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17.不穏な予感




 フェスタジアには風呂がない、シャワーもない。

 水を満たされた水がめから手桶ですくい、体にかけて汚れを落とす。

 ただ、水は川がないところでは貴重品。

 ペルケッタの森もこの街にも、周辺に目立った川がない。

 だから水浴びには手桶五杯までしか使えないのだ。


 勿論、シャンプーやリンス、石鹸など気の利いたものは何一つ、ない。

 体にはこれでもかというぐらい垢がへばり付いているだろう。

 汚い、これはヤバイ。


 オレは決めた。


 スピリトの街に、風呂を作ろう。

 温泉なんて贅沢は言わない。

 五右衛門風呂でも全然構わない。

 いい加減、体にこびり付いた垢を落としたい。


「え? 体に付いた汚れをとりたい? 言ってくれればちょちょいのちょいだぜ?」


 憧れの精霊術を、そんなことで使いたくなかったのだよ。

 汚れが抜けてスッキリしたし、体も少しだけ軽くなった気がしなくもないけど。


 ちなみにトイレはある。

 しかも水洗だ。

 これだけはしっかりしている。

 なんでも、ちゃんとした処理をしないと疫病が蔓延してしまうからだと言う。

 精霊もトイレを使うことがあるのだろうか――

 はらぺっこ精霊は飯、食ってるからな。


 という下世話な話はここまでにして、飯を終え、水浴びを終え、いざ就寝手前。


 簡素な部屋に簡素なベッドが四つ置かれていた。

 小さな机の上には、小皿に獣の脂から取った液体に紙の芯を浸した、これまた簡素なロウソクに火を灯されていて薄暗い。

 薄暗さに慣れつつあったオレにはあまり関係ないけど。


 このグレードで、この街一番の部屋だという。

 ベッドがあるだけで充分贅沢なのだ。


「兄貴、姉貴。話がある」


 と、どこかに行っていたファルスが部屋に入ってきて言う。

 ロウソクが置かれた机を中心に、四人はベッドの縁に座りながら顔を突き合わせた。


「突然どうしたんだぜ?」

「イヤな予感がする」

「ほへ? 一体何でなの?」


 ファルスが一枚の紙切れを取り出し、オレたちに見せてきた。

 オレは表情をくしゃってしたと思う。

 文字、読めないから。


「どうやら、オレたちが盗賊達に襲われた時、捕まえた魔道士らしき人間は魔道士ではなく、ただの冒険者だった。それがネリーゼンの報告だ」


 その紙は、ネリーゼンが書いたものなんだな。


「でもあの人間から強い霊力を感じたよね?」

「ああ。黒いフードをかぶっていたから魔道士だと思っていた」

「だな! おれもシルフィもそう思ってた!」


 リーズの言葉に、シルフィとファルスは頷く。

 ああ、黒いフードをかぶったヤツってなんとなく魔道士って感じがするよな。


「ネリーゼンがアイツと対面した時、一般人程度の霊力しか感じなかったらしい」

「おかしいよね。普通だったら、霊力が自然に減少するなんてありえないの」

「いや! 一時的に霊力を上昇することはあるぜ! 例えば、傀儡(かいらい)術は操られる人間に操る魔導士の霊力を流し込むからな!」

「ネリーゼンから教えてもらったことがあったが、霊力増幅術というのが魔術にそんざいするらしいしな」


 難しい話が始まった時は、オレの出番はない。

 い、いいんだ! 聞いてるだけは楽だからな!


「そうなると、術をかけた魔導士は相当の実力者だということになるよね」

「少なくともあの男がいた周辺を探ったが、誰一人といなかったからな。暗殺者(アサシン)並に気配を消すのが上手な魔道士が紛れていたかもしれないが」

「あー、アサシンは本当に気配消すのうまいよなぁ。オレも相当近づかねーと気付けないぜ」


 ほっほー。

 この世界ってやっぱり物騒だよな。

 アサシンって、忍者のように気配なく背後に忍び寄って、スパンっと相手を殺すんだろ?


 けど、魔道士がアサシン並みに気配を消せるって……ある意味最強じゃね?

 いや、そうであってもリーズたちは普通に勝っちゃいそうだけど。


「まだまだ分からないことだらけだからなんとも言えないけど、しばらくは注意しておいたほうが良さそうだね!」

「そうだな!」


 と三人は頷きあっていた。


「あともう一つ。こっちのほうが深刻だ」

「なになに?」

「スピリトに、魔道士のスパイが紛れ込んでいる。それも、兄貴と姉貴をよく知っているヤツだ」

「!?」


 ファリスの発言に、リーズはかなり驚いていた。


「盗賊の頭が言っていただろう? 彼奴等が狙ったのは、子供二人と男一人、と」


 オレは思い出す。

 確かに、盗賊の親分さんが三人を精霊だという事実に驚愕していた時、そう言っていた。


「何故、オレたちが狙われていたのか。そして子供二人と言っていたのか。不思議だと思わないか?」

「そうだね」

「それに、オレたちがスピリトを出てバドフェンへ向かう事をあらかじめ知っていないと、この話の辻褄が合わない」

「その事実を知っている人物って?」

「ネリーゼンとトレア、食堂を経営するダリスとポレラーニ、そしてヴォッフォとクルドーグラだ」


 おっと。ヴォッフォってのと、クルドーグラ? オレも知らない名前が出てきたぞ?


「あー。あの親子かぁ……あいつら、特にヴォッフォのおっさんは胡散臭いからなぁ……」


 とリーズはイヤそうな顔を見せていた。

 どんな人物なのだろうか? リーズをこんな表情をさせるぐらいだ、相当クセがありそうな気がしてならない。


「ただ、証拠がない。もしかしたら冒険者に紛れている魔道士が情報を得たのかもしれないしな」

「スピリトも、やってくる冒険者は全て受け入れてるからね。有り得ないことはないよね」

「ああ。とりあえずオレたちと直接関わり合いのある人物から調査をするらしい」

「あの親子もシロであって欲しいんだぜ。彼奴等がいるから街としてやっていけてる部分があるしさ」

「ギルドの誘致とか、頑張ってくれたもんね! あたしはあの二人好きじゃないけど!」

「だなぁ。おれもあまり良くは思ってないけどな!」


 そう言って、ベッドの上に寝転んだリーズとシルフィ。


「スパイの調査は困難だと言っているからむしろ泳がせておくらしいから、頭の片隅で知っておいて、あとは普段どおりに過ごしてくれとのことだ」

「りょーかい!」

「ふぅ、おわりかな?」

「ああ。アラシ様が少し退屈そうにしている」


 オレにはわからない話だもん。

 オレが余計な首を突っ込むわけにもいかないじゃないか。

 だからジッと黙って聞いていただけだぞ。

 だけどこれだけは言わせてくれ。

 別に退屈にはしていない。

 寧ろ、興味深い話で聞いているだけでも悪くはないんだ。


 まあ、そのうちこういった話にもついていけるようになっていきたいとは思っている。

 

「オレは朝一番にスピリトに帰還しようと思う。荷物も持ち帰りたいしな」

「おれたちも帰ろうか。森の中の目立たない場所だったら転移陣作れるぜ!」

「げ! また酔いそう――」


 オレはげんなりして言う。

 だって、転移陣に立ったら視界が訳の分からん歪み方をするもんだから、本当に気持ち悪くなるんだよ。


 と、オレがそんな調子でいるとケラケラ笑いだしたリーズが言う。


「にーちゃん一人で何日間か森に籠もるか?」

「ご一緒させていただきます!」


 一人で帰るなんて、寂しいじゃないか!

 しかもまだまだ弱いんだぞ! リーズとシルフィがいないときっと死んじゃう!

 それだけは御免こうむりたい。


 しかし――

 オレが調味料ほしいっていい出したが為に、なんだかややこしいことになってきてしまって、申し訳ない気がしてくるぞ。


 なんて考えていると、リーズは突然ガバっと飛び起き、ファルスも立ち上がった。


「――リーズ、ファルス! 準備して!」

「おう!」

「ああ」

「え? え?」


 同じくベッドに寝転んでいたシルフィが叫んだ。

 そしてシルフィリアへと变化していく。

 何が何だか分からないオレは狼狽した。


「にーちゃんはどうする?」

「留守番させたほうがいいと思うが」


 なっ!? この広い部屋でひとりぼっちになれというのか!?

 オレ、確かにいい歳した大人だけど、唯でさえお前たちがただならぬ雰囲気を出していて不安なのに、居なくなるのはもっと不安になるんだが!


「アラシ、どうする? 一人にしないでくれって顔してるよ?」

「顔に出ていましたか?」

「思いっきりね! で、どうする? 出来れば早く出発したいんだけど!」

「勿論――」


 全ての答えを出すまでもなく、オレはシルフィリアに手を引かれた。


「屋上はこっちだぜ! ファルスはどうする?」

「走れる」


 屋上へ繋がる階段を登り、扉を開ける。

 星が一面に煌々と輝く夜空が綺麗だ。

 けど感動に浸れる時間を、シルフィリアは与えてくれず。


「飛ぶよ!」

「うおっ!?」


 あっという間にオレたちは空を舞った。

 いや、舞うなんて生易しくない。

 凄まじい風圧を感じながら、高速で突き進む。

 シルフィリアの手を、離さないようにするのが精一杯だった。


「トロール十、デスハウンド二十……いや、もっとか? ――人間が一人逃げているんだぜ?」

「この街まで後少しまで迫っているよ! 急ぐよ!」

「ま、これ以上早くなると――うおぁああああ!!!」


 グンッと、速度が上がっていく。

 強烈な衝撃に叫びは掻き消され、オレたちは夜空を突き進んでいった。




   ◇◆◇◆◇




 地面に降り立つ。

 空を見上げると、日本でも早々お目にかかることの出来ないぐらい、沢山の星々が光り輝く様を目の当たりに出来た。

 すげぇ。

 その一言しか出てこない。

 そしてこの星明りは大地を照らし、辺りは夜とは思えなぐらいに明るい。


 日本の空って、よっぽど不純物にまみれているんだな。


 しばらくすると、人間が一人こちらへと全速力で逃げているのが見える。

 ん? あれは確か――


「セレンさん!」

「っ!? あ、あなたたちは――! に、逃げて下さい! 魔物がすぐそこまで迫っています!」

「分かっている! だからオレたちは来たんだ!」


 余程急いで走ってきたのだろう、息も絶え絶えに、肩で息をしている彼女の傍に駆け寄った。

 よくこんな夜道を一人駆けてきたなと思う。

 森に比べて魔物は殆どいないらしいけれど、ナイフ一本持っていない不用心さに呆れてしまった。

 そもそも彼女は何故こんな所に――


「アラシはその娘をお願いね!」

「ああ! 三人は?」

「もちろん決まってるぜ! ここでアイツらを食い止めるんだぜ!」

「バドフェンがなくなればオレたちの生活も危ういからな。守らないといけない」


 ファルス、もう追いついたのか!?

 涼しい顔をしたファルスはリーズの隣に立つ。


「あ、あなたたちは一体……」

「セレンさん、説明は後だ! オレと一緒に後ろに下がっててほしい!」

「え、ええ……」


 オレは不安そうなセレンさんを連れて、リーズたち三人と距離を取っていく。

 緊迫した空気が、広々とした平原を支配していく。

 物音一つしていなかった空間に、土を踏みにじる音が増える。


 来る――


 リーズ達が構える。

 背中にある羽が、淡く光り輝いていた。


「あの方たちは、風の精霊!?」


 セレンさんは驚愕した。

 不安も入り交じる表情を見せているセレンさんを安心させるように、オレは言う。


「大丈夫。あの三人だったら、魔物ぐらいへっちゃらだ」

「……」


 だが、彼女の表情は、いつまで経っても晴れなかった――


「行くぜシルフィリア、ファルス!」

「わかったよ!」

「ああ」


 三人はこれから、目前に押し寄せる魔物たちと対峙する。

 オレは彼らが勝利を掴むと確信していた。





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