てて良かったぜ……
あっという間に壁のように立ちはだかっていた根の群衆を飛び越え、桁違いな大木が目に映る。
その大木の前は比較的大きな広場になっていて、そこにリーズが立ってオレたちへと手を振っていた。
「おーい! 遅いぞ二人共ー!」
「アンタがさっさと行っちゃうからなの!」
オレとシルフィはリーズの隣に降り立つ。
ほんの少しだけでも飛行呪文の体験が出来た感動を、ずっと忘れずにいたい。
「リーズ様! シルフィ様!」
女性の声が響く。
いち早く反応したリーズは誰もいない方向に手を振りだした。
「あ! ばーちゃん!」
すると次第に見える女性の姿。
おお。彼女がリーズが行っていたトレアおばあさ――
えっ! いや、どう見てもおばあさんには見えねぇよ!?
「おかえりなさいませ! 突然異世界に行くと言われて、私は心配しておりましたよ!」
「ただいまばーちゃん!」
「心配欠けてごめんねトレア!」
すらりと姿勢の良い立ち姿、新緑色の明るく長い髪、シワがなく美しいお顔……
想像していたのと全くかけ離れた彼女の出で立ちに、オレは柄にもなく目が釘付けとなってしまっていた。
「あら? そちらの方は――人間っ!?」
最初は物腰柔らかなお顔でオレを見る。
ところがその端正な表情は次第に怒りの色に染まっていく。
オレを睨みつけてながら手を上げた瞬間、オレの周りの地面が盛り上がり、木の枝が伸び始めてくる!
「ここは人間の来る場所ではありません! 即刻ここから立ち去りなさい!」
二人の知り合いだから人間ではないだろうと思っていたが、予想通り彼女は人間ではなさそうだ。
木を自在に操る精霊ってところだろうか、彼女を纏う雰囲気はリーズとシルフィに近いものだった。
と、冷静に分析しているように見えるオレは、内心冷静ではない!
相当焦っている。
オレを取り囲む木の枝は大きく、その切っ先はオレに狙いを定めていた。
まるで、今すぐにでも串刺しにしてやろうとばかりに。
「ばーちゃん! にーちゃんはおれたちが連れてきたんだってば!」
慌てて止めに入ってくれたリーズだった。
けど彼女は聞く耳を持たないと言わんばかりにオレを睨みつけたままだった。
そんな時、シルフィがオレの前に立って身構えていた。
「トレア、早く枝の手をしまいなさい」
「シルフィ様! おどき下さい! その者は人間です! この場所に近寄らせては――」
「何度も言うのは嫌だよ? 早くしまいなさい。あたしをこれ以上怒らせる気なの?」
「ッ――!!!」
彼女の言葉をいとも簡単に遮っていた。
同時に、背中にゾクリとした冷たいものが走る感覚に襲われた。
それがシルフィの怒りによるものだと理解できたのは、少し遅れてのことだった。
ただの怒りではない。ガチで怒っていらっしゃった。
尋常ではない殺気に、だけどオレはただ突っ立っていることしか出来ずにいた。
「トレア?」
「――わ、わかりました」
周りを取り囲んでいた木の枝達が地面の中に潜っていく。
うおおお……怖かった。
だけどこれで事なきを得たわけで。
「にーちゃん!」
「ゴメンねアラシ!」
と、二人はどうしてか知らないけど、オレの周りをグルグルと楽しそうに回っていた。
すると突っ立っていた彼女はオレたちに歩み寄ってきた。
驚きを表情に貼り付けて。
「リーズ様はともかくとして、シルフィ様がそんなにも懐いておられるなんて……貴方は一体何者ですか?」
と仰られたのだった。